tokuchan

いつもいつでも自分にほっとする 生活を愛おしく豊かに、自分らしく \\私でよかった!// 笑っちゃうくらいしあわせ感じる 人生ストーリーへ転換 ◆『ちょっと変わった自分絵本』◆ 自分の本質に気付く個別セッション してます💫😊💫 https://lin.ee/PGOhHoI

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生活を大切にすること

自分時間を大切にしながら、尚且つ暮らしを楽しむ心の余裕を感じる人に惹かれます。 SNSで見る人の豊かさを追っては自分も同じように、好きなものトキメクものに囲まれたい欲でいっぱいだった。 誰かの暮らしを見て羨ましく思っているときほど、それっぽいことを頑張っていたり、『丁寧な暮らしとは〇〇』のように自分の生活に無理に当てはめるような感じで、本質的なところでは自分と向き合えてなかったなと思います。 最近思うのは「生活を大切にしたい」という表現が自分には合っているなと思うこと。

    • 自分とちがうは切り離す?

      自分と違うと感じるもは 切り離して見てた ⁡ ⁡ 娘が産まれた時、 「この子を守りたい」 そんな強い思いは勝手に 見えない敵を作っていった ⁡ ⁡ 食べ物や家族、 敵か味方かのジャッジを 繰り返す ⁡ ⁡ "敵"から守ることで 娘への愛情、優しさ、母親として を感じる気がしてたから ⁡ ⁡ でもそれこそが 自分を苦しめることになってた ⁡ ⁡ その分離の意識が 今まで敵でもなんでも 無かったものを敵にする ⁡ ⁡ ⁡ 人は沢山のフィルターを通し 見ている世界がある ⁡ ⁡ 見

      • ネガティブな思い出がポジティブに変わる瞬間

        昔職場の同期に怒られたことがある。 ⁡ ⁡ 私はその日午後が半休で その日の勤務を他の人に 事前に変わってもらう 必要があった ⁡ ⁡ それを忘れてて、 “もう自分の中で半休は別の日でいいや”って 伝えたらそのことで同期にすごく怒られた。 ⁡ ⁡ 同期はシフト担当で 勝手な判断をしようとする私に 正論を真正面からぶつけてきた ⁡ ⁡ 『怒らせてしまった、気まずい 申し訳ない..いやでも、そんな怒らなくても。。』   という言葉たちが 頭の中をぐるぐる回る ⁡ ⁡ “ミス”  

        • 自分ループから脱けだすサイン

          ここ数年、自分が感じた感情への理由探しをずっとしてきました。 「私はこう感じたんだ、嫌だったね」 「本当は親にこう言って欲しかったよね」 そして、幼少期や過去に縛られてた自分は大粒の涙とともに 癒されえて安心感に包まれてほっとする。 もうこれで私は大丈夫、心の奥にしまい込んでたものを解放したから もうやりたいことをやるんだって やる気モードへ変換。 あれ? でも数日経つと別角度で 自分の体を重たくさせる感情がやってくる。 これは、満月のせい? 今日の運気悪いかな?

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        生活を大切にすること

          狭い自分世界は終わり

          お久しぶりnoteになってました! 読んでくださる方、本当にありがとうございます。 このnoteを始めたきっかけは 自分の感じたことを素直な気持ちのまま 残していきたいと思ったからで、 自分の感情を生きたまま、 嘘、偽り、かっこつけることなく それらを全部ここに書こう!と 思い始めました。 なのに、、 そう思ってたはずなのに、、 “継続する”が苦手な私だし、 そして文章を書くのもうまくない。。 というネガティブな感情と 何を書こうかと迷いだすと 面倒くささも感じるよう

          狭い自分世界は終わり

          無理しない自分でいい

          この言葉を素直に受け取れる今を今日は書きたいと思います。 ⊿⊿⊿ 私はプライドの塊だった。 どこか抜けているように思われがちな私は(実際そんなところも多い) 「仕事ができなさそう」と言われたことがありました。 もちろん親しみを込めて言ってくれてる部分もあると思いますが、その言われた通りの自分でいるのがどうも嫌で、出来ないやつと思われたくない“無理してでもやる”が私の中で当たり前になっていた。 保育士時代は子どもを保育する以外の仕事もかなり多く、製作物はもちろん、花壇

          無理しない自分でいい

          今ここちょうどいい

          おはようございます。 今日は朝から曇りがちな空。 もう咲き終わったかなと思っていた朝顔が二つも咲いていて、最後の最後まで咲き誇ろうとする姿がなんとも美しい、なんて思えた朝でした。 ここ最近は目覚ましをかけることなく、今日はどんな感じで起きようかと眠気まなこに自分と会話しながら起きています。 長年の睡眠リズムで6時ごろには目が覚めるので、今の生活の仕方が私にはちょうどよく、どちらかと言えば、せかせか何か追われているような過ごし方をしていた頃に比べると自分のちょうどいいを感

          今ここちょうどいい

          いつまでも母と子

          今日は娘の学校の始業式 長かった夏休みもようやくフィナーレを迎えました。 こどもたちとゆっくりまったりかつ濃厚に過ごしたこの期間。普段以上に親子の絆が深かったように思います。 夏休み最終日の昨日は母と妹親子とハルカスで開催されているすみっこぐらし展に行っていきました。 娘リクエストのすみっこぐらし展 念願叶って嬉しそうな娘 そんな娘を横に、私は違う意味で嬉しい時間を過ごすことが出来ました。それは私の母と妹と過ごす時間。 結婚して子どもができてこんな風に時間を共有する

          いつまでも母と子

          ご機嫌でいること。笑顔でいること。

          昨日は不機嫌モードのスイッチを押して朝から過ごしてしまった。 主人は遅番の勤務で朝9時頃まで寝ていて、私は朝早くから起き、子どもらにやいのやいの言われながら朝ご飯の準備、掃除、洗濯と忙しなく動いていました。 中々起きてこない主人にイライラしだした私。 「仕事が遅番で今日はゆっくりと寝られる日」と頭ではわかっているけど、『朝時間あるんだから手伝えるやん』『子どもたちとちょっとでも遊んでよ』なんて自分一人だと思わないことを頼る人がいると私ばっかりとスネ出す自分がいる。 そし

          ご機嫌でいること。笑顔でいること。

          「この御恩は一生忘れません」

          noteの投稿がお久しぶりになってしまいました。 子どもたちの夏休みもあと数日。 う、う長かったー 子どもたちの「いっしょにあそぼ!」コールに振りまわされながら、なんとか自分の楽しみを見つけ頑張っていました笑 (イラストのお仕事をさしてもらったり、密かに韓ドラにハマったり) またこれから少しずつnoteを書いていきたいなと思います。 ⊿⊿⊿ 「この御恩は一生忘れません」 タイトルにも書きましたが、 このセリフをリアルに伝えさせてもらう出来事が先日ありました。 人の

          「この御恩は一生忘れません」

          夏休みのはじまりは手放しから。

          今年は小1娘と年中息子と1ヶ月以上 がっつり家で過ごす夏休みがはじまりました 前日の夜から目覚ましを5時に合わせ 早起きするー!と張り切ってた娘は 目覚ましをオンにするのを忘れそのまま寝坊 同じくゆっくり起きた私も 5時起きせず6時半にリビングへ。 寝坊ではないけど朝のタイムロス感を 娘は悔やんでました (休みを惜しみなく楽しみたい感) ⊿⊿⊿ 今日は夏休みを快適に過ごす為 リビングの模様替えをしようと 心に決めていた私。 我が家は3階建て、2階リビング LDKは

          夏休みのはじまりは手放しから。

          "やめてみること"をやってみる

          “やめてみること"をやってみる 2022年上半期のテーマは ここだったんじゃないかなと思うくらい 自分の大きな変化に繋がったと思います。 ⊿⊿⊿ 何かを決めるというのがのがどうも苦手な私。 できればぼんやり曖昧なまま進み、 その中で見えた光に向かっていくような感覚が好き こうと決めて目標へ向かう方が いいんだろうけど、私はカチッとした目標よりも ほんわり描いた在りたい自分を、 小さくとも積み重ねながら進んでいくのが 好きみたいです。 そうはいっても、 ここ数年いろ

          "やめてみること"をやってみる

          "特別"は日常の中で味わえる

          昨日子どもたちは21時半まで起きて夜更かし。 いつもは20時頃には布団に入って寝る子どもたちも今日は特別。 先日こんな投稿を書いたのですが、まさに昨日がイレギュラーな夜更かし日。 いつもは20時頃には寝る我が夜の夜更かしは21時半(子どもたちが起きてられない) 夜更かしという夜更かしではないかもしれない。 でもこの"いつもとは違う"を味わう特別は大袈裟なことじゃなくても十分だなと思います。 『え?今日は起きてていいの?特別?』 すごいお宝を手に入れた時のようにワクワ

          "特別"は日常の中で味わえる

          自分の好きを素直に表現していく

          好きなものを堂々と好きっていうのが怖かった。 自分の中でセンスがいいと思われそうなものを好きというのはありで、周りが好まないセンスのものを好きというのはやめておこうと何処か自分の中で忖度していた。 「そんな子どもっぽいものが好きなん?」 「なんかダサくない?」 昔言われた言葉。 自分の好きを受け入れてもらえなかった頃の記憶が心の中に残っている。 そもそもセンスってなんだ?って話なんですが 私の中でオシャレとかセンスがいいを勝手にカテゴライズしていたんだと思います。

          自分の好きを素直に表現していく

          家族の"心地いい当たり前"を作っていく

          家族の調和を大切にしながら、心地いい日常を送ること。夫婦でも親子でも、互いに工夫し合いながら「家族の当たり前=心地いい習慣」を作っていきたい。 ⊿⊿⊿ 私には7歳と4歳の子どもがいます。 私が子育ての中で唯一続けているのが、子どもの睡眠時間を確保することです。 赤ちゃんの頃から、夜20時頃には布団へ行く生活リズムを作ってきました。 もちろん興奮して眠れない、夕方寝たから眠れないそんなイレギュラーな日は沢山あります。 そんな日もあって当然良くて、ただベースは20時には寝る

          家族の"心地いい当たり前"を作っていく

          「対処できる自分」を味方につける

          ⁡ 頭の中にどうでもいいチリをため込んでしまう癖がある。 ⁡ どうでもいいチリとは、まだ起きても無い不安や恐れを勝手に想像していること。 不安や恐れは人が生きていく上でDNAレベルで必要なのでなくなることはないですが、その“大きさ”は自分でコントロールできるものだと思っています。 ⁡ ⁡ 頭の中でチリの比率が大きくなればなるほど雪だるま方式で色んなことをくっつけてその不安を大きくしていく。 ⁡ 大きくなったら頭の中から追い出すことに時間もエネルギーも使い、頭の中がそればっ

          「対処できる自分」を味方につける