究極のリスクヘッジ思考が足枷になるときがあるのです。
これまで私は、特別なやりたいことがあるわけではなかったから、今ある選択肢の中で、より楽しそうな、より前向きな、より自分自身を発展させられそうな方へと進路をとってきたところがある。
それが今、ここにきてなんだかこれまでに感じてきたものとは違う漠然とした不安が胸中に渦巻いているような気がする。
本音としては、やりたいことは全部やればいいと思っているし、やりたくないことはやらない方が精神衛生上もいいし、自分の得意なことに特化して、苦手なことは周りの人にお願いしながら生きていけばいいとも思っている。
そのはずなのに、どこか自分の腹を決めきれない。何かを捨てきれないような感じがする。
そういう、ある意味で、究極のリスクヘッジ思考が私にはあるらしい。
それは、「混乱には予測可能性と仕組みで対処する」という自分自身の性質からも明白である。
この、なぜか満たされない思いの正体は一体何なのか。
やりたいことは全部やればいいと思っているとはいえ、特別なやりたいことが見つかったわけでもない。これまで選んできた進路にしても、それをやりたかったというよりは、そちらを選んだ方が自分にとってプラスになりそうだ、という相対的な選択でしかなかった。
自分の中に、自信を持って選択するための絶対的な軸を作らなくてはいけない。
今暫定的に考えている進路も、これまでと同様のやり方で選ぼうとしていることには間違いない。
しかし、少しでもやりたいと思っているなら、それを選択したっていいはずだ。
だとしたら、そっちに移った方がいいのかもしれないが、今のステータスを完全に捨てることに対する未練がないでもない。
研究に対する未練というよりは、この比較的恵まれた生活を手放すことへの不安感なのかもしれない。
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