読書メモ 「モダン・タイポグラフィ 批判的タイポグラフィ史試論」
「モダン・タイポグラフィ 批判的タイポグラフィ史試論」
ロビン・キンロス 著 山本太郎 訳
グラフィック社 2020年
「モダン・タイポグラフィ」と聞いて何を思い浮かべるか。大半の人はバウハウスやスイス・タイポグラフィ、あるいはオールド・ローマン体からトランジショナルへ、さらにディドー・ボドニ系への書体の変遷を思い浮かべるのではないだろうか。
私の記憶違いでなければ、大学時代のタイポグラフィの授業では「これがモダンデザインのスタンダードだ」と言わんばかりに、かなり唐突に抽象芸術のようなバウハウスのタイポグラフィや、あまりに整然としたミューラー=ブロックマンのポスターをスライドで見せられたように思う。反動でハーブ・ルバリンやルウ・ドーフスマンの華やかな広告的ヴィジュアル表現が満載のアメリカン・タイポグラフィに、むしろ私は傾倒していったのだった。ただ、ミューラー=ブロックマンのグリッド・システムはレイアウトの偉大で強力なメソッドであることに間違いないが。
残念ながらアメリカン・タイポグラフィへの言及は少ないが、本書はタイポグラフィにおける「モダニズム」とは何かという非常に大きなテーマを、北ヨーロッパを中心に、その近代史や印刷技術史等を含めて語った意欲作であり、非常に密度の濃い内容に圧倒させられた。
全16章(14章は実例図版、15-16章は出典)だが、各章が簡潔にまとめられているので、読み通すのにさほど困難は感じない。ただ、消化するのにかなり時間がかかってしまった。今まで断片的に知っていたタイポグラファやタイプフェイスが一本の線で繋がったような気がする。敷居は高いが、必ずや一読する価値のある本だ。
著者はモダニズムの中心地は、やはりドイツであると言う。しかし「『モダン・タイポグラフィの先駆者たち』や『バウハウスのタイポグラフィ』に関する著作は、その歴史的前例や同時代の伝統的な規範との関係性を示さないまま、扱う対象を真空状態に置いてしまう」(引用一部に筆者略あり)とも言っており、それはまさに上記で私が大学時代に感じていたことだった。モダンの始まりをバウハウスではなく本書のとおり1700年頃としてくれていれば、私のような「モダン嫌い」は生まれなかったかもしれない。
ということで、著者は巻頭に掲載された、まさにその1700年頃のフランス科学アカデミーによる「王のローマン体」の図版を皮切りに、時代を追い国を巡りながらモダン・タイポグラフィについて話を展開していく。グーテンベルクによる1450年の活版印刷術の発明から250年後にリリースされたこの「王のローマン体」は、バウハウスも真っ青なジオメトリックな設計になっており、冒頭から驚かされる。
(ジオメトリックな文字分析は遥か昔から存在していたようで、本書のブックデザインをしている白井敬尚氏による詳細な記事を見つけたので以下に貼っておく。また活字サイズの体系化に関しても掲載されている)
もちろん本書はドイツにばかりクローズアップしているわけではない。イギリス・アメリカに関してもきちんと章を与えられ、モダン・タイポグラフィの流れの中で述べられている。イギリスにおいてはウィリアム・モリスに始まり、偉大なスタンリー・モリソンを中心に。アメリカにおいてはアップダイクやドウィギンズを中心に。しかし著者は最終的には「イギリスはモダニズムのためには何の役割も果たさなかった。また、アメリカの重要性といっても、それはどこか遠くの、現代的生活の象徴としての役割を担ったに過ぎない」としている。またフランスにおいても「モダニズムは単に『装飾美術』の一側面、流行の表現としか見なされなかった」としている。これには反論も出るかと思うが。
しかし、ドイツに話を戻すと「ブラックレター」というドイツ固有の文字文化があり、逆にローマン体での文字造形の伝統がなかったことから、一気にサンセリフ体への指向が高まったという話に納得させられた。この辺りにもドイツでモダンが花開いた要因があるのだろう。
本書で私が気になったタイポグラファは、モダニズム的には傍流なのかもしれないが、エドワード・ジョンストン、ヘリット・ノールツァイ、そして何よりもオランダ人のヘンドリック・ニコラス・ヴェルクマン Hendrik Nicolaas Werkman だ。ヴェルクマンに関して言うと、以前勤めていた会社の上司が見せてくれたアメリカのデザイン誌『Print』に掲載された作品に衝撃を受け、コピーを頂いたものを保管しており、名前はすっかり忘れていたのだが、本書を読みもしやと見返したらヴェルクマンその人だった。図版とともに掲載された英文記事を読んでいないので、頑張って読んでみようと思う。あとはやはりパウル・レナー、ヘルマン・ツァップ、カール・ゲルストナーあたりか。タイポグラファではないものの都市計画家で、つい先日亡くなったクリストファー・アレグザンダー(『パタン・ランゲージ―環境設計の手引』)やデータ・ヴィジュアライゼーションのパイオニア、エドワード・タフティ(『Envisioning Information』これは邦訳なし)も気になる。
著者はユルゲン・ハーバーマスによる「近代性とは『継続するプロジェクト』である、という主張に意を強くし、タイポグラフィの領域でそれがどのように成り立っているか理解しようと努めてきた」と言う。ハーバーマスはドイツ人なので、著者自身やはりドイツ指向の人なのかもしれない。またイギリス人である著者は、イギリスでは「伝統的なタイポグラフィこそが既存の歴史研究の規範であると考えられ、モダン・タイポグラフィなるものが認められる場合においてさえ、それは『近代主義者的』、何か風変わりな、別のものとして軽く取り扱われてきた」と言っているので、モダニズムに遅れを取っているという意識が何処かにあるのかもしれない。
1986年頃には大部分が書き終えられていたが、諸事情により1992年に初版が発行され、その後2004年の大幅改訂を経て、さらに改訂を加えた2019年版を日本語に翻訳したものが本書だそうだ。内容が評価され、各国語に翻訳されているとのこと。読み応えのある本なので、なかなか片手間には読めないが、欧文タイポグラフィをマニアックに追求したい人には是非お薦めしたい。