読書メモ 「バッハの秘密」
「バッハの秘密」
淡野弓子
平凡社新書 2013年
著者淡野弓子氏は、自ら設立したハインリヒ・シュッツ合唱団での〈シュッツ全作品連続演奏〉(シュッツはドイツバロック3Sの一人)や上荻の本郷教会における〈バッハ・カンタータ連続演奏〉などに軸足を置き、長年活動してきた指揮者・演奏家だという。
バッハについての研究書は数多あれど、本書は「演奏する側」からうまれた「生きたバッハ論」であると思う。
文中で解説した作品は、すべて筆者が指揮者として、また歌い手として演奏したものです。リハーサルで説明したこと、演奏会当日のプログラム・ノートとして執筆したものなどが下地となっています。
本書の章立ては、バッハの楽曲に見られるようにシンメトリーな構成になっており(『ロ短調ミサ曲』の〈クレド〉はまさにこの構成だろう)氏のバッハへのリスペクトを感じる。シュヴァイツァーをはじめとするバッハ論紹介の閑話休題的な章を中心に、左右に二大傑作である『マタイ受難曲』と『ロ短調ミサ曲』についての楽曲解説を据え、さらに左右に教会カンタータと異色のカンタータ紹介、一番外側の左右にバッハの生涯とケーテン〜ライプツィヒ時代にかけての作曲の秘密について、という構成になっており、左右が相互補完的な関係になっている。
新書ながらも、特に楽曲解説の箇所など音楽用語が頻出するので、どちらかというと演奏する人に向けた内容であるかもしれない。また『マタイ受難曲』や『ロ短調ミサ曲』さらにバッハのカンタータを聴いたことがない人は、途中かなり読み飛ばしてしまうことになるかもしれない(事実『マタイ受難曲』は私自身抜粋でしか聴いてこなかったので、楽曲解説の部分は未消化だ)。
しかし、例えばバッハの音楽に見られる数秘術(例えば「3」は三位一体の神を表し「12」は十二使徒を表す等)について、聞いたことはあったが、改めてバッハの音楽との深い関係性を感じるし、教会カンタータにおける「クロノス(通常の時の流れ)」と「カイロス(突如出現する思いがけない瞬間)」という時間の概念(音楽はこの二種の時を同時に伝えることができる芸術であり、バッハの音楽にもクロノスとカイロスが交錯しているのだという)についての刺激的な論考などは、読者のバッハについての認識レベルを数段引き上げてくれるような気がする。
また本書で取り上げられる曲は、ほぼバッハの宗教曲となっている(宗教曲が作られなかったケーテン時代については『マタイ受難曲』との関連で『平均率クラヴィーア曲集第1巻』が出てくるのみ)。本郷教会においてバッハ・カンタータ連続演奏に挑み続けているという氏のメイン・ステージをじっくりと味わいたい。
氏が主催する音楽グループ「ムシカ・ポエティカ」の名前だが、途中「音楽詩学」と訳され「言葉に即してその意味を解釈し、それを音楽の言語に置き換えて行く作曲技法」と紹介されている。ギリシャの哲学者たちの弁論術から発展した修辞学に基づくものだそうだが、エッゲブレヒトの見解によるイタリアとドイツにおける「ムシカ・ポエティカ」の根本的な違いに触れ、イタリアの審美的な表現とは違い「言葉の情緒を美しく表現するというよりは、言葉そのものが、音を聴けば何が語られているのかが即座に分かるような、さらに言うならば、言葉を聴くのと同じレヴェルで、音楽を聴けば意味内容が分かる、という技法を発展させた」ドイツの「ムシカ・ポエティカ」が氏の基本的スタンスであることかわかる。シュッツの作品は、まさにこれらの実例で溢れているという。
『マタイ受難曲』は通して聴くと3時間かかる大作ゆえ、一度でいいのでコンサートに行き、バッハ・ワールドに身を委ねてみたいと思っているが…。