少しの努力を積み重ねるGiverの振る舞いが前向きさを生むのです。
ここ最近考えていたことが、色々と繋がって理解できてきたような気がする。
キーワードをいくつか並べると、「主体的にやる」「身銭を切る」「Giverになる」などだ。
これらは多分、本質的には同じことを言っているのではないか、と思えてきた。
そこまで気乗りしない何かの物事に取り組むとき、嫌々やるとか、仕方なくやる、みたいな姿勢でいると、結局何も得られないだろう。
仮に気乗りしなかったとしても、それに少しでも主体的に取り組もうとすることによって、きっとその経験から何がしかの価値を得ることができるようになる。
主体的に取り組むからこそ返ってくるものがあるのであって、そうでなければただ時間を無駄に過ごすことになってしまう。
しかし、ひとたび主体的に取り組もうとすると、一定のエネルギーが必要になるだろう。それは、自分のモチベーションを維持するためのエネルギーや、行動を起こすためのエネルギーなどである。
しかも、その物事と真剣に向き合うための一定の時間も、意識的に確保しなければならない。
物事に主体的に取り組むことには、そうしたコストがかかるのだ。
こうしたコストを払うことを、先日の記事では「身銭を切る」と表現した。
ただ、この「身銭を切る」という表現は、やや消極的なイメージを想起させるかもしれない。何らかの利益のためにコストをかけるという、少しドライな印象を与える表現かもしれない。
これをもっとポジティブな表現に言い換えるとしたら、それがおそらく「Giverになる」という言葉になるのだろうと思う。
自分が何かの価値や利益を得たいと思うならば、まず自分が対象物(人でもよい)エネルギーや時間をしっかりと使ってGiveすることが先にあって、それがあるからこそ、対象物から何らかの価値が返ってくるのではないか。
自分が今なんとなく現状を楽しめていないとか、人生の中で取り組んでいることに前向きになれていないと思うならば、そういうときこそ、目の前の物事に主体的に取り組んでみることが大事になる。
そうやって「少しの努力」を積み重ねるGiverになることができたら、また前向きになれるし、長い目で見たときの幸福の総量を増やすこともできているのではないか、と思う。