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義理の父からの『最後のプレゼント』(足音編)

みなさんこんにちは、327日後には『うつ病の妻』を自宅で支えるため、フリーランスになると宣言しているトモです。

昨日更新した、義理の父からの『最後のプレゼント』(過去の生い立ち編)の記事を読んでいただき、温かいコメントをもらえ、とても嬉しく、本当にありがとうございます。最後にいただいたコメントの紹介をさせていただきます。

そして、昨日も嬉しいことに、サポートをいただくことができました。応援の気持ちを裏切らないよう、奢らず、等身大の自分ができること、一つづつ頑張っていきます。この場を借りてお礼を伝えさせてください。本当に、ありがとうございました。

※『スキ』してる人は僕も好きです!猫ちゃんの写真がランダムで現れて、たまーに【大吉】が出るので、ぜひポチってみてくださいね!


今日のブログも義理の父の内容になります。内容が長くなるので、3つに分けています。今回は2回目で、前回のブログから見ていただけると、より背景がわかると思います。

ただ、義理の父へのわだかまりは『とても強烈』なので、冷たく、気分の悪くなる表現も含まれるかもしれません。予めご了承ください。


義理の父から、最後のプレゼントの『足音』

本格的な冬が来るまえの11月に、1本の着信が妹から入ります。

僕は妹と疎遠で、連絡を取ることはなく、大きな集まりがあるときに顔を合わせる程度。珍しいな。。と思いながら電話を取りました。


妹はしどろもどろになりながら伝えてきます。


義理の父親が急に動けなくなり、救急車で運ばれたと言われ、すぐに病院へ向かいました。意識がもうろうとしている義理の父親の容態を病院の先生から聞くと、『かなり進行している癌で、助かる可能性は奇跡が起こらないと難しい』そう伝えられました。

※妹は義理の父親の本当の子供で、幼少期から異常に可愛がっていました。亡くなる前、妹夫婦は離婚調停中で、義理の父親の家に、妹と子供たちが一緒に住んでいました。


涙を流す妹を励まし、どこか冷静に見ている自分がいる。そのとき、義理の父親の意識が戻り、妹に『だけ』話しかけ始めます。僕の存在は無視して。


『あぁ、やっぱり、ここでもか』


そして、なぜか妹の横にいる、見知らぬ男性から挨拶をされます。『妹さんと良い関係を持たせてもらっています』と。

妹は妻のことが好きで、妻とは連絡を取り合い、妻経由で妹が離婚調停中と、男性の存在を聞いていました。

あぁこの男性のことか。でも今この場で?離婚調停中じゃないの?色々な思いが駆け巡りましたが、妻から内容を聞いていたので、簡単な挨拶を交わした程度で終わりました。


義理の父はそのまま緊急入院となりました。


義理の父から、最後のプレゼントの『黒い影』

僕は夜通しで痛みと戦っている義理の父に付き添い、昼前になれば妹が彼氏と一緒に病院へ来て付き添いを変わり、夕方になれば僕に変わる。

義理の叔母もお見舞いに来てくれましたが、義理の父と妹は、義理の叔母と非常に仲が悪く、気まずい空気感も感じながら。。。


義理の父親は入院後、3日も経たないうち、あっという間に天国へ旅立ちました。最後は溺愛していた妹に看取られて、義理の父にとっては良かったのでしょう。

そのときに僕は、義理の叔母から、妹の横にいる知らない男性のことを何度も聞かれていました。


義理の父が天国へ旅立ち、葬儀の準備をすることになります。

幸い、義理の父には貯蓄があり、金銭的に心配をすることはありませんでした。(妹が全て管理し、いまでも詳しい金額は知りません)

妹は葬儀のことはよく分からないから、全て僕に任せるの一点張りで、義理の叔母、親戚、妻、地域の人たちに手伝ってもらいながら、長男の僕が喪主を務め、無事に葬儀を終えることができました。

そしてなぜか、妹の横には、本来夫がいる立ち位置に『彼氏』がいました。葬儀準備のときも、葬儀中も、葬儀が終わった後も。親戚や地域の人たちからの質問に答えるのが大変でした。

いま思い返すと、全てが皮肉だな。。。そう思います。


義理の父から、最後のプレゼントの『直前』

葬儀もひと段落つき、義理の父親に残された家族は、僕と妹だけになりました。(僕には弟もいましたが、弟は自殺をしております)


妹から伝えられた言葉、『お金は怖い、お金で人は変わるから、遺産はわだかまりが無いように、半分にしよう。』それが最初の約束でした。


そして、残された田舎の一軒家、田んぼ、地域の付き合いをどうするか、妹との話し合いが始まります。


妹は田舎の実家に未練がなく、別の場所で彼氏と一緒に住むと言います。


僕も最初は空き家にすることを考えました。

ですが、実家の地域は人口がとても少なく(20世帯もありません)、高齢化もしています。義理の父が請け負っていた地域の仕事、田んぼは、地域の助成金の兼ね合いもあり、誰かにお願いをしなければなりません。

地域の長からは、なんとかやってもらえないか、そうお願いをされます。


地域の人たちに幼少期に可愛がってもらった記憶と、葬儀のとき助けてもらいました。そして、義理の父には育ててもらった恩と、幸い孫は可愛がってもらえたこともあります。

僕は、実家には住むことはできないが、母の死後、義理の父が熱心にしていた地域の仕事を、請け負うことに決めました。妻も協力してくれる、その言葉がとても心強かったことを覚えています。


そして、地域の仕事を引き受けたことを妹にも伝え、返ってきた言葉は。。。


『は?マジで?好きにしたら』


その日から、家と実家の2拠点での生活が始まります。田舎の集まりに顔を出し、分からないことを聞きながら、しきたりを教えてもらう。田んぼを作る時間はないので、地域の方に頭を下げてお願いをする。

休日は実家の用事にあて、小さなことから、大きなことまであり、分からないなりにも、妻と協力しながらやっていました。


その生活が2ヶ月くらい経ったころ


泣き腫らした目、暗い顔で

妻から話しがあると告げられます。


続きは明日のブログで更新させていただきます。

いただいたコメントの紹介

最後に、昨日いただいた、嬉しいコメントを紹介させてもらいます。

僕の勝手な都合で、Twitterの返信はお休みさせてもらっていますが、全て目を通し、とても嬉しい気持ちをもらっています。

いつも、本当にありがとうございます!

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ここまで読んでいただきありがとうございました。

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トモ@『夫婦でうつ病』1年以内に自宅で稼ぐフリーランス
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