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大きな音が苦手なのです。
大きな音が苦手だ。
日常生活の中で、突然大きな音が耳に入ってきたとき、不意にそのことを思い出す。
音の種類は様々だ。
近くにいる人が机の上に重たい荷物をドサッと乱雑に置いたときの音。
自宅玄関のドアがバタンと強く閉まったときの音。
研究室がある建物の廊下にあるゴミ箱にペットボトルを捨てるために、ペットボトルを勢いよくグシャッと潰す音。
外を歩いている自分の真横を大型トラックが走り去っていくときの、アスファルトとタイヤの接触音やトラックの荷台が振動する音。
パチンコ屋の自動ドアが開いたときに一時的に聞こえる、店内の刺々しい音楽とパチンコ玉のジャラジャラする音。
こういう大きな音が聞こえるとき、私の感覚としては、びっくりするというよりもむしろ、「怖い」と感じる。
なぜ怖いと感じるのかと考えてみると、それはたぶん、その音を出している人間の感情が自分に向かって飛んできているように感じるからではないか、と思った。
例えば、1つ目の例に挙げた「机の上にドサッと荷物を置く」シチュエーションでは、普通であれば落ち着いて荷物を置けばいいところを乱雑に置くということは、その人間が何らかの心的ストレスを感じていて、それを態度に表した結果なのではないか、そのストレスの原因が私に関係することではないだろうか、ということが想起されるからだ。
ただし、この思考過程はどんな場合においても当てはまるわけではない、ということは当然自分でもわかっている。
もしかしたら、落ち着いて荷物を置けないほどに荷物が重すぎて大きな音が出てしまったのかもしれないし、そもそもその人があまり物を丁寧に扱わない人間で、特に心的ストレスを感じているわけではないかもしれない。仮にストレスを感じていたとしても、それが私が原因でストレスを感じているわけではない場合も大いにあるだろう。
だから、もちろん頭で考えれば一定時間経過後に状況を落ち着いて理解することはできるが、最初の瞬間的な反応としては、「大きな音を出している人間のストレスや感情が自分に向かって飛んできている」ように感じることが、「恐怖」という形態で自分の感情として生まれるのだろう、と思ったのだ。
もしこの感覚が、ある程度自分の感覚として適正に言語化できているとすれば、私は自分が思っているよりも結構繊細な人間なのかもしれない、とも思う。
そんなに人の目を気にせずに自分の思ったことを自分のペースでやる人間だし、「人の気持ちがわからない、共感性が働かない」人間だと思って生きてきたが、実は上記のような繊細な部分を理性の力で瞬時に抑えつけながら日々生きているのかもしれない。
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