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義理の父からの『最後のプレゼント』(過去の生い立ち編)
みなさんこんにちは、328日後には『うつ病の妻』を自宅で支えるため、フリーランスになると宣言しているトモです。
昨日更新した、『父』と『父』いま思うこと。。。。の記事を読んでいただき、温かいコメントをもらえ、とても嬉しく、本当にありがとうございます。最後にいただいたコメントの紹介をさせていただきます。
そして、昨日も嬉しいことに、サポートをいただくことができました。応援の気持ちを裏切らないよう、奢らず、等身大の自分ができること、一つづつ頑張っていきます。この場を借りてお礼を伝えさせてください。本当に、ありがとうございました。
※『スキ』してる人は僕も好きです!猫ちゃんの写真がランダムで現れて、たまーに【大吉】が出るので、ぜひポチってみてくださいね!
義理の父親は一昨年、冬が来る前の11月に天国へ旅立ちました。
本当は、義理の父のブログを書くのは、もっと心の整理ができてから、そう考えていました。ですが、妻と話しをするなかで、『書いてみたら?』その後押しをもらったので、心の整理も兼ねて、過去の記憶を遡りながら書かせていただきます。
ただ、義理の父へのわだかまりは『とても強烈』なので、冷たく、気分の悪くなる表現も含まれるかもしれません。予めご了承ください。
今回のブログは長くなるので、3回に分けて書かせていただきます。
義理の父親の思い出(幼少期)
義理の父親との出会いは5歳の頃に遡ります。当時、母親と2人で暮らしていた僕のもとに、犬を連れた知らない男性がやってきました。
知らない男性と母親は仲が良く、男性が来るときはいつも母親から、連れてきた犬と一緒に外で遊ぶように言われ、僕は犬と一緒に外で遊ぶことが日課になりました。大人になったいま、そういうことだったんだな、そう思い返しています。
母親は男性と再婚をして、僕は小学校4年の1学期まで、義理の父とその両親と一緒に、実家へ住むことになります。実家での義理の父親の優しい思い出はほとんどなく、母親から虐待を受けて、顔の形が変形しているときでも、優しい言葉をかけてもらった記憶はありません。
義理の父と母親は飲んだビールの缶を、タバコの灰皿にしており、部屋においていました。普段ジュースを飲ませてもらえない僕は、部屋にある飲みかけのジュースを見つけ、ジュースの空き缶に口をつけました。でもその日はジュースの缶が灰皿だったのです。タバコの灰を飲み、まとわりつく匂いと気持ち悪さに苦しんでいたときも、心配をしてもらえず、冷たい言葉を言われた、その映像を思い出します。
義理の父と母親で一緒に出かけた思い出は、パチンコ屋しか思い出せません。両親がパチンコを打っているのを、ぐったりしながら何時間も暑い車の中で待っている。いま考えると車内放置ですね。
義理の父親の思い出(小学校〜16歳)
母親と義理の祖母の仲が悪く、小学校4年の夏休みに入るとき、両親と一緒に引っ越し、転校をしました。
土日は両親揃ってパチンコ屋に行くので、まだ小さかった弟と妹の子守をする。妹はまだ2〜3歳くらいだったと思うので、いま考えるとゾッとします。
パチンコ屋から帰ってくると、両親が揃ってお酒を飲みだす。義理の父は絡み酒だったので、理由もなく正座をさせられて、何時間にも渡り説教が始まる。足を崩すと怒鳴られ、僕が意見を言うと怒られる。ただの八つ当たりですね。
僕は家が嫌いで、16歳ぐらいから家を飛び出し、友達の家を転々としたり、野宿をしたこともあります。義理の父の記憶は、いつも酒を飲んで酔っ払っていて絡まれる。そして、お金にとても卑しく、お年玉は全て献上させられ、お小遣いをもらえない、そう覚えています。なので、幼少期から義理の父が飲んだビールの空き瓶を酒屋に持っていき、数十円〜数百円を大切にしていました。
そして、僕の記憶からは抹殺されており、妻から聞いて驚いた過去があります。
16歳の頃(妻とは16歳からお付き合いをしています)、妻と一緒に家へ帰ったとき、理由は覚えていないですが、義理の父と喧嘩になり、義理の父親が包丁を持ち出し、僕に向かって『殺してやろうかぁ』と叫んでいたそうです。うん、ヤバイですね、日常的にあったのでしょうか?
義理の父親の思い出(大人)
母親と仲が悪かった祖母は足が悪くなり、また義理の父の実家へ戻ることになりました。そのとき、義理の父に聞きました。自分の部屋はどこ?と。義理の父からは部屋があるような無いような、曖昧な返答を伝えられました。
その時まだ彼女だった妻のお母さんは、僕の幼少期の話しを知っており、今回の引越しで部屋が無いような感じを聞いて、『一緒に住もうよ』、そう言ってくれました。
そこから、両親とは疎遠の生活になります。
けど、義理の父が可愛がっていた妹が、両親の思い通りにならず、母親が助けを求めてきたことがきっかけで、しぶしぶ実家に足を運びます。
しかし、義理の父親は僕の意見に耳を傾けるわけもなく、お酒を飲んで説教をする、自分は正しいと意見を押し付ける、育ててやった、〇〇してやった、やったやった攻撃(僕には記憶がありませんが)、お前は長男だからしっかりしろ!、いつも同じ言葉の繰り返し。確かに育ててもらったことは感謝しておりますが。。。
何度か実家へ足を運んではいましたが、義理の父との関係は一向に改善されることはなく。。。
冬が来る前の11月に、妹から一本の着信が入ります。
続きは明日、更新させていただきます。
いただいたコメントの紹介
最後に、昨日いただいた、嬉しいコメントを紹介させてもらいます。
僕の勝手な都合で、Twitterの返信はお休みさせてもらっていますが、全て目を通し、とても嬉しい気持ちをもらっています。
いつも、本当にありがとうございます!
ここまで読んでいただきありがとうございました。
Twitterでも挑戦と、最近は家事多めの発信をしています。
フォロー、シェアをしてもらえると、とっても嬉しいです😊
多くの人は無理だというでしょう
— トモ@『妻はうつ病』1年以内に自宅で稼ぐフリーランス (@tomo__214) May 18, 2021
多くの人は無謀だと笑うでしょう
でも一度きりの人生だから
自分のやりたいことに挑戦したい
勇気を与える自分でありたい
過去を乗り越えた経験と
フリーランスになるまでの
絶望と希望の道のりを書いています
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