幸せってなんだろう?〜「ファスト&スロー」から幸福を考える
「ファスト&スロー」は、ノーベル賞を受賞したダニエル・カーネマンの書いた行動経済学の名著です。
UX界隈をはじめとして非常に高い評価を得ていますが、その長さのせいか、挫折する読者が跡を絶ちません。
当然の帰結として、巷にあふれるレビューの多くが上巻の内容で終わっているような気がします 笑。
だけども、この本、下巻ラストの第5部がとてもエモーショナルです。
そのエモさは、「記憶」と「経験」の話から「人生にとって幸福とはなんだろう?」というテーマへと昇華することに起因します。
このエモさを知らずに積ん読されるのは、少しさみしい。
近年、UXデザインにおいて「well-being(精神の良好状態)」という概念がクローズアップされており、人の幸福について理解を深めることはサービスデザインを中心に重要になっているようです。
この第5部を軽く眺めながら、みんな気になる「幸福」について考えていきます。
「経験」と「記憶」
第5部のエッセンスが詰まった思考実験として、下記が挙げられます。
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旅行の終わりに、撮影した写真やビデオをすべて破棄し、旅行の記憶をすべて消してしまう薬を飲むとする。事前にこれらのことがわかっている場合、あなたの旅行プランに影響はありますか?
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カーネマンによると「もし記憶がなくなってしまうなら、わざわざ出かける必要はない」と言い放つ人もいるそうです。
つまり、人間の中には「経験する自分」と「記憶する自分」のふたつが存在しており、重要視されるのは「記憶する自分」の方なのです。
カーネマンはもっと過激な例を挙げています。
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麻酔の効かない苦痛に満ちた手術を受けるとします。
あなたは手術中に泣き叫び、やめてくれと医師に懇願するでしょう。
ただ、手術が終わったら手術中の記憶を消す薬を飲んでよいので、
いやな思い出はすべて消し去ることができます。
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上記の思考実験では、ほとんどの人が「記憶が消されるなら手術を受けてもよいかも・・・」的な態度をとるそう。
「経験する自分」は冷酷にも無視され、「記憶する自分」だけが人生にとって重要になります。
「幸福」には2種類ある
以上から、幸福には2種類存在することがわかります。
すなわち「経験する自分」の幸福と、「記憶する自分」の幸福です。
「記憶する自分」は、出来事のピークとエンドの状態を拾っていき「物語」を作ります。
わたしたちの人生の目的は、この「物語」の質の最大化となります。
興味深いことに、そこでは「時間」の概念がしばしば無視されます。
例えば、80年間、たいへん幸福に生きてきた人間が、晩年に借金苦や病苦などに陥ったとします。80年の幸福な時間はどこへやら「彼は不幸な人生だった」と判を押す人が増えるのです。
どうやら、わたしたちは当の本人の気持ちは置き去りに、「物語」の質だけを気にするようです。
定量化できる「経験による自分の幸福」と、自分にしか分からない「記憶による自分の幸福」
「経験による自分の幸福」は定量化できます。
「今、痛いですか? 痛いとすれば、それは1〜10段階でどのくらいですか?」と質問すれば、「痛さ」の統計が取れます。
しかし、「全体としてどうだったか?」、すなわち「エピソードとしてどうだったか?」は各個人の胸の中にあり、うかがい知ることができません。
つまり、データから「記憶による自分の幸福」を抽出することは大変難しいのです。ここからカーネマンは施政者のあり方を論じています。
近年、あらゆる分野でデータ・ドリブン的な方向に面舵が切られていますが、そこで明らかにされるのは「経験する自分の幸福」がどうであるか?という側面が多く、「記憶する自分の幸福」はあまりクローズアップされません。
しかし、個々人にとってもっとも重要なのは「記憶する自分」による物語の質なのです。
近年の脳科学では、ヒトが快楽を感じる部位や幸福を伝達するホルモンなどが分かってきています。ということは、脳の適切な部位に電流を流したり、特定の物質を与え続ければ、みな幸福になるはずです。
この話に良い印象をもてないのは、ここには自分の「物語」が存在しないからです。つまり「経験する自分の幸福」の充足ばかりで、「記憶する自分の幸福」が考慮されていないのです。
「幸福」という言葉の難解さ。
人は「記憶する自分」のために、自分の物語を求めます。
どのような物語が「良い物語」なのかは、各個人の生まれつきの性格や人生観が反映され、万人に当てはまる正解はありません。
トラブル続きで散々だった旅行の記憶も、もしかしたら何の波風も立たず予定通りに終わった旅よりも「記憶に残る」という意味で、充実した旅だったと言えるかもしれません。
また、「経験する自分」をないがしろにしてもよい、ということでもありません。
心理療法では主に「経験する自分」を深掘りする方法が取られます。
たとえば「価値のない人生だった」という人がいたとします。
彼の体験を丁寧にふり返り、「経験」が連なるエピソードを再定義し、「記憶」の違う側面にスポットライトを当てることが、カウンセリングの基礎となるそうです。
ということは、結局「日々を一生懸命に生きていく」という、至極まっとうなことが「経験する自分の幸福」も「記憶する自分の幸福」も充足させられる、もっとも良い手なのかもしれません。
幸福研究を放棄したカーネマン
ここで終わる予定だったのですが、
「カーネマンは執筆後、幸福について、どういった研究成果を出しているのだろうか」
とワクワクして調べてみたところ、衝撃の事実が発覚します。
カーネマンは、2013年に幸福の研究を放棄していた。
えー。
カーネマンが、幸福の研究に対して疑念を持ち、放棄したのは事実らしいのですが、その原因はどうも要領を得ません。
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人間が作り出した「幸福」という概念は、かくも複雑怪奇。
「幸せになりたい」と思ったとき、その「幸せ」とは、人類でもっとも頭のよい人たちを悩まし続けている概念のひとつである、ということは覚えておくとよいかもしれません。