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ただの恋愛小説じゃない。

たとえば僕は、朝起きるとまずリビングの窓を開けて、何の変哲もない景色と狭い空を見上げて、空気の匂いを確かめる。その時感じたことをとくべつなことがない限り誰かに伝えることはないけど、そういったルーティンもその人の内面を積み上げていくサプリメントだと思う。

「すべて真夜中の恋人たち」

フリーランスで書籍の校閲を請け負う34歳の「わたし」の恋物語。恋の相手はひょんなことで言葉を交わすようになった58歳の「三束(みつつか)さん」。
仕事仲間の女性「聖」は人付き合いの苦手な「わたし」がふつうに話せる数少ない友人のひとり。
全編に渡って、細やかで美しい心情表現や情景描写で覆い尽くされている。
2か所を抜粋してみた。

夜があけて、朝がやってきて、すみずみにまで行きとどいている空の青さをみなが ら、目には映らないけれど、三束さんに教えてもらったそこにあるはずの無数の光の ことを思い、仕事をし、そうしているうちに薄暮がおとずれ、毎日は何度でも夜にな った。

三束さんの顔をみないままに頭をさげ、テーブルを離れ、外へでた。扉まで、八歩だった。この夜の入り口のどこでこんな音が生まれるのか想像もできないほどの雨のなかに立てば、わたしの全身は一瞬で輪郭を奪われ、目をあけることもできなかった。 バッグの底から、髪の先から、ひじからあごから雨は流れ落ち、わたしはスニーカーのなかで雨を踏み、これ以上はひきのばせないくらいの長い一歩を何度もかさねた。 角をまがるところまで来たとき、目を閉じて、息を吐いた。そして祈るような気持ちで五秒をかぞえ、ゆっくりとふりかえってみた。でもそこには誰の姿もなかった。

読み終えた文庫本を復習するように、印象深い描写を何度も読み返した。
作家の圧倒的な才能を感じざるを得ない。


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