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コミュニティの運営者はコミュニティに依存してはいけないのです。

ここへ来て改めて、コミュニティを運営する人間の役割や振る舞いについて考えている。ここ数日の記事も、意図せずそういう内容が多かったと気づいた。

コミュニティを運営する立場の人間として、いかに振る舞うべきだろうか。

そう思ったのは、私がこれだけコミュニティ運営についてつい考えてしまっているのに、現状ではそれを自身の収入に結び付けようとしていないからだ。

コミュニティを運営する立場の人間がどのように生活収入を得るのか、という具体的な例をいくつか考えてみると、一番わかりやすいのは「政治家」だ。政治家は、その収入源は元をたどれば国民から集めた税金に帰着するだろう。

同様に、コミュニティの成員が何らかの考え方と方法でお金を集め、それをコミュニティ運営に従事する代表者の生活保障のために充当する、というやり方は、多くのコミュニティで行われているだろうと予想する。

このやり方は、国家における政治家のみならず、例えば宗教団体も考え方としては同じだ。各メンバーの負担する金額が著しく重たいかどうかに違いがあるだけなのだ。(良質な国家と悪質な国家、良質な宗教団体と悪質な宗教団体の違いの1つはここにあると私は思う。)

このやり方は、コミュニティに一定の人口がいて、かつ一定の活気があれば、それなりに成立する方法だ。

しかし、あるタイミングでコミュニティは成熟し、活力を失うタイミングがある。そのとき、成員の負担は大きくなり、それを放置すると後に重課金体質に繋がり得る。

長くコミュニティを運営したいのならば、おそらくコミュニティの運営者は、コミュニティに金銭的に依存してはいけないのだと思う。運営者自身は何か別の方法で主要な生活収入を得て、コミュニティの成員から重課金をしてはならない。

言ってみれば、コミュニティの運営は、やりたい人間が趣味としてやるものなのかもしれない。

ただしそれは、コミュニティの運営という仕事に対してお金を出す価値がない、ということを意味するわけではない。コミュニティの運営は、抱える成員の数が増えるほどに高度な政治や体制が求められる仕事であり、それらに対する金銭的報酬は発生してしかるべきだ。

しかし、コミュニティ運営者はそれに依存してはならず、様々な意味で自律的に振るまう必要があるのだと思う。

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ともやの思考整理note
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