遺書
愛とは何でしょう。
何でしょう。何だろう。という疑問は私の人生の中で最も多く問われて来たものであります。
振り返られる程長くもない私のこのくだらない短い人生について少し思い返してみるだけで、どこぞの学習百科事典が如く、多くのなぜなにで溢れていることがわかります。
私は昔から、多くの常識や法律に疑問を持ってきました。答えのない問題というのは、答えがないがために私が考えたことが答えとなりうるのです。それがまるで自分の世界を創っているような感覚に浸れ、何より楽しかったのです。ごっこ遊びの延長線であります。そして、答えがない問題を考えて頭をごちゃごちゃにするのが好きでした。自分の頭が混乱すると生きている気がしたのです。
さて、そんな私も今この窮地に立たされ、なぜなにどころではなくなってまいりました。
これから、読者のみなさまが当然持たれるであろう、私に対するその窮地というなぜなにに対してお応えしたく思います。
私が彼女に会ったのは、大学2年の夏のことでした。新しく始めたバイト先での一目惚れでした。こんなに綺麗な人がこの世にいるのかと当時の気持ちを今でも鮮明にまるで、形状記憶合金かのように、この胸にはっきりと再現させることができます。整形にでも失敗したかのような大きくて綺麗な瞳、柔らかそうな頬、艶やかな唇。その全てが私を虜にさせました。私のものにしたい。そう強く思わされました。当時、物理ばかりで女性のことなど微塵も興味も余裕もなかった僕の頭の中で、完全弾性衝突が起こり、それ以来物理のことなど綺麗さっぱり忘れて、彼女以外のことが考えられなくなりました。 私は何かに集中するとそれ以外のことを忘れてしまうたちなのです。それからというもの様々な手段を使って彼女に近づくことを試みました。
女性のことなど今まで全く興味のなかった私です。どうしたら嫌悪感を抱かれず彼女に近づけるのか。そもそも、彼女は私に嫌悪感を抱いているのか、名前を覚えているのかすらわかりませんでした。そこで、まず友人のユウヤくんに相談致しました。ユウヤくんはこんなところへ名前が出てくるのを嫌がるかもしれませんが、ユウヤくんへの心からの感謝をこの場を借りて述べさせて頂きたく存じます。ユウヤくんはむさく近づき難い印象であった(当時の写真を振り返って)私を一般の大学生ぐらいの見た目、そして、立ち振る舞いを叩き込んでくれました。美容院の予約、洋服の選び方、女の子との話す話題その全てに至るまで事細かにこの物理の公式で一杯になっていた私の頭へ詰め込んでくれました。本当にありがとう。
その甲斐あって、初めて会ってから半年経ったある冬の日、目当ての彼女を初めてお茶に誘うことができました。まさに決戦でした。パンケーキというのを食べてみたいんだけど中々男一人で入れないから一緒に行ってくれないか。と今思えば何ともこそばゆい誘い文句で、彼女をお茶に連れ出すことに成功しました。
約束の日、集合時間の30分前に着いた私は、今か今かと彼女の到着を犬のように待ち侘びて居ました。その日、彼女はまるでお姫様のような格好で登場しました。私と会うために今日この格好をしてきてくれたのかと思うとまさに喜びで胸が張り裂けそうでした。思わず、彼女に今日の服可愛いねと声をかけてしまいました。少し照れてしまいましたが、ありがとうという彼女を見ると嬉しくなりました。彼女と落ち合ったときの、ううん。今きたところ。も欠かしません。
その後、彼女と他愛もない雑談を交わしながら目的の店へと向かいます。彼女は私に学校のことや飼っている犬のことなどを楽しそうに話してくれました。その全てが全くつまらないものでしたが、彼女といられるということが私の心を幸せな気持ちで満たしてくれました。
お店に着くと、彼女は以前から食べたがっていたパンケーキをイケメンの店員さんへ注文し、私も同じものを貰いました。
初めて食べるパンケーキは甘すぎて私の口にはあまり合わず、上手い感想など一切浮かんできませんでしたが、しかし、ここで話す会話のその殆ども既にユウヤくんが考えてくれていたので、私はその通りに機械的に話すだけでした。そこに私はいませんでした。
その日は、パンケーキ屋を後にすると、CDショップへ向かい私のお気に入りのアーティスト(だという設定)のCDを買い、別れました。CDショップからの帰り道では、彼女とそのアーティストの話で盛り上がりました。彼女もこのアーティストが好きなのです。彼女の好きなものは全て知っていました。彼女と会って半年経つと、私は彼女の趣味嗜好を具現化した生き物になっていました。彼女になりきってメッセージを送ったり、果ては読書感想文を書くことなども容易でした。一時期、私はそういった気の狂った遊びをして暇を潰すこともありました。
家に帰る途中でユウヤくんにその日のことを報告すると成功と言えるかは分からないけど大きな失敗をしなかったその日のデートを凄く喜んでくれました。私もユウヤくんが喜んでくれて嬉しかったです。どんなことであれ、誰かが自分の関係することで喜んでくれるのは嬉しいものです。
私たちは早速次のデートの作戦を立てました。と言っても既に最後までユウヤくんが全てのルートを考えてくれていたので、私はそれに沿ってただ役者として何の感情もなく演じ続ければよいだけでした。
次のデートも既に彼女と約束済みです。件のアーティストのライブへ行くことになっていました。私が近くにあるそのアーティストのライブチケットを偶然2枚持て余していた(ことになっている)からです。偶然好きなアーティストが同じで、偶然ライブのチケットが2枚余っている。普段生きていてそんなことがありえましょうか。彼女もその可笑しさに気がついていたかもしれませんが、なんだか運命的だね。という私の言葉に丸め込まれているようにも見えました。いつの時代も女というのは馬鹿で馬鹿で仕方ありません。
デートは、ライブを2人で一緒に観て、そのあと居酒屋でお酒を飲んで帰るというプランでした。ライブで距離を縮めたところで興奮冷めやらぬ気持ちのままお酒を入れて一気に距離を詰めようという作戦でした。ユウヤくんの緻密なプランニングに私は愕然とするばかりです。間違ってもまだ変な気は起こさないようにとユウヤくんに固く約束させられました。
ライブまでの間においても彼女と頻繁に連絡を取り合うことで、仲を深められていたように思います。ある日、バイト先でシフトが被ったときにこんなことがありました。お店が閉まって締め作業をしていると、キッチンに入っていたはずの彼女が客席を拭き上げていた私の元へとてとてと走ってきては、廃棄になった玉ねぎの微塵切りを持って、近藤くん玉ねぎ食べる?と聞いてくるのです。その可愛さとは一体どう表せばよいのでしょう。彼女のお笑いのセンスは完全に終わっておりましたが、私の心はくすぐられ、忽ち笑顔になっていたと思います。私の顔を見た彼女は私を笑わせることが出来たのだと満足して、また同じようにとてとてと去って行きました。そういった節々で私は着実に彼女への恋慕を募らせておりました。
ライブ当日の日はすぐに訪れます。
私たちはライブの前にもお茶をすることになっていましたから、以前と同じ待ち合わせ場所で落ち合うと以前とは違うカフェへ行き、2人で同じコーヒーを頼みました。そこでの会話はいつもと同じように、彼女の学校のことと彼女が飼っている犬のことでした。私は、もし付き合えたとしてもこんな話を延々と聴き続けなければいけないのかと少し辟易とした気持ちに陥っていましたが、そんな日が来ることはないのかと思うと逆に何だか寂しい気持ちになってしまいました。
時間が来て、カフェを後にすると用意していた私の車で会場まで向かいます。
私はその日ユウヤくんの台本を破ってしまいました。彼の台本では、私の彼女への愛を既に表現できなくなっていたのです。ユウヤくんは私のことを見くびっていました。
私はライブの後、彼女のことを家へ呼びました。私も犬を飼っているから見に来ないかと誘ったのです。彼女は少し渋っていましたが、2人が好きなアーティストのレアなグッズも持っているからとダメ押しすると安々と着いてきました。その貞操観念の低さや危機管理能力の低さに驚き呆れます。女というのは本当に知能が足りません。私は実家から離れて一人暮らしをしておりました。私の実家はとても裕福で一人っ子の私に両親はとろける程甘々でした。私が一人暮らしが寂しく犬が欲しいと言えばすぐに買い与えてくれました。名前もないあの犬は今後どうなるのでしょう。私の残り香がついたあの犬は実家で家族にきちんと可愛がって貰えるでしょうか。
私は彼女を自分の部屋へと呼んだあと、彼女へソファに座るよう指示しました。お腹が空いたでしょうと。私がご飯を持ってくるから君はソファに座っていて欲しい。キッチンへと向かう私の背に彼女の、はあい。という呑気な返事が被さります。私はキッチンでこの日のために用意していた包丁を手に取ると、リビングへと戻り、そのままゆっくりと彼女へ近づき、膝で犬を可愛がっている彼女の首元を勢いよく掻っ切りました。彼女はすぐに死ぬことはなく私の方を見上げると驚きと悲しみを一杯にしたその綺麗な瞳で私へ何かを訴えかけようとしていました。しかし、私には何と答えたらよいか分かりませんでした。台本にはそんなこと書いていなかったからです。
僕は彼女を殺したあと自分も死んでやろうとそう思っていました。それが死んだ人へのせめてもの礼儀だと思ったのです。彼女は天国へ、僕は地獄へと行くでしょうから、あっちでハチ合うなんていうこともなさそうですし。僕は、人類最悪の大罪、同族殺しを犯してしまったのです。ここまで来たら最後まで罪を償うことなどなく、自分勝手に死ぬことが人殺しが最後まで人殺しであり続けるための唯一の方法だと僕は考えたのです。
しかし死ねませんでした。
怖かったのです。痛いのが。怖く悲しかったのです。死ぬのが。その結果僕はこうして今も生き続け、方々を逃げ続け、人殺しにすらなることも出来ず、本物のクズへと成り下がってしまいました。ユウヤくんに顔向けできません。僕の友人にはクズなやつが多いですが、それでも彼らはきちんとクズの信念をもったクズなのです。地獄で会ったとき、彼らは僕へなんと言葉をかけてくるでしょう。そんなことを考えるとまた足がすくんでしまいます。
彼女を殺めるときは神への祈りなどしなかった私が自分が死ぬときは、殺してください。死なせてください。と縋るなんて馬鹿馬鹿しくて笑えてきてしまいます。人を殺すよりも自分を殺す方が難しいのですね。普段はいつも自分を殺し続けてきていたのに。普通は逆なのではないかと思います。人殺しなど普通はしないように思われますが。
ところで僕が彼女のことを殺してしまったのは、彼女の中にユウヤくんではなく、僕の存在を刻みたかったからです。僕が生きた意味を残したかったからです。ユウヤくんに頼んでおいてなんと自分勝手なのでしょう。人間とはどこまでも業の深い生き物です。
また、愛とは自分がどこまで相手に道具的に扱われることを許容できるかなのではないかと今こんな状況になって思います。
プライドがとても高かった僕はそのキャパシティが他の人より小さかったのです。独占欲と言うのかもしれません。誇大した独占欲や承認欲求、はたまた、自分の世界を侵害されたような気持ちにさせられるのが許せなかったのです。
例えば、人と付き合っていれば、自分が相手を全肯定するだけの機械になればいいような場面が多々現れると思います。自分が自分である必要などなく、自分はただの全肯定AIに成り下がって仕舞えばよい様な場面であります。
けれども、僕にはそれが難しくありました。
僕は僕として存在を許容されたかったのです。僕でなければいけない。僕だけがそこに当てはまるようなそんな存在でなければ許せなかったのです。本質的に考えれば、僕は存在を認められるために彼女と過ごしていて、そのために一時的にAIになることなどそのリターンを考えれば何でもないことであるのですが、僕はその一瞬ですらそうすることが出来ませんでした。その結果が、今の僕であります。
お父さん、お母さん、家族や友達のみんな、僕が先立つ不幸をお許しください。
最後に、殺してしまったアスカの遺族のみなさま。
殺してしまってごめんなさい。愛と殺意は紙一重でありました。こんなこと言われたくないでしょうが、僕は彼女のことを心から愛しておりました。彼女の死に目に立ち会えたことを本当に嬉しく思います。
彼女の最後の言葉は、お父さんお母さんごめんなさい。でした。
彼女は何も悪くありません。
今僕の眼前には綺麗な海が広がっております。はるか昔、人間は海から生まれたと言います。それならば、最後は元いた場所に帰りたいと思います。
それでは。
近藤秀忠