見通しを持つことで楽に動けるのです。
先々を具体的に見通す力があれば、なるべくこの世界に無駄な作業を生み出さずに済むのではないか?と思ったりしてしまう。
何らかのアクションをしたと仮定したときに起こり得る事象を事前にできる限り想定しておき、望ましくない状況が起きそうな場合は、アクションを起こす前にその事象の芽を摘んでおくのだ。
例えば、昨日書いた「モノを失くす」という事象を起こさないために、事前に考えておけること、できることがある。
自宅に帰ってカバンを下すと同時に、面倒だからと家の鍵を適当な場所に置いてしまうと、翌朝家を出るときに鍵をどこに置いたかを忘れて慌てる、という事象があり得る。
そういう場合は、上記のような状況をよく想定した上で、家の鍵を置く場所を予め決めてしまい、使うとき以外は必ずその場所に置いておく、というルールを作ってしまえばよい。
もう少し踏み込んで考えれば、その場所を玄関の扉を入った目の前にしておくことによって、家に入った瞬間にそこに置くことができるから、より失くしにくくなるような工夫になる。
このように、余計な動作や作業を生まないために事前に頭を使っておくことができれば、不要なストレスを抱えずに、より生きやすくなる可能性はある。
そんなことを思ったのは、これまた先日子どもたちと行ったキャンプにて炊事作業をしているときだ。
いくつかの班が並行して、各班での炊事作業を進めている中で、私はあることに気がついた。それは、同じ炊事場を使っていたある2つの班のそれぞれの机の上の様子が全く違う、ということだ。
一方の班の調理台の上は、必要な道具や食材以外は適切に収納されていてスッキリしている状態で作業できているのに対して、他方の班の調理台の上は、そのときに使わない備品なども散乱し、無秩序に調理が行われている。
このどちらの状態が良い状態なのか、を簡単に決めてしまうことはできない。なぜなら、机の上は綺麗な方がよい、そちらの方が合理的だし美しいという感覚(これは私の意見)も1つの価値観、感性に基づくものだし、一方で、机上が雑然としていた方が、粗削りで洗練されていない、子ども集団ならではの美しさを表しているという感覚も存在して然るべきだからだ。
私の個人的意見としては、机上が荒れていると必要なものがすぐに揃わなかったり集中力が削がれたりして炊事作業の効率が落ちそうだから、メンバーが動きやすいように場を整える意味で机上を整理することは重要だ、と思っていて、その集団のリーダーがある程度の見通しを持ってそれを担うことは必要だと考えている。
これによって、都度机上の片づけを行うことが不要になり、机上の片づけをするために使うはずだったエネルギーを、本来使うべき別の作業に振り向けることができるのである。
最初の見通しさえあれば、無駄な作業を省き、本来やるべきことに時間を使うことができる。
これを、世の中の様々な場所で行っていければ、もっとみんなが楽に動くことができ、みんなで幸せになっていけるのではないか、と思うが、実際には不確かさがたくさんあるから、そううまくはいかないんだろうな、と思う。