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モノを失くす人の気持ちがあまりわからないのです。

私には、モノを失くす人の気持ちがあまりわからない。

この世界には、自分がどこにモノを置いたかわからなくなって頻繁に探し物をしたり、急に必要になったときにそれが見つからなくて困って焦っている人がいるということは、知識としては知っている。

そして、そういう人を突き放すのではなく、適切に寄り添ってあげられるような人間でありたい、という気持ちは一応持っている。

しかし、正直なことを言うと、なぜそんなことになるのか、私には皆目見当がつかない。

私の場合、自分の持ち物や私物をどこにどのように収納するかが全て決まっている。それは、自宅の自分の部屋も、研究室のデスクや引き出しの中も、持ち歩いているカバンの中もそうだ。冒頭のような事象が起きないように、予め全ての所有物の保管場所を把握できている状態にした上で、さらに事前に何らかの工夫を加えて、それを忘れないようにしている。

いや、もはやそんなことすら考えていないかもしれない。私はほぼ無意識のうちに自分の所有物の管理場所を意図的に決定している。つまり、なぜそれがそこに収納されているのか、なぜそれがこの位置に置かれているのか、について、全て理由があるということだ。(無意識のように意図的に決定している、というのはちょっと不思議な表現だが。)

これをやっておくと便利なのは、何かモノを取り出したくなったときや、モノを所有しているかどうかを誰かに聞かれたとき、それを即答できることと、もし所有しているのならばすぐにそれを引っ張り出してくることができることだ。

これは、実在する所有物に限らず、私の場合はPC内のデータフォルダについても同じことが言える。全てのデータについて、なぜそれがそこに格納されているのか、なぜそのソフトウェアアイコンがその位置に置かれているのか、について全て理由があって、設計されているのだ。

だから私は、自分の所有物であるにもかかわらず、何の意図もなく適当にモノを放っておける人の気持ちが全くわからない。そんなことをしたら、ストレスに晒される毎日を過ごさざるを得ないことが明白であるにも関わらず、なぜそんなことをするのか、全く理解できない。

ちょっと言い過ぎたかな。

まぁ、なぜこんなことを書いたかというと、最近研究室の学生とそんな話をしたからなのだが、私のような感覚を持っている人間は多数派なのだろうか。少数派なのだろうか。

多分、普通の人よりはこうした整理整頓に対して過度なこだわりを持っている方ではあると思うが、ある程度ご納得いただけないだろうか。

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ともやの思考整理note
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