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記憶は、ありふれた箱?
川上未映子「ウィステリアと三人の女たち」
友人もいないのに同窓会に参加する女優。
毎日一日中デパートで過ごしてブランド品を買う女。
解体中の向かいの家に住んでいた老女の過去を想像する主婦。
何十年も前、老女には唯一愛したイギリス人女性がいた。
迷路の中を進むように読み、ところどころでドキッとさせられる。
読み終えて現実世界に戻ると、脈絡がないと思っていた4作の短編が繋がった。
それは「記憶」。
だからわたしが記憶について、箱っていう、ごくありふれたかたちを思い浮かべたとしても、そのことについて恥じる必要はたぶんひとつもないと思う。
(中略)
そう、たとえば自分のなかに無数の箱があって、気が向いたときに取りだして適当に埃を払って蓋をあけて、好きなときに鑑賞したり、確認したり、そんなふうに扱ったりできるものじゃないってことで、箱はいつも自分じゃないところに存在していて、ある日とつぜん知らない誰かから不意に手渡されるようにしてやってくる。これ、あなたのでしたよね? お忘れですよ。あるいは、怒ったような顔をした誰かと出会い頭にぶつかって、そのまま胸の真ん中に突きつけられるようにして届く。またあるいは、気がつけば足下に箱だけが置かれていて、顔をあげてふりむいたところで、もう誰の影も残っていないような、そんな感じで。
突然立ち上がった古い記憶に不安になる。
もしそうなら今の自分は違うのかもしれないと。
自分の知らない自分のほうが本当なのか。