恋慕
数日前、同僚の男をひとり殺めてしまった。
キッカケは何でもない恋の鞘当てだった。
僕はその男に所謂恋の相談というのをしていた。僕が好意を寄せていた相手が僕たち二人の共通の知り合いだったのだ。彼は親身に相談に乗ってくれたし、僕も心底信用していた。こんな事になるはずではなかったのだ。彼があんなことを言わなければ。
僕らが初めて出会ったのは会社の新人研修だった。お互い地方出身で、東京にある今の会社へ就職する為に上京してきたばかりで、知り合いもいなかった僕らは、すぐに意気投合した。話をしてみるとなんと幼い頃同じ地方に住んでいたこともわかった。そんな運命的な出会いをした僕らは、出会ったその日に右も左も分からない東京の街に繰り出し、ビール片手に話し込んだ。
彼はとても気さくで話しやすい男だった。話を聞いてみると、彼の家は転勤族だったから、小さい頃から引越し引越しで、直ぐに友達を作れるように小学生なりに試行錯誤していたらしい。その結果今のような性格になったと言っていた。父親が公務員で母親が国語教師の僕には到底想像出来ないような幼少期だったのだろう。僕の幼い頃の楽しみといえば専ら、かいけつゾロリを読む事で、何度も何度も同じ話を読み込んだ。成長すれば、かいけつゾロリがずっこけ3人組になり、大学に上がる頃には家にあった世界文学全集を殆ど読んでしまうようになっていた。僕はそんな人間だった。だから、女の子へのうまい嘘のつき方も、ましてや、女の子を口説き落とす良い文句だってわからなかった。そんなことは僕とは無縁だと思っていた。
しかし、ある日、僕は恋に落ちた。同じ会社の違う部署で事務をしている女の子だった。一目惚れだった。彼女は僕らの2年先輩で、とても優しそうな、まるで野原に咲く綺麗なすみれのように凛とした人だった。
僕は、そのことを直ぐに同僚の彼に話した。僕は彼のことを心底信用していた。これから先、ずっと長い付き合いになるのだろうと本当に思っていた。彼は僕の話を聞くと、いつものような人懐っこい笑顔で、お前にも好きな女の子なんか出来るのか。と笑った。応援してくれるとも言ってくれた。
それなのに彼はなんとその女の子と寝てしまった!勿論付き合っているわけでもないのに、他人の人間関係なんぞに口を出すものではない。だからそれまでなら百歩譲って許せただろう。けれども彼はあろうことか、あの子はねこんな風に喘いで、あんな風によがってくるのだと意気揚々と酒の席で僕に語り始めた。
僕は恋心を蔑ろにした彼がどうしても許せなかった。その場で手を挙げることはなくとも彼への憎悪は確実に、そして強かに募っていった。
翌日出勤して、彼に得意先への郵便物を代わりに出しておいて欲しいと頼まれた私は、ポストへ投函した後むしゃくしゃして、持っていたコーヒーを全てその中へ流し込んだ。少しでも彼が困ればいいと思った。初めはそれ程のものだった。
しかし、彼の顔を会社で見るたび、彼女のことを思い浮かべるたび心のもやは拡がっていった。そんなことだから、私の小さな憎悪が殺意へと変貌するのにそれ程時間は要らなかった。
休日、僕はキャンプへ行こうと彼を山へと誘い出した。"私有地だから落ち着いて火の音を聞けるぞ。"僕の祖父母は土地持ちで田舎に山を持っていたのだ。山を持っているという大金持ちのように聞こえるが、田舎では特段珍しいことでもなかった。僕が誘うとキャンプ好きの彼は数日前のことなど既に忘れているのだろうか、僕の誘いに易々と着いてきた。そして、呼び出した山でキャンプファイヤーに夢中になっている彼を後ろから締め殺し、埋めた。猪の餌にでもなるのが彼の人生にはお似合いだろう。家へ着いた私は疲れてしまい泥のように眠った。
翌朝、インタンホーンの音で目が覚めた。
こんな時間に私を訪ねて来る者と言ったら宗教勧誘ぐらいだったが、それも先週嫌味を言って追い返したばかりだ。まさか。そう思って扉を開けると警官が2人睨みを効かせて立っていた。くそ。祖母の所有する山であったから鷹を括っていたが、日本の警察を舐めすぎていたのだろう。
「沢田さんですね。心当たりがおありでしょう。」
そのうち背の高く恰幅のいい方が低い声で丁寧に言った。
ここまでか。
「はい。全て私がやりました。」
そう言うと今度はもう一人の警官が、朝日に照らされながら令状を広げて言った。
「沢田裕樹。郵便法違反で逮捕します。署までご同行頂けますね。」