読書メモ 「バッハ 『音楽の父』の素顔と生涯」

「バッハ 『音楽の父』の素顔と生涯」
 加藤浩子
 電子書籍版 平凡社新書 2018年


アイゼナッハ、オールドルフ、リューネブルク、アルンシュタット、ミュールハウゼン、ヴァイマル、ケーテン、ライプツィヒ。
ヨハン・セバスチャン・バッハが暮らした街は、ドイツ中部のザクセン州・テューリンゲン州にほぼ集中している。彼は終生ドイツの狭い地域で過ごし、ヘンデルのように国外に出ることはなかった。あのユニバーサルな作品群は、なんともローカルな環境から生まれたのである。


良書である。音楽評論家であり、バッハゆかりの地を巡るツアー「バッハへの旅」の案内役を長年務めた経験のある著者ならではの視点で描かれた本書は、バッハ好きなら必読の書であろう。
バッハが住んだ街を年代順に追った第二章は、バッハの足取りがかなり詳細にわかる上に、ちょっとした旅行ガイドとしても楽しめ、実に活き活きとしたバッハ像が浮かび上がってくる。本書の中で最も充実し、読み応えのある章だ。
バッハの生きた街は、オールドルフのような田舎町からライプツィヒのような大都市までさまざまであるが、どの街でも雇われの「音楽職人」という立場は変わらない。しかし、そんな中でも彼は「音楽家」としての強烈な自負を持ち、待遇の良い街を求め絶えず「転職」を続けていたのだ。待遇だけではない。音楽的に新しいことにチャレンジできる環境か、それも彼には重要な要素だった。「ただ神の栄光のために」(彼は楽譜の最後に必ずこう書き記していた)であったとしても、そこにはベートーヴェンのような「アーティストとしての自意識」の萌芽さえ感じる。


音楽家の家系に生まれたバッハは、大学にこそ進学しなかったものの、勤勉な性格も手伝い、当時の慣例としては異例の長期に渡るエリート教育を受けた。そしてライプツィヒにおいて、聖トーマス教会のカントール(音楽監督)にまで上り詰める。当然、そこには音楽家一家としてのコネクションも働いただろう。やはりバッハは才能・努力・環境の三つが揃い、生まれるべくして生まれた大音楽家なのだ、という印象を受ける。


バッハの音楽とルターの関わりの深さも再認識させられた。
ルターは信徒自らが歌えるように、母語(ドイツ語)による簡素なコラール(讃美歌)を礼拝に導入したが、このようにルターの宗教は、そもそもが音楽と分かち難く結びついたものだった。そのコラールが土台になり、カンタータや受難曲が生まれていく。さらに、キリストの受難に重きを置くルターの「十字架の神学」は『マタイ受難曲』や『ヨハネ受難曲』といった名曲に結実する。


晩年、バッハはカトリックの教会音楽であるミサ曲『ロ短調ミサ』を作曲している。私はプロテスタントのバッハが、なぜカトリックの曲を作ったのだろうと思っていた。そのあたりの興味深い経緯も、本書ではしっかりと語られている。
バッハの晩年作は『フーガの技法』『ロ短調ミサ』といった、一般に公開する目的では作られていない作品が多い。晩年のバッハの心境は、いかなるものだったろう。周囲との軋轢もあったようだが、自らの音楽人生を全うさせるべく、大伽藍を構築するかのごときバッハの情熱を感じざるを得ない。


他に、バッハにとって特別な意味を持つ「オルガン」という楽器と「世俗カンタータ」(バッハは「コレギウム・ムジクム」というコーヒーハウスで定期的に開催される公開コンサートを率いていた。世俗カンタータは教会カンタータと同等に重要なものと思うが、残念なことに残された作品が少ないとのこと)について、家庭人としてのバッハ、また簡単なディスクガイドもあり、盛り沢山の内容で、本当におすすめの本である。


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