二年ぶりに独り歩く東京の街は○○だった
地方へ移住して、久々に東京の街を無目的に歩きました。
それぞれ別日の「夜」でしたが、東京タワーの目の前と東京駅八重洲口を、待ち合わせの時間までと、その後の時間を何となくブラブラと。
東京にまったく訪れていない訳ではありませんが、一つは「夜」と限定すると本当に2年ぶりです。
とはいえ、2年前までは私も東京都内ばかりをうろちょろとしていたので、まったく知らない世界という訳でもありません。
今まさに、東京在住の方からすれば「はあ…」というような内容だと思いますが、素直に感じたことを書いてみようと思います。
思考の渦
あまりにもここ数年、人との接触機会や絶対人数が減り、かなり私のコミュニケーションエリアは限定的だったように思います。
もちろんWeb上での交流は、人見知りな私でも少しくらいはあったのですが、臨場感や迫力がまったく違いました。
一番は、東京駅の夜行バス(高速バス)の乗り口付近を歩いた時。
後は、都会的に分かりやすく、高いビルがひしめき合って、ありとあらゆる木にLEDが巻きついている光景でした。
ノイズとグレア
屋外ですが、久々に沢山の人がそれぞれの仲間内でガヤガヤと話しているという事実だけが解る状況に立ち入りました。
何の話をしているかは、声が混ざり混ざってよくわからない。街の喧噪。別にその内容を理解しようとも思っていない自分。
そして、何だか異常に眩しく感じるライトアップの数々が全方位に広がっています。
見出しにノイズやらグレアやら、少し不快感の意味も含まれそうな言葉を選びましたが、私が感じたのノイズとグレアなのが事実で、そして懐かしさです。
ここで半日過ごせば、新たに解ることもありそう
地方に住み、家族と過ごし、仕事に明け暮れ。こういう日常ばかりを過ごしていると、正直な所ノイズというか、雑音は耳に入ってきません。
なぜノイズだと思うのかと言うと、何を言っているか解らないからで、ただただ「人の声の塊」としてしか認識する気持ちがないからです。
ライトアップも、地方では最低限だし、自宅は自分の最も心地よい明るさに調整が出来ます。
なぜグレアだと思うのかと言うと、何故ここまで明るくする必要があるのか解らないからで、ただただ「街を明るくする」目的のようにしか見えないからです。
でも、確実に感じたことは、東京にはエネルギーがまだまだある。ということです。そして、そのエネルギーの豊富さというか逞しさを、あまり実感出来ていない2年を過ごしていたという部分です。
塊で聞こえてくるのはノイズでも、グループ毎に話している内容に仮に耳を傾ければ、そこには彼女ら彼らのストーリーがあるはずだし、むしろ聴いてみたい。完全に不審者だからやらないけれど。
Zだ何だと言われている塊(私は基本そのように括るのは好まないです)を、正しく理解したい。
オフィスビルのまばらな明るさの先には、誰が何をしているのか知りたい。
なんだか、知ったかぶりしたマーケティングを掲げて話すのは、私はそろそろやめにしないといけないな、と感じました。
別に多様性がどう、とか、ワントゥワンマーケティングの必要性がこう、とかばかり考えるのではなく、ただただ臨場感をもっと得ないといけない。
メディアやSNSで、世の中を知ったつもりになってはいけないし、過去の蓄積から勝手な想像を都合よくするのもいけない。
さらには、メディアのあの人が言っていたから、に偏るのはもっと危険。ついつい話が分かりやすいからどうしても聴き入ってしまうんだけど、こういう情報こそ「聞く」スタンスで、もっと違う声を「聴いて」いこうと感じた、夜散歩でした。
コジマサトシ/トナリコネクト