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「誰も知るように、栄光の味は苦い。」
ボス格が率いた遊び仲間と過ごした少年の日々が、僕にもあった。
捕まえたカエルの皮をはいで、串刺しにして降りまわすことで勇気を示したり。仲間の中には序列があった。
そして僕は、大人の二面性にイラついていた。
物語の中、13歳の少年登の友達、”首領”が言っていた。
「…父親というものは!考えてもみろよ。あれは本当に反吐が出るような存在だ。
…奴らは僕たちの人生の行く手に立ちふさがって、自分の劣等感だの、叶えられなかった望みだの、怨恨だの、理想だの、自分がとうとう一生人に言えなかった負け目だの、罪だの、甘ったるい夢だの、自分がとうとう従う勇気のなかった戒律だの、……そういう莫迦々々しいものを何もかも、息子に押しつけてやろうと身構えている…」
「少年の心」を持ち続けることの素晴らしさを思っていたのは、いつ頃までだったのか思い出せない。
今、文学の力が必要だと思う。
たとえばこの本が、大々的なプロモーションとともに今年初版出版されたとしたら、どうだろうか。
もういいからっと叫びたくなるようなHow toに溢れた情報の中で、作家の文学的な比喩を論じるようなことが救える人生も、あるような気がした。
(昭和43年/三島由紀夫)