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区切りについて 〜新年を迎えて〜
「一年の計は元旦にあり」と言われるが、皆さんは新年を迎えるにあたり、何かしらの目標なり計画を立てられるだろうか。
計画を立てる人、立てない人、もしくは元旦を区切りとはせず、誕生日を区切りにする人もいるだろうし、四月を始まりにする人、記念日を区切りとする人などなど、人それぞれに何かしらの区切りをつけているのではないだろうか。
区切りは何も一年や一ヶ月といった時間や期間だけでなく、内と外など、もしくはプライベートと公の場所などの空間の区切りもあるだろう。
「金の切れ目が縁の切れ目」のように、経済的な側面が区切りとなる場合もあるだろう。
このような区切りとは、では一体何を区切っているのだろうか。
ただ単に、時間や空間、お金などの区切り、仕切りをつけているという意味であろうか。
私は、その人のこころ、を区切っているのだと考える。
何かしらのけじめかもしれないし、諦めかもしれないし、逆に何かしらの達成によるものかもしれない。
そのような、こころの状態を、何かしらに向けての準備状態にする、臨戦態勢にする、構えを作る、備えるなどの、こころの節目を作る。
区切ることによって、新しい何かに向かっていく態度を作るのである。そうすることによって、気持ちを新たにしたり、状態を整えることによって、物事に向き合いやすくなることは想像に難くないと思う。
このような作業は、区切りをつける前の自分について、その状態を肯定するなり、受容するなりの自己肯定、自己受容の作業が関係していることにも意義がある。
何も特別な目標なり計画などなくとも、このような区切りをどこかしらで、その人なりにこころの中で行っていて、未来なり少し先の将来の自身の在り方を定位することにより、するべきことを整理することで、不安要素を少なくし、今この瞬間に何をすればいいのかが自ずと見えてくるのではなかろうか。
いたずらに大きな目標や計画を立てても、取り組み始めてみると、自分にこの目標なり計画なりを成し遂げられるだろうか?などと不安になられる方もいるだろう。
なので、あまりに大きな目標や計画は、計画倒れに繋がりかねない。適度な期間なり空間なり予算なりを想定して、区切りをつけていくことが望ましいのではないかと考える。
なんのためにだろうか。
自分らしく在る、自在へ向けて。
今年は昭和100年にあたる年らしい。
こう聞くと、私は昭和生まれなので、時代の移り変わりを強く意識させられる。
ここでも一つの区切りをつけている自分がいる。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
2025年 元旦
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