新自由主義と、ラーメン屋の民主性について①
岸田新政権発足に際して、「新自由主義からの脱却」や「新しい資本主義へ」という言葉をよく聞くようになった。内容がつまびらかではないが、この方向性に関する限りでいえば、僕は個人的には賛成だ。
ところでこの「新自由主義」という言葉、当然のように口にされているが、この言葉の意味するところ、ご存じの方はどのくらいいるのだろうか。
「『新』自由主義」から脱却して、「『新しい』資本主義」へ向かう???
個人的な予想だが、ほとんどの人にとっては意味がよくわからない言葉のように思う。よくわからないどころか、さっぱりわからないかもしれない。ある程度以上の学歴を持っているような人にとってさえ、だ。
「自由主義」がなんとなくわかる人であったとしても、「新」てなんだ。という疑問は湧くだろう。だが多くの場合、特に気にもせずさらっと流してしまうことと思う。
これはとても重要な点なので、岸田首相ももう少し丁寧に説明したほうがよいように思う。それによって今後日本が目指す方向性が国民にとってクリアになるし、ファンを増やせるかもしれないのだから。富裕層の反対派は増えるかもしれないけれど。
個人的な事情があって、僕はずっと新自由主義と、そこからの脱却について考え続けてきた。僕なりの「新しい資本主義の形」だ。大学時代からだから、もう20年くらいの期間だ。僕の「プロフィール」になっている長い記事の中で最後に触れているとおり、これは僕の中にある核の問題と言ってもいい。
「新自由主義」という、ふだん聞きなれない、でも(おそらくこれから先の人類と地球において)とても重要な単語が、思いがけずこれだけニュースなどで一般に流されることとなった、せっかくの機会だ。
ここで僕は、最近しばしば考えている「新自由主義と、人気ラーメン店の行列が持つ民主性」の関係について、ものしてみたいと思った。
新自由主義とは何か?行列が持つ民主性とは何か?ラーメン屋の考える価値とは何か?
これは、何年か前にマイケル・サンデル著『それをお金で買いますか 資本主義の限界』(早川書房、2014年)という本を読んでからハッと気づいて以来、ずっと心の中にある問題だ。
マイケル・サンデル氏とはハーバード大学の政治哲学の教授で、かつてNHKで放映された『ハーバード白熱教室』以来、日本でも有名になった人物だ。僕はその最初の放映の時以来、ずっとサンデル教授が好きだ。
この話はいつかどこかで誰かにしてみたいという思いはあったのだが、まずは、先に言ったとおり、あまり一般的に共通理解となっているとは言い難いであろう「新自由主義」という言葉の意味を、共有しておかなければいけない。
ただ、「新自由主義」とはどういう意味——というより、どういう「もの」——なのかを、きちんと理解するためには、思ったよりけっこう紙幅を割かねばならないことに気づいた。なので、不本意ではあるが、今回の記事を、①と②、前編と後編に分けることにした。
これは、今現在、我々が立っている位置——歴史上における位置——を知るためにも、非常に重要なことだと思う。わかりやすく話そうと思えばわかりやすく話せるものなので、中学生くらいからでも、学校で教えるべきことのようにも思っている。個人的には。
そういうわけなので、まずは「新自由主義」とは、なにか。芋づる式に根深く広くなっている問題なので、読んでいてけっこうあちこちに振り回されるような気がするかもしれないが、必ず最後には話がつながるように書いているつもりだ。次回のラーメン屋の話まで。
まずは、「新」が付く前の、一般的な「自由主義」の誕生から、話を始めなければならない。
1)「自由主義」の誕生
-1. すべての始まり、アダム・スミス——の、本当の姿
僕は大学の卒業論文で、アダム・スミスをテーマにした。あの「経済学の祖」「神の見えざる手」で有名なアダム・スミスだ。今でもこの卒論について語れと言われれば、何時間でも嬉々として語ることができるだろう。
ところで、僕は経済学系の出身ではない。専攻は教育哲学だ。「教育とは何か」という哲学。完全なる人文系だ。今でいうならリベラルアーツと呼ばれる分類だ。この英語、軽っぽく響くので好きではないが。その僕が、なぜアダム・スミスだったのか。
新自由主義とは何かという話の前に、「経済学」という概念が生まれたアダム・スミスの時代まで、いったん話を巻き戻そう。この時点から理解できると、けっこう問題の本質には近づきやすいと思う。本来は長大な話なので、できる限りざっくりと。
スミスが生きたのは18世紀後半。西洋の啓蒙主義時代の真っ只中。スコットランド生まれで、同じくスコットランドのグラスゴー大学の教授。人生の中でアメリカの独立運動やフランス革命を見た。
スミスがどんな学者だったかというと、まず「経済学」の学者ではない。スミスは「道徳哲学」の教授だった。その当時、「経済学」という学問領域は存在していなかったのだ。
この当時は、今のように「〇〇学」といういろいろな学問領域が明確に分かれていなかった。大きく「自然哲学」と「道徳哲学」の二つに分かれていたのみで、前者は現在でいうところの「自然科学」、つまり数学、物理学、生物学など全般を取り扱う学問。そしてそれら以外、哲学や文学、倫理学、法学などの人文系を全部ひっくるめて「道徳哲学」の領域としていた。
その「道徳哲学」教授だったスミスだが、その問題意識と視座の中核は「人間の道徳性はどのように形成されるのか」だった。これは正確に説明すると深入りしてしまうので、ざっくりと「人間の『道徳性』ってなんなんだ」という問題をめちゃくちゃ深く考え続けた学者、と思ってくれればとりあえずOKだ。
-2. 「経済学」の祖?
スミスをなんとなく知っている方は、「経済学の祖」や「神の見えざる手」と全然関係ないじゃないか、と思われることと思う。そのとおりだ。本来的には、スミスにとってそれらは専門の話ではないのだ。
だがスミスの著作の中で最も有名なものは『諸国民の富』、通称『国富論』だ。どうしてこうなったのか。
結論だけざっくり言うと、人間の「道徳性」についてめちゃくちゃ深く考え続けた結果、人間の性質の一つに気づいて、「欲しい」という欲求と「売りたい」という欲求は、互いにとって最も得になる地点に自然に落ち着いて売り買いの話の決着がつく、という原理を、初めて見出して理論化、体系化した、というのが、スミスの功績だ。この原理について、かつてなく理論的に体系的に説明しきった分厚い本、というのが、『国富論』だ。これがとんでもなく画期的だったのだ。
『国富論』の理論があまりに素晴らしすぎて、ここからこの分野が独立的に「経済学」として拡がっていくこととなった。これが、スミスが「経済学の祖」と言われるゆえんだ。
だが繰り返すとおり、スミスの本来の学問的視座は人間の「道徳性」だ。それがスミスにとって、一番重要だったのだ。道徳とは、「善」とか「美」とか、そういう抽象的で定義しきれない領域の問題だ。商売してお金を儲けてハッピー、という世界とは、スミスは無縁の世界にいた。
どうして「道徳性」の話がそんなに重要だったのかというとこれもまた深入りするが、大切なことなのでざっくり言うと、その当時はそれが大問題だった時期なのだ。
長く続いてきたキリスト教的な倫理観、道徳観——それは根拠を問わず、誰も疑う必要もなく、疑ってはならない倫理観、道徳観だったのだが——が、16,17世紀に急速に進展を遂げた自然科学(数学、物理学)の力によって、その土台を崩されようとしていた。科学によって次々と発見される世界の構造の証明の前に、聖書の中にあった世界や宇宙の成り立ちについての説明の説得力は、淡く立ち消えようとしていたのだ。
聖書とキリスト教の説明によって保たれてきた全ての世界観が揺らぐ中、では倫理や道徳はどのように説明したらよいのか?それを「科学(論理)の力によって」新しく説明しきらなければならない。それが、当時の「道徳哲学」の抱える最大の問題で、多くの大学者たちがあーでもないこーでもないと議論を戦わせ続けていた時代なのだ。
「道徳とか倫理とか、そんなのどーでもよくね?てか、そんなの人それぞれじゃん」で終わらせることができるのは、ここ30年くらいの、現代だけだ。
それ以前、というか人類の歴史上数千年にわたって、その問題は問われ続けてきたが、「聖書的世界観の崩壊」という未曾有の事態を迎えた当時、それは西洋社会においてはのっぴきならない大問題だった。人間にそなわる普遍的な「道徳性」なるものがあるのかないのか、あるとするならばどう定義づけることができるのか、議論し続けなればならない、という状況の中にあったのだ。
-3. 「自由」と「欲求」の解放
話を巻き戻して整理すると、まずアダム・スミスは道徳哲学の学者として、人間の道徳性を考え続けていた。その過程で、売り買いの場面における人間の性質を分析し、それが理論的に文句のつけようのない本『国富論』となった。残念ながらそちらのほうが本来の道徳哲学者のスミスとしての研究よりも科学としては素晴らしすぎて、スミスの「経済学の祖」の姿が生まれた。
ちなみに、「道徳哲学者」スミスのものした大著作が『道徳感情論』。これについて、僕は卒論で研究していた。スミスが完全に完成された書物として出版したのは、この『道徳感情論』と『国富論』の、二つしかない。あと法学に関する何らかの著作があったが、それ以外、完成して本の形にならなかった中途の研究のほとんどは、スミスの死とともに、彼自身の意思により、焼却されてしまった。
何においても、完全な理論として発表できる形にすることを、何よりも目指したスミス。その姿は、「道徳」というものがどうやっても論理によって証明できるものではないということに気づきつつあった苦悩に見て取ることができるのが、著作を読んでいるこちらとしても苦しく切なくなるものだった。やはり今でもスミスについて語りだしたら止まらないだろう。
さてここでようやく話は本題に戻ることとなる。
このような形で世に名を博した『国富論』。需要と供給。その曲線上の交点となる、適正価格の自然な決定。利潤の蓄積と拡大再生産。分業。経済学的に言うと重要なキーワードはこんな感じで並ぶと思う。『国富論』以前には意識的に着眼されたことのなかった、素晴らしい分析だ。
ところが人文科学的な観点で言うと、実はここで最も重要だったことはなによりも、人間の「自由」を解放したことだったのだ。その根拠を得たことだったのだ。
買いたい、売りたい。モノが欲しい、お金を儲けたい。
こういう欲求は、かつてはあまりよろしくない欲求とされていた。キリスト教的な倫理観の世界の中での話だ。欲は大敵。美しきは清貧、みたいな感じだ。特にプロテスタントは。
だが当時は、上に書いたとおり、それまでは当たり前とされてきた数々のキリスト教的な価値観や決めごとが、揺らいできていた時代だ。そのキリスト教的な倫理観の世界を、『国富論』は打ち破ることとなったのだ。
欲求にしたがってモノを欲しがる人間がいる。モノを持っていて、自分で利益を欲しいがためにそれを売りたい人間がいる。互いに交渉して、適正価格が決定し、売買が成立する。欲しかった側は、自分が欲しいと思う欲求の程度の範囲で許容される価格で、モノが買えた。売りたかった側は、自分の望む利益が出る範囲の価格で、モノが売れた。売った側は、出た利益を使って、さらに次のモノを手に入れ、それを売り、商売を拡大していった。そして人を雇うようになり、商売はさらに拡大し、給与も増えていった。
これが、基本的な資本主義の原型だ。資本主義とは何か、という定義はここでは不問にしておこう。ここで重要なのは、各人が、自分の「欲求にしたがって」「自由に」行動しているにも関わらず、誰も損することなく、なぜかいつの間にか全員がハッピーな結果になっている、ということだ。
これが、資本主義の誕生によって、人間の「自由が」——違う文脈においては、「欲望」が——解放された、と言われるゆえんだ。清貧に、欲を持たず、慎み深く生きよ、それが天国にいける鍵だ、と言われ続けてきた世界が崩れ、みんなが「自由に」「欲求にしたがって」行動することが、みんなのハッピーに結びつく、社会全体を発展させていく、という世界になったのだ。
ちなみに、「自由」という概念そのものも、この当時、啓蒙主義の時代に生まれたものだ。これは経済活動の話とは全然別の場所で、人間という存在にもともと備わっている不可侵の尊い権利、みたいな文脈で、哲学者たちが議論し続け、見出したものだ。
その崇高なる「自由」たる存在である人間が、なんと経済活動でまで「自由」であってOK、ということが明らかになったから、インパクトが大きかった。
これは、とてつもなく大きな転換だった。これが、「自由主義」の始まりだ。「自由に行動することが、結果的にハッピー」という思想が生まれたのだ。
2)「スミスの自由主義」に対する誤解
これが、基本的な「自由主義」、そして経済学的な文脈においてはそれとイコールの意味で語られる「資本主義」だ。
この『国富論』の理論があまりに素晴らしかったために(あと、難しすぎて全体をきちんと読むなんて者がほとんどいなかったであろうために)、スミスという学者の全体を見ずに、それだけをもって「アダム・スミス=自由こそ全て、な資本主義の生みの親」という浅薄な理解が生まれ、拡がってしまった。スミスは今でもけっこう、「自由好き勝手、利己的人間が増えた現代社会の元凶は、なんでも自由な資本主義の形を生み出したアダム・スミスだ」と批判されることがある。
だが、これは完全に誤っていると言える理解の仕方だ。
自由な欲求が解放されたとはいっても、各人がなんでもかんでも本当に「利己的で自分勝手放題」な「自由」でよかったのかと言えば、スミスにとっても当然答えはノーだ。
折しも当時は産業革命後、急速に産業と機械化が発展していた時代だ。というか、その時代だからこそ、スミスは国富論の理論に気づき、体系化せねばならないと思ったのだが。
発展し続ける経済活動と社会の中で、今も昔も変わりなく、当然のように、中には「ズルい人間」も多く出るようになっていた。自分の利益のためなら平気で噓をつき、人を出し抜き、みんなが平等に守っているルールを守らず、自分の取り分こそがトッププライオリティ…まあ、どんな社会にでもいるような、ろくでもない人間だ。そしてこんなのが、だいたいカネをたんまりため込んでいるものだ。
どんな社会にでもいるようなこんなのが、やはり当時の社会にもどんどん増え始めていた。ここでこそやはり、の「道徳哲学者」スミスの登場なのだ。
スミスの最大の関心は人間の「道徳性」だ。スミスはこの現状に、ひどく頭を悩ませていた。スミスの中の「自由」は、あくまで各人が公平に、公明正大な環境の中で、謳歌されるべきものだったのだ。
スミスは、著書『道徳感情論』の中でも、次のように繰り返し訴えている。本当は引用したいところだが、だいたいこれで間違いないはずと記憶している。人はみな、設けられた競争のレーンの中で、隣のレーンにいる人間を邪魔するようなことなく、みなで定めたルールにのっとってのみ、全力で自由に競争をしてもよい、と。ズルをするようなことは道徳的にダメだと、みな道徳的でなければならないと、必死に——空しくも——訴え続けていたのだ。
3) 苦悩する「経済学の祖」である「道徳哲学者」
さらに第二の問題が、スミスにじわりとにじり寄ってくる。
もし仮に、ズルをする人間がいなくなり、みなが「道徳的」な競争をするだけになったとしても——「道徳性」の形そのものが、少しずつ変容していくのではないか。
この自由競争の社会で、勝者である富める者はどんどん富を増やしていき、競争に勝てない者はいつまでも貧しいままだったりしたら、、、社会の構造も、コミュニティの形も、必ず変わっていくことになるだろう。人の交流は変わり、交わされる情報は変わり、ものに対する価値観は変わり、人生に対する見方は変わり、と、、、あらゆるものが変化していく社会の中で、どうやって「普遍的な道徳性」がありうるのか。
上の段の2文はスミスの著作の中から取ったものではなく、現代的にもわかりやすいように僕が作った例だが、まさにこういうことが、当時のスミスの社会でも起こり始めていた。
そしてその問題に対して、スミスの『道徳感情論』の中の論理では、説明しきることができなかったのだ。
『道徳感情論』は版を重ね、この問題に対処するために少しずつ論理に追加をしていくことはあったが、おそらくはあまりに急速に社会も変化を続けていたのであろう——なにせ、アメリカ独立とフランス革命がほとんど連続して起こったような時代だ——最終的に、「恣意的に変わり続けうる道徳性」の問題を理論的に克服することはできず、その第6版(最終版)で、「人間には、『賞賛に値する価値』と呼ぶべき価値があって、それを志向して道徳的な行動をするようになっている」ということを強調するのみとなってしまった。
こういう論理は、目的論と呼ばれる。何か最初に、「神の目的」みたいな超越的な方向性が定められていて、それを達成するために人間は行動することになっている、みたいな論法だ。
演繹的に積み上げていく科学的な論理ではなく、神学に後退してしまったとみなされるこの論理。私が卒論を書いた2002年時点においては、学術的にはここが、スミスの道徳哲学者としての限界だったと見なされているようだった。切ない幕切れだった。
4)なぜここまで長々とスミスの話だったのか
自由主義の話をしてきたが、同時にほとんどアダム・スミスについての話だったように感じられたことと思う。自分の卒論のテーマだったから、というわけでは必ずしもない。多少詳しいということは関係したが。端的に言って、誕生ホヤホヤの自由主義を語るときに、スミスは切り離せない人物なのだ。
もう一度強調しておきたいのが、「スミスは自由主義の資本主義体制の端緒を明らかにし、それを社会を発展させていくものとして強く支持はしたが、なんでもかんでも利己的な自由を認めていたわけでは決してなく、あくまで中心となる関心事は道徳であり、それが経済の発展とともにないがしろにされていきつつある社会を問題視し、必死に道徳性の理論を考え、その重要性を訴え続けていた」という事実だ。
先にも書いたが、現代においてもスミスは誤解されていることのほうが多い。スミスのことをまさに「経済学の祖」として、経済発展トッププライオリティー、そのための自由な活動なんでもオッケー、俺がみんなに自由な世界を切り拓いてやったぜオラオラ、みたいなふうに思っている人が、けっこういるように思う。学歴が高い人でも、「道徳哲学者」アダム・スミスを知っている人は、一般にほとんどいないように感じている。
自由を解放した経済学の祖である道徳哲学者は、その資本主義がよちよち歩きを始めたそのときから、その制度と活動が人間の道徳性と絡まりあうことになるという本質をすでに見抜き、警鐘を鳴らしていたのだ。
5)自由主義のその後
-1. 現代の「自由主義」は、本来の「自由主義」なのか
さて問題の核心に入っていこうと思う。ようやくだが。ここまで読んでくれてありがとうございます。
「経済発展トッププライオリティ―、そのための自由な活動なんでもオッケー」という考え方が、現代社会に問題を引き起こしているものが、いくつもある。
一番インパクトとスケールが大きい話をすると、環境破壊だ。人類は、経済発展のために地球の環境を破壊し続けてきた。それが今や気候変動や生態系の根こそぎ破壊のような問題につながっている。
地球環境とは別に、富める国とそうでない国との間で拡がる経済的格差も、地球規模での経済効率を追及した結果によるものが大きい。
貧しい国の中で起こる紛争も治安悪化も動物の違法な乱獲も、その経済効率追及の争いの中で「負けてしまった」あるいは「負けさせられてしまった」結果が大きい。
富める国の中で起こっている大きな経済格差も、そう。あらゆる空間と時間のスキマに、企業の広告がバンバン割り入ってくるのも、そう。うちのサービスを使ってくれたらお礼にお金をあげちゃうよ~という販促の仕方が横行するようになったのも、そう。ネット上のフリーマーケットで、子供の夏休みの宿題の読書感想文が売買されるようになったのも、そう。新しいゲーム機が発売された途端に品薄となり、高額な転売商品としてネット上に現れ始めるのも、そう。
実はすべては、「経済発展トッププライオリティ―、そのための自由な活動なんでもオッケー」という思想から生まれているものなのだ。
これは、かつてスミスが唱えた自由主義の形であるようであって、そうではない。そうではないと「始祖」スミスが言明していたわけでもないが、ざっくり端的に言うと、「こんなところまで行きついてしまうとは、スミスでさえ予想もつかなかった形の自由主義」なのだ。
-2. 本来の「自由主義」でないとしたら、なんなのか
上で書いたとおり「道徳哲学者」スミスは、常にこの「自由な」経済活動が発展するに伴う「道徳性」の問題を気にかけていたのだが、そこには2種類の問題性があったことを思い出してほしい。
① ルールを守らない、「ズル」をする(「道徳性」から逸脱する)者が出てきた
② 活動も環境もどんどん発展し、拡がるにつれ、(当時のスミスの同時代人、同郷人たちが考えていたところの)「道徳性」そのものが、変容していくことを免れ得なかった
①の場合は、論外というか、決めごとを決めて、取り締まって、罰則の対象にすればよい、とか、まあ比較的わかりやすい対処策が浮かびうるだろう。実はそれほど単純なことではないのだが、いったんそう思っておいてもらってOKだ。
問題は、②だ。
現代に生きる我々の中では、「どうしてそれが問題と言えるの?そんなこと当然なことじゃないの?」という意見のほうが、多数派になる気がする。
これが「なぜ」問題と言えるのか、ということを論点にしてしまうと、本格的な哲学の議論になってしまうので、それをとりあえず脇に置いておいて。
マイケル・サンデル教授が『それをお金で買いますか 市場主義の限界』(この記事の冒頭で登場した本)の中で挙げている、実際に日本以外の国で起こっている、あるいは起こっていた、こういう事例やビジネスを見て、どのように思うだろうか。
・本を読んだり、良い成績を取ったりした子供に、お金をあげる。
・医療へのアクセスが困難な地域で、医者の予約が転売される。
・企業の従業員に、その企業が掛金払い主として生命保険をかけておき、もしも不慮の事故でその従業員が死んだら、その保険金を企業が受け取る(遺族には支払われない)。
・絶滅危惧種のクロサイを楽しみ目的で狩る(撃ち殺す)トロフィーハンターたちに、一定数だけ狩りをする公的な権利を売る。すると、収益になることがインセンティブになって、現地住民がクロサイを絶滅させず数を増やそうとするモチベーションが働く。
これらはほんの一例に過ぎないが、何か違和感を感じる方のほうが、日本においてはまだ多いのではないだろうか?それって…カネを使ってどうこうするとかっていう…「領域」の話にして、よいのか?と。
この、なんとなくの、「カネでどうこうしてよい領域」と「カネでどうこうすべきではない領域」という感覚があること。
もしこの二つの「領域」の違いを感じる、もっと積極的に言うと、この二つの「領域」には違いがあるべきだ、と考えるのなら、あなたは、「道徳性」という領域——言うまでもなく、後者の領域だ——を、判断の基準に入れる人なのだろう。
もしあなたが、この「道徳性」の領域を判断の根拠として、効率性の最大化に対して「ちょっと待って」と言える人ならば、あなたは「新自由主義者」ではない。
「新自由主義」とは、「道徳性」の領域を考えに入れず、経済効率と市場の働きを最大化することこそが善である、という思想なのだ。
(①終わり、②へ続く)
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