第十一話 Fool’s Gold-The Stone Roses
この小説を2025年を生きる若者と1995年を生きた若者に贈ります。これは僕の遺作です。
2025年2月2日、僕はアメリカ議会における、ロバート・ケネディ・ジュニアとトゥルシー・ギャバードの二人に関する公聴会での議論を観ている。
トランプ政権の閣僚人事の中でも、この二人の就任が議決されるか、非常に微妙だ。
保険福祉長官としてトランプに指名されたRFKジュニアは、ずっと反ワクチンの陰謀論者と言われたきたことに対して、
「私は、反ワクチンでも陰謀論者でもない。
私たちは正直であるべきだ。
この世界はあまりにも嘘が多すぎる。
そして私は優れた科学を信じている。
なぜこの国の子供たちの病気がこんなに増えているのか❓
そして医療費がこんなに膨れ上がっているのか❓」
と声を上げている。
一方、国家情報長官に抜擢されたギャバードは退役軍人で、元々民主党の議員だった。
彼女は、崩壊したシリアの政権トップだったアサドに直接会い、
「アサドはアメリカにとって驚異ではない」
と言い切った。
つまり真相はこうだ。
1996年から始まったアメリカの中東への作戦は、全てはイスラエルのためだった。
「グレイター・イズラエル」構想。
ナイル川からユーフラテス川までをイスラエルの土地とする。
その旧約聖書からの教えのために、イスラエルの周辺国を次々と政府転覆させるという壮大な陰謀だった。
陰謀論ではなく、本当の陰謀だ。
9.11同時多発テロから、たった2日後、ブッシュ・ジュニアはなぜか
「イラク🇮🇶が大量破壊兵器を持っている」と言い始め、
それを口実にイラク侵攻を始めた。
あっという間に、フセイン大統領は打倒されたが、イラクに大量破壊兵器などなかった。
こんな出鱈目なブッシュの嘘を国際社会は無視し
何十万人というイラクの一般人と何万人という米兵の命が奪われた
このアメリカがしでかした一連のこと、アフガン侵攻までーーを一兵卒として、現場で自分の目で見ていたのが、トゥルー・ギャバードなのだ。
そして、トランプ政権に移行する最中の2024年12月にシリア・アサド政権が突然崩壊した。
「シリア内戦」は実に13年間にも渡り続いたが、アサド政権の崩壊は決起した民衆による民主化革命などではなく、実態は、オバマとネタニヤフのコンビが仕掛けた内部分裂の諜報戦争だった。
そして、これらアメリカの中東政策に関するシンクタンクは、全員ユダヤ人である。
つまり9.11から四半世紀余りのアメリカの中東政策は、全て、イスラエルのためだった。
それをトゥルー・ギャバードが公にしてしまったのだ。
このものすごいハレーションに、同じ共和党内部でも意見が割れそうだったが、トランプは、
俺を裏切ったら全面戦争だ‼️
とメンチを切った。
つまり次の中間選挙で、共和党の立候補者としてお前を認めないぞ‼️と脅しをかけているのだ。
それほど、今回のトランプ革命は凄まじい。
何せ建国以来、250年ぶりの革命をやろうとしているのだから。
つまりは、選挙で選ばれていない官僚たちが都合の良いように政治家を操り、大統領にまつりあげ、統治してきたのが実はアメリカの長い歴史であり、FRB、連邦準備制度理事会とは名ばかりで、政府が管理する中央銀行でもなんでもない。
米南部ジョージア州にあるジキル島。
小さなリゾート地の海辺に建つホテルには、今でも「連邦準備(Federal Reserve)」と名付けられた小部屋がある。
同ホテルでは時折、食事や会議に使うだけだ。
それにもかかわらずこんな大仰な名前が付いているのは、1910年、大物銀行家らがFRBを設立する極秘会議を開いた場所だからだ。
極秘会議が開かれた小部屋で行われた「連邦準備」。その会議に参加したのは6人。
米議会で金融改革を主導したオルドリッチ議員、モルガン家、ロックフェラー財閥など金融界から専門家が集っていた。
ニューヨークからジキル島に向かう列車には6人の専用車両が用意され、移動には偽名を使う手の込みようだった。
10日間の会議を経て、現在のFRBの骨格となるアイデアが出そろった。
中央集権を嫌う国内事情から、
「中央銀行という名前は使わない」
さらに、
「独立した15の地域支部をワシントンで管轄する」
「金融危機時に最後の貸し手として機能するため、単一通貨を創造して管理する」
などが決まった。
この政府が手を出せないドルの発行権を持つFRBから、政府が発行するドルと中央銀行の創設を試みた大統領は全て暗殺されている。
有名どころでは、リンカーン、JFKである。
でも、これだけグローバル化が進んだ世界で生きていると、
あまりに陰謀が壮大すぎて、誰もがそれは「陰謀論」だと思ってしまっている
このジキル島の話は検索すれば1発で誰でも記事に辿り着くので、興味を持った人は検索して欲しい。
時を、この小説の舞台の1990年代に巻き戻す。
僕が音楽と映画と文学と女の子に溺れた学生生活でドロップアアウト寸前だったことはすでにかなり書いた。
しかし、それだけではもちろんない。
1993年の夏休み、僕は雑誌『スパ』に掲載されていた「退屈お手上げ会議」という、若者の集会に参加したのだ。
僕は、すでに大学にはほとんど行かなくなっていたが、その「退屈お手上げ会議」でまた新たな仲間と出会うことになった。
多くの政治家を輩出してきた早稲田雄弁会のタマキ、日大の夜間学生で、現在は大手出版社の編集者として高級取りとなったノザキ、僕と同じ福岡出身で、右翼団体の車に火薬が詰まった便を投げて捕まったことがあるヤマザキなどだった。
そこで、彼らと話すうちに僕は思想・哲学にも覚醒していった。
元々ニューアカ、つまり、80年代にブームになったニューアカデミズムの熱心な読者の一人だった僕は、徹底的に議論し合える友達が出来たのは嬉しいことだった。
そして、僕らが出した結論は、
「頭だけで議論しても結論は出ない。
今の俺らは身体性を失っている。
そんな人間の在り方から出てくる思想やイデオロギーなんぞ、おかしい」
という結論に至った。
バカ丸出しである。
年長のリーダー格だったタマキが音頭を取り、当時の日本はJリーグ発足でサッカー人気が沸いていたので、僕ら思想かぶれの若者たちはあえてサッカーチームを作ることになった。
チーム名は僕が考えた。
「FCエントランス」
考えるな、感じろ
とブルース・リーが言ったように身体を動かすこと、行動することが、何事にもエントランス、入り口なんだという意味を込めた。
ただ、言い出したのは良いが、頭でっかちの文系の連中がサッカー❓
もちろん、ゲームではことごとく勝てなかった。
そんなオンボロチームに途中からハマムラという男も参加するようになった。
ハマムラは非常に変わった男で、高校時代から、学生運動のようなことをやっていて、当時社会問題になった「校門圧死事件」
つまり、遅刻しそうな中学生が教師が閉める校門により圧迫死してしまったという悲劇的な事件に対して高校生の頃から反対のデモ活動を行っていた。
その運動に僕と同じ福岡出身の外山恒一もいた。
外山は、2007年の東京都知事選挙に立候補し、過激な演説スタイルと独特のキャラクターで話題になった。
「我々は一切の選挙を否定する❗️」
としながらも立候補し、
NHKの政見放送で「デストロイ❗️」を連呼した
彼の政治思想は無政府主義であり、既存の政治体制への強い批判を展開していた。
僕はテレビで久しぶりに見た外山が、実は内気な怖がりであることも知っていたし、どうやら噂ではNHKの演説用にカラオケボックスで相当練習したらしい。
外山からハマムラに話を戻す。
案の定、僕らメンバーのほとんどが
1年ほどであっさりサッカーから身を引いた
のだが、ハマムラだけは異常なるサッカー愛を昇華させ、新宿ロフトでサッカーのトークイベントを仕切るようになり、1998年のフランスワールドカップに至っては、可能な限り観戦し、決勝戦まで現地で観たという。
そして、フランスの優勝が決まり、スタジアムが熱狂の渦の中、観客がピッチに傾れ込んだ瞬間を見計らい、
ハマムラは勝手に自分でボールを蹴りシュートした
その球はゴールネットを揺らし、それは、
フランス🇫🇷ワールドカップ「幻の最後のゴール」
となった。
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