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どちらの男を採るか?「007」ヴェスパー・リンドと「古事記」サホ姫の場合


 小刀を手渡され
「俺とあいつと どちらを愛しているのか」
「俺を愛しているなら、男を刺し殺して来い」

古事記の台詞である。
サホ姫には出来なかった。同じ閨を共にした相手を殺すことだけは。
哀情がそれを阻んだ。
情に生きたサホ姫。
涙が零れ、男の額に落ち、男は起きて軍勢を整えた。

サホ姫自身の涙が彼女の命を奪うこととなる。
その「涙」を「倫理」と古事記は分析している。

サホ姫に小刀を手渡した男の名を言えば、その男は死ぬ。
でも、姫は言わざるを得なかった。

そして自身も討たれることを選び、
2人の男を愛する狭間で「情」に死んだ。
これが「倫理」の起源として古事記で紹介されている。

 そして、イアン・フレミング「007カジノ・ロワイヤル」

ジェイムズ・ボンドとの最後のキス。
ヴェスパー・リンドだけはそれが本当の最期のキスになることを知っていた。

 でも、ボンドにとっては年貢の納め時。危険な二重生活、エージェントを辞めるつもりだった。彼女を愛していたからだ。

”Im the money”。
 ヴェスパー・リンドはボンドに自身をこう紹した。“money” 何にでも変化し得るポーカーフェイス。その彼女が決して外すことのなかったネックレスを外した時、ヴェスパー・リンドは「死」を通して「倫理」を選んだ。

 過去の男を助け、現在の男も助ける方法はこれしかなかった。ボンドを愛してしまったこと、過去の男を上書きしそうなことを知った時、女にはこれしか選択肢は残されていなかったのだろう。ボンドはその外されたネックレスをホテルに見た時、全てを知りヴェスパーを追った。

”I’m sorry,  James.”
彼女は永遠に去った。
なんで、ジェイムズ・ボンドを選ばなかったんよぉ(涙)「007慰めの報酬」をご覧になられた方も同じ涙を流されたことでしょう。

「007カジノ・ロワイヤル」で明かされたヴェスパー・リンドとボンドの永久の別離。ボンドはそれを永遠に引きずることとなる。

「肌はうっすら日に焼け、化粧っ気はなく」強気で理知的=ポーカーフェイスのリンド
が、時折みせる屈託のない笑顔。少女の様にシャワールームでひとり泣き崩れているリンド。
どの顔が本当のリンドだったのか。詳細はフレミング「007カジノ・ロワイヤル」ご一読を。

サホ姫とリンド 私にとってはエマニュエル カント以上に分かりやすい倫理の例。

カント的内なる道徳律には道徳を選択する際の「血」や「涙」
道徳的に生きることを選ぶ苦渋が描かれていない気がする。
古事記にはそれがある。

父に背くスサノオの背反の涙。
どちらの男も選べなかったサホ姫を奪った自身の落涙

Aという殿様はこう言う。
Bという王子はそれを否定する。

A世界の物語を選べばBが死ぬ。B世界の共同幻想にも抗えばA世界においてもB世界においても非国民となる。

 サホ姫もリンドも、そしてスサノオも法的にどの物語の中でも生きることができなくなった背反意識、A世界における常識=「法」によって否定される者はB世界においては否定の否定=肯定で迎えられることとなる。

「法」とはひとつの「共同幻想」(吉本隆明)。共同体からの逸脱を取り締まる「国家」。

Aという殿様が牛耳る国家の「法」、
Bという男=殿様の至上命令

「どちらを愛するか」
「どちらを信ずるのか」

「この小刀でもって刺し殺してしまえ」
「どちらを愛するか」

いやいや...日本国家の創立秘話といわれる「古事記」に現われるまさかの台詞の数々。

「嫉妬」と「羨望」エロス的感情がどの殿様=「国家」=「法」に従うかを分かつ。
一人は天皇。
一人は兄的存在。
土俵が違う故、選びようがない。

 女は子宮で考えるという。それに従えば、女は動物となる。「倫理」とは動物と人とを分かつもの=その狭間。ひとを「ひと」たる存在にするものを「倫理」と呼ぶのかもしれない。

「あいつを殺して来い」自身の外側=他者を否定し、自身の内なる肯定を得るニーチェの奴隷道徳とは動物的、そして極めてエロスに満ちた「人間的」なものかもしれない。

 サホ姫の涙は天皇には通じなかった。
ヴェスパー・リンドの「涙」の意味はジェイムズ・ボンドには通じたがリンドがそれを許せなかった。

「どちらを愛するか」
「どちらを信ずるか」
どの男の「法」であり「国家」に従うか。

「アナザー・カントリー」を選ぶこと。
女が「倫理」=「アナザー」を選んだ時、「どちらの男をより愛するか」ということは伝わらないのだろうか。

 映画「アナザー・カントリー」将来における国家の中枢的役割を期待されたケンブリッジ大学学生寮内でホモセクシュアリティを暴露された共産主義者 ガイが選んだ場所は「アナザー・カントリー」。

「アナザー」な世界=ソビエトで
サヴィル・ロウで仕立てられたスーツを身に着け、
ロンドン「ハロッズ」のロゴ入りマグカップでお茶を飲み、
クリケットを懐かしむしかなかった。

死ぬまでダブル・エージェント=異邦人。
マルクス、エンゲルスの描いたユートピア=幻想=政治=経済=国家=法も一つの幻想であり宗教、ユートピアとは「どこにもない場所」(トマス・モア)。

ヘーゲルの弁証法的「国家」論にはマルクスが指摘した通り「血」が通っていないし、地に足がついていない。

カントの道徳の説明にも「涙」が欠けている。
吉本隆明の古事記論(「共同幻想論」)是非、ご一読下さい。

天皇=自身の男に討たれたサホ姫。
別の女性にも同じネックレスを送っていた元カレのために死んだヴェスパー・リンド。

「どちらの男を愛するか」
「どちらの男を信ずるか」

悲劇とは
涙も流さず、どちらの男も選ばなかったダブル・エージェント(二股)の倫理は狂言として平和的に解決される。どちらの男も守り抜けば守り抜くほど、戦争は最初から無かったこと。ヴェスパーマティーニとは平和を象徴したお酒です(フレミング考案)

A国家の法(警察)、B国家の法(警察)の間に背反するとはそういうこと。「アナザー」の苦しみを選ばざるして生きる道はないのだろうか。

ジェイムズ・ボンド様
あなたのような人が実在すれば女は倫理などかなぐり捨て、全てを委ねるのだろうか。結果としてヴェスパーがジェイムズを選んでいれば、ジェイムズはその後「ヴェスパー・マティーニ」をひとり寂しく飲み続けることはなかったのだ。

 皆様もBarでイアン・フレミングの考案したこのマティーニをちびちび飲みながら、このトピック 深めて頂ければ幸いです。

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