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隼之介さんと、バンドマンを辞めた推しの元ベーシストの話

隼之介さんのことを仕事帰りの地下鉄で知り、
無言で目を見開いて呆然としていた。

発表から3日、実感はなく涙も出ずため息をつく日々。

こういう深い悲しみは3年、7年とか大きい時間規模で向き合うものだと思う。
何日経ったけどまだ立ち直れない、、というツイートをいくつか見たけどそれが普通。1年経ってもまだ短い方。

彼は私がTwitterでフォローバックを貰っているバンドマン2人のうちの1人だった。

売れても10万人くらいの人にフォローを返す、律儀で優しい人だった。

そんな彼を最初で最後に見たのは
2019年のJOIN ALIVE。

sumikaが出る北海道のフェスといえばワンマンのWESS主催のRising Sunだったのだけど、マウントアライブのジョインに初めて出ることになり驚いた。その年で10周年ということもあって。
普段私がワンマンを見に行くバンドが集まっていた1日目のチケットだけを取り、その日の最初に見た本命のバンドだった。

片岡さんの「本気のリハーサル開催します!!」の掛け声とともに始まった。
コロナ前だったのでリハで歌ったMAGICでは
「It's a MAGIC!!」の合唱が起こった。

本篇もマイリッチサマーブルースでタオルを回し、フィクション、伝言歌、Loversとヒット曲をノリノリで聴いた。初めて知る曲も好きな曲もすべて堪能した。

隼之介さんはギターの裏面が胸元に当たるくらい
高い位置で弾く人だった。
私はギター側下手で見ていたのだけど、
やたら高めに持つなー楽しそうだなーこの人と私Twitterで繋がってるのかと思ったのをよく覚えている。

この初めての生sumikaが楽しかったので
これはワンマン最高だろうなと肌で感じた。

だけど金銭的な理由で本当に行きたいバンドだけにワンマンは絞らざるを得なかった。
正直なことを言うと私が行くくらいならもっと本当に好きな人に行って欲しかった。
(追記 嘘です。思い返せば何度も行ってみたいと考えてた。倍率の高さから諦めてました。)
そして最近の新曲はなかなか追えていなかった。

本気で好きな人の中にも色んな事情で行けなかったり、それを後悔した人はいると思う。ライブよりも優先させなきゃいけない仕事、勉強、子育てがあるのは仕方のないことだしsumikaもそれを分かってくれているはず。
 

初めての生sumikaを目に焼き付けたその日、
ワンマンを見に行くレベルで好きなKANA-BOONをふたつ目に大きなステージで見た。
今でも一番好きな当時のベーシストの姿はそこになく、活動休止中だった。

彼は6月に突然メンバー含め誰とも連絡が取れず居場所もわからなくなってしまい、警察に捜索願が出された。失踪騒動だった。
無事に自ら帰宅したものの、音楽活動へのプレッシャーが原因で精神的な病気になっていた。それを治すための休止だった。
音信不通になったことを知った日の気持ちは今でも忘れない。
今どこにいるの、どうして誰も連絡取れないの、何に巻き込まれたの、お願いだから無事であって。
消息がわからない間はずっと不安で、
全身をぐるぐるとロープで縛られたように体が締め付けられるのを感じた。
そしてその後彼がステージに上がることはなく、脱退を発表した。

バンドマンとしての彼を二度と見れなくなってしまうのは本当に辛かったけど、
彼の人生が続いていくなら好きな場所で好きなことして限りある時間を幸せなものにしてほしい。
どうか元気で。
そう思った。
彼の近況を知ることは諦めていたのだけど、現在彼は音楽以外に前から好きだったことをして楽しく生きている。それが救いだった。


好きなバンドマンが生きているか話せているのかわからない時間は、今までの好きなバンドの出来事の中でものすごく苦しかったことだった。

だからsumikaが人生の一部である人たちにとって、好きな人の人生が絶たれてしまうのはどれだけ辛いことだろうと今も心苦しい。
彼らのバンド仲間、sumikaメンバー、隼之介さんは今何を感じているんだろう。

優しい人ほど早くいなくなってしまう謎が早く明かされてほしい。そして誰にとっても好きな人が元気で長生きできる世界であってほしい。

これからのsumikaがどうなるか分からないけど、
どんな形であってもこれまで以上に励ましていきたい。

隼之介さん、ありがとう。


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