喫煙者の肩身の狭さも理解はできるのです。
先日、午前中の用事を済ませた後に、夜からの友人との食事会までの時間が数時間空いたので、ブログでも書こうかとカフェを探していた。
駅の近くのチェーン店系列のカフェにいくつか入ってみたのだが、休日の午後ということもあって、作業に適した個人机は、そのほとんどが学習に励む学生や大人たちによって埋まっていた。
そこで、周辺のカフェを検索し、駅から少しだけ離れた個人経営のカフェを見つけてそこに向かった。
扉を開けて中に入ると、中年の夫婦が出迎えてくれた。中の席はほとんどが埋まっており、カウンターの数席が空いていたので、入り口に最も近いカウンター席に座った。
すると、メニューを渡されると共に開口一番、「おタバコ吸われますか?」と聞かれた。
結構です、と断りを入れた後で周りを見渡すと、ここにいる客のほとんどが喫煙していることに気づいた。
しまった、ここは喫煙OKのカフェだったのだ。入った瞬間にはタバコのにおいが全くしなかったので、全然気づかなかった。
私は喫煙者ではないから、普段であれば喫煙席は当然のように避けるのであるが、既に駅周辺を歩き回って少々くたびれていた私は、他のカフェを探すのも面倒だったので、そのままここで時間を潰すことにした。
コーヒーを注文した後で、近くのカウンター席で焚かれたタバコの煙に包まれながら、しばらく店内を観察した。
店内はほどよく年季が入ったような雰囲気を纏っていて、カウンター正面のキッチンの背景には、多種多様なカップとソーサーがオシャレに並べられている。
カウンター席の目の前には、手に取れる位置にこれまた年季の入った多種多様な旅雑誌がザっと並べられていて、BGMには客の会話をちょうど邪魔しないくらいの音量で静かな弦楽奏が流れている。
総じて、心穏やかな気持ちを誘うような店内だった。ただし、タバコの煙を除けば、であるが。
喫煙者ではない私にとって、タバコの煙は結構キツイ環境ではあるのだが、普段は絶対に選ばない喫煙可能な飲食店をたまたま利用することになったことを、あえてラッキーだと捉えてみようと思った。
まず、駅周辺の多数のカフェの席がほぼ埋まっていたから、座ってPC作業ができる場所を得ることができたことはラッキーだった。この記事も、実際にそのカフェの店内で書いている。こうしてブログやエピソードトークのネタができたこともラッキーだ。
次に、喫煙者の心理を疑似体験することができて、それは1つの学びになった。
近年、飲食店が次々と禁煙化する中で、喫煙者はそれなりに肩身の狭い思いをしているだろう。
私は喫煙者ではないから、正直に言えば、そんな肩身の狭い思いをするくらいであれば、さっさと禁煙してしまった方が良いのではないか、と考えたりするのだけど、おそらく喫煙者の人たちはそういう思考回路で自分の行動を決めることは無いだろう。なぜなら、喫煙すること自体が彼らの目的だからだ。
加えて、たまたま私が入口近くのカウンターに座っていたこともあって、会計時のレジでの会話がおよそ聞こえていたのだが、経営する中年夫婦と客、また客どうしの多くがどうやら顔見知りであることが分かった。これによって、このカフェを中心に喫煙者によるコミュニティが形成されているような空気感を感じさせた。
だから、こうした喫煙が可能でかつ雰囲気のあるカフェは、喫煙者にとっては大きなニーズがあるのだろうな、と思った。
確かに社会に一定数は存在する喫煙者に対して、彼らの一定の権利を守りつつ、どこまでどのように社会的に対応していけばよいのかを考えさせられた体験になった。