記事『ゴルバチョフは語る 西の「約束」はあったのか NATO東方不拡大』について
『ゴルバチョフ氏は、ソ連解体を決めたエリツィン元ロシア大統領らは「独立すれば万事うまくいくと説明していたが、現実は違った」と批判。解体に反対した自分の警告には「誰も耳を貸さなかった」と悔やんだ。崩壊後のロシア指導部はNATO拡大に「当初は活発に反応せず、後で私に罪をなすりつけた」と不満を表した。』(別記事より引用)
当時のゴルビーの立場を察すればさもありなん…彼のやり方でソ連が生まれ変わっていけば、今の悲劇は避けられたのかもしれないが…そもそも自由主義陣営の軍事同盟であるNATOは、仲間入りを望む国が他国に何ら憚られることなく手を挙げられなければ、その存立意義を失うわけで…鉄のカーテンから解放された東欧諸国やバルト3国がNATOに靡いたのには、それだけ旧ソ連の脅威が彼等にとって深い傷として残り、共和制となった新生ロシアに対しても一向に心を許すことができないという背景があったに違いない。はたして西欧、そしてなおも〝世界の警察〟たり得ていた米国にそれを拒むことはできただろうか。
一方で、ならばロシアもNATOに入っていたなら…という議論がある(エリツィンは一度はそれを望んだという説もある)。お世辞にも自由な民主主義国家とは言い難いトルコまでもが古くからNATOに加盟している実情を鑑みるに、実態としてこの軍事同盟はイデオロギー二の次で、利害関係の一点でのみ結びついて肥大化した枠組みであり、冷戦終結後の〝来るもの拒まず〟路線は〝世界の警察〟をやめようという米国の相対的な国力低下の裏返しとも言えるのかもしれない。ならば…であるが、今回の危機で、共にキエフ・ルーシをルーツとするロシアとウクライナが長きに渡って〝辺境〟から西欧に対峙してきた歴史的背景がクローズアップされたが、その記憶、あるいは帝政ロシアに至るまで、オスマン•トルコに滅ぼされた東ローマ帝国の継承国を自認してきたという国家の矜持に鑑みれば、彼等は単なる「ヨーロッパ」の枠組みとは相容れない(どうしても対抗してしまう)DNAを受け継いできている、そう思えてならない。
やはりワルシャワ条約機構と同様にNATOは冷戦終結後に解散すべきだったか…戦勝国側は簡単に枠組みを解消できないものなのか、思えば、現在の国連は第二次世界大戦の連合国が母体というか、そのものとも言える組織である。だったらNATOを発展的に国連軍と同化させられないものか…という理屈も成り立ち得たはずだが、そこは第二次大戦の亡霊ともいうべきか、拒否権を有する常任理事国=戦勝五大国が既に袂を分かっていて機能不全。(旧ソ連が共和制ロシア連邦に移行しても)東西どちらの陣営にも居なかった専制主義大国、中国の存在が…(厄介なことに、彼等にも中華思想とともに近代化の遅れの過程で辛酸を舐め、国家のプライドを汚されたという怨念もある)。
哀しい哉、「国家」なるもの、その概念が地球上から消える日が来ない限りは、永遠に戦争という絶対悪を無くすことはできないかもしれない。
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