人生と仕事の道しるべ。
私は、理学療法士として13年、老人保健施設、整形外科専門の急性期病院、脳卒中専門の回復期病院と経験した。
働きながら常に感じていること。
本当にこのままでいいのか。何か自分にできることはないのか。
常に患者様への治療アプローチは全力で行ってきた。
きっとこれからも変わらない。
しかし、EBM(科学的根拠を追求しなければならない)の結果、例えば、ボバース等はEBMが低いとみなされる。
個人の力量ではないのか?と思うが、個人の力量を許さないのが、EBMだ。
どこの病院、誰がやっても、結果は同じの医療を目指す。
素晴らしい言葉で、患者様にすれば有り難い。
それは、新人でもベテランでも同じ結果を出す。
むしろ、ベテランより、EBMが正しい。
そんな世界。
そんな世界で戦っている現在。
患者様と向き合う中で思うこと。
自分じゃなくてもいいのでは。
EBMを掲げて最もらしいことを言う人ほど、患者様、個人への配慮が欠けている。
それでいいのだろうか。
この世界から離れたい。
そう思い。
ずーっと考えていた。
自分にできること、急性期の整形に勤めていた時、運動麻痺が原因で職場復帰が困難な患者様に対してデバイスを開発してGANTZスーツを作り生活及び職場復帰をサポートしていきたい!
そう思いたち、
整形の急性期病院を辞めて、ポリテクセンターでプログラミングを学びに行った。
プログラミングを学び終えて思ったこと。
一からGANTZスーツを作るのは無理だと感じた。
老人保険施設の時から脳にも興味があったので、
中枢神経からの運動麻痺も勉強してGANTZ計画を再構想したい。
そういう思いもあり、脳卒中に特化した回復期病院に入社し現在に至る。
そこで、プログラミングは無理だと感じたので、GANTZ計画のチームを作るにはどうすればいいのだろうか。
と考えていると、起業家を育成するアントプレナーシップの勉強会に個人的に参加することが出来た。
半年間どのように創造し起業するか、どのように利益を生み出し、事業を継続していくかを働きながら学んだ。
そこで直面するのは、投資費用、計算上1億円以上の借金を負わないと成り立たない。
正しいメンターに合うことができるのか。
既存の技術を組み合わせれば実現は可能そうだが、大手企業と大手企業を結びつけなければならない。
そこには、特許の壁もある。
これは、幼い子供が2人いる身ではリスクが高すぎる。
そう感じながら、臨床現場で患者様のアプローチを行っていくと、ずっと閉眼、意識がない患者様に何度も遭遇する。
座ることも寝返ることも困難な患者様。
医者もお手上げなのか、リハビリで状態維持とのこと。
その患者様が自分に訴えかけてくるのを感じた。
「あなたは、私に対してどこまでアプローチできるのか?」
「それは、科学的根拠で目覚めることができるのか?」
「この身に対して最大限の力を、あなたは引き出してくれるのか?」
これは、自分自身の声が自分に反響しているのか、目の前の患者様の声なのか。(口は閉じているが)
確かに語りかけてくるようだ。
色々な方法や試行錯誤しながら、西洋医学的なアプローチで身体機能からその人の意識まで踏み込もうとするが、閉眼。
しかし、頷く動作が見られた。見間違いではない。やはり通じているのか。
そうか、自分は、逃げていた。
運動麻痺に対して簡単に外からデバイスをつけて動きを出そうなんて、
人間の可能性を信じていない。
人間の身体に対するアプローチが他にもあるはずだ。
それはなんだ?
と思った瞬間。
「鍼は、東洋医学ならどうなのか」
と心に浮かんだ瞬間、患者様を見た。
ああ、
これは、
患者様から自分に訴えてきているのでは、、、
いや先祖的な何か、、、?
と言うのも、自分は、去年、
今年一年の目標は、英語をマスターして、
GANTZ計画の実行のために、今年こそ大学院に行こうと考えていた。
しかし、都会と田舎育ちの差をずっと考えていたら、自然のことを考えるようになり、自分の生まれた故郷のことを考えるようになっていた。
たまたま、故郷に帰る機会があり、田舎道を歩きながら自分がすべきことを考えていると、自分の先祖の墓にたどり着いて参っていた。
今まで先祖など関係ない。
自分は自分であり、
現在と戦っているのは、自分なので、
その結果も自分の努力次第だ。
と思っていた。
しかし、故郷から離れて都会に住んでいると、自分が過ごした町やそこで過ごしていた先祖の方々のことが気になり、今年に入って漠然と調べ始めていた。
自分の名字、家紋、地元の歴史(風土記)それらを調べてる最中、あのできごと。
その患者様からの「鍼、東洋医学ならどうなのか」の声?のような音?のような反響しているような感じの空間に自分が立ち、目の前の患者様。
確かに、今年一年、目標にしていた英語の勉強は全くせず、地元の歴史と日本の歴史、特に古墳時代~奈良時代、神話や仏教、神社など、先祖を振り返ると必然と自分のすべきことは何かと強く考えるようになっていた時だった。
その時期と合間って、その体験から、東洋医学が気になり始めた。
もしこの患者様に東洋医学でアプローチすることができれば目は覚ますのだろうか?
西洋医学の限界を突破できるのは、EBMにない領域なのではないか?
東洋医学を学んでみたい。
しかし、現実がのしかかった。
子供2人に家のローン、奥さんとの共働き、学校受験とその学費、職場に相談など色々、その先やっていけるのかどうか。
立場上、自分の人生だけではないのは確かだ。
長くなったので、経過はまた書こうと思います。
読んで頂きありがとうございました。