この記事はAIを使用しておりません
ゴールデンウィークも終わりに差し掛かり、もう少ししたら梅雨が訪れますね。
唐突ですが、私が初めて「将棋」に触れたのは、小学3年だか4年のころだったと記憶しています。
え、いきなり「将棋」の話なの?
と感じるかと思いますが、具体的な将棋の話はしません(出来ません)ので、ご安心ください。
梅雨時。
確か昭和か平成かという時期のことで、雨で外で遊べないとなったら、一番強いのはファミコンでした。
しかし「自分のテレビは無いので、親がテレビを占領」しているか、どちらにせよ「ゲームは1日1時間」みたいな風潮も強く、雨の日、家の中だけで楽しむには、ボードゲーム・テーブルゲーム、というのは大きな選択肢の一つでした。
(勉強するなり、本読むなりも出来るけど…遊びたい)
なので、あの頃「トランプ」「UNO」「人生ゲーム」みたいなモノは、雨の日家遊びの主流だったし、誰でも出来るシンプルかつ面白い、みたいな感覚があったと思います。
小学校に行っても同じ
娯楽に制限がある、小学校(まあ勉強する場所なんでしょうけど)の場合は、さらに雨だとやれることが絞りこまれます。
その中で、何故かオフィシャルにOKとされていたのが「将棋」で、いきなり我がクラスに「雨の日将棋ブーム」が到来しました。
と言っても、皆がルールを熟知している訳でもないので、何となく遊んでいましたが、高学年になるにつれ、駒の動かし方や、最低限のルールなりは、みんなが理解しつつ「○○君は強い!」「コジマ君は弱い」みたいなことも、段々わかってきます。
将棋が強い子は、その子の祖父直伝の戦法をマスターしてたり、強い兄がいたり、やはりそれなりに将棋の勉強をしていて、なかなか私は勝てませんでした。
何となく悔しく…たまたま近所の本屋さんで「古本祭り!何でも1冊100円!」という、セールの中で将棋の本をお小遣いから買いました。
マンガ以外で、自分のお小遣いで買ったはじめての本。
色んな感情が巡るも、ともかくはその将棋本が擦り切れるまで、何度も読み返して、強くなりたいと行動した記憶があります。
それから、そこから
そこからは、特に将棋には熱を入れて取り組んでいません。相変わらず一過性の熱量でした。
ですが、30年くらいの時を経て、たまたま見かけたYouTubeで将棋動画を観て、改めて面白さを感じ、スマホにアプリなんか入れて、最近ちょこちょこやってみたりしてます。
あの頃覚えた戦術や囲い方、定跡、などは頭には刷り込まれているようで、多分私の知っているものは、古い戦法なんだろうけど、低いレベルのコンピューターには勝てます。
いきなりAIの話になります
今の将棋のスマホゲームでも、AIが活躍しています。
少なくとも私が小学生の頃にあった将棋のファミコンソフトのレベルを凌駕しています。
単に強い、ということだけではなく「どちらが今、有利か」「どの手で形勢逆転したか」など、簡単に確認も出来ます。
以下は、とある将棋アプリの、勝負が終わった後の解析の一部です。
ここで気になるのが「悪手」「疑問手」「好手」「定跡」「最善手」です。「序盤力」なども。
こういうの、判断できちゃうの、面白いなー。
と感じたと同時に、この発想で『自分の書いた文章を評価できる』時代なんて、もうすでに来ている。
そんなことを考えました。
AIが書く文章は、定跡と最善手?
もちろん文章は、将棋のような勝負事ではありませんし、パターンが一応は有限である将棋とは違い
展開には無限の広がりがあります。
(二人零和有限確定完全情報ゲーム、という言葉、ホントすごいよね)
また、将棋は前後の手には必ず繋がりがありますが、文章の場合には、場合により支離滅裂な流れで書くことだって出来ます。
でも、それを「定跡から考えると、話をこのように展開すべき」とか、「その言葉のチョイスは疑問手」「その表現は、悪手」みたいな評価が、もうすでに出来なくは無いはずです。
現時点で思うこと
実際にnoteでも、AIが文章のサポートをしてくれる機能が実装されていますし、私も試してみました。
また、ChatGPTもBingAIも、楽しく遊んでいる私ですが、あくまで現時点でのAIが書く文章からは、すでに柔らかさや、面白み、ウィットさ、すら出てきているように感じてきています。
こちらは、AIに「自分たちのポッドキャスト番組について、質問していく)というものなのですが、ここでのAIの返答は、とても人懐っこく、面白みがあります。
(ぜひ、ざっと聴いてみてほしいです)
ともかく、あまりに「クールな、淡々とした機械的な文章の場合」こそ、人間が書いたのか、AIが書いたのかはさておき、何となく「古臭い表現」のように感じてきています。
何が言いたい?
私が文章を書くことにおいて、どうAIを使いたいか?というと、文章作成をサポートしてもらうよりも、「書いたものを評価してほしい」です。
そこに「悪手」や「疑問手」があればあるほど、今の私は、たぶん喜びます。
「定跡」って言われる方が、悔しい。
そして「すべてが最善手」になるように、手直し、は、もっとしたくないです。
「定跡通りでもなく、疑問手ばかりな文章だけど、何故だか、響くものがある。記憶に残る」
そんな文章を書けるようになりたい。
そんな風に、AIと文章作成していきたいな、なんて思っています。今日はどしゃ降りの雨です。
あ、誤字脱字手直し機能は、もし使えるなら全面活用していきます。はい。
コジマサトシ/トナリコネクト