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[暮らしっ句]古日記[俳句鑑賞]

 走り書きも 想ひはありや 古日記  いしだゆか

 普通に考えると「走り書き」は「心が雑」な状態。しかし生きていれば、いろんな出来事がいっぺんに押し寄せてくることもあるし、感情が先走って問題をかえってややこしくしてしまうことも。
 それは未熟といえば未熟ですが、おいしい経験は未熟な季節にこそ降り注ぐものかも。それが人生の「旬」だったりして。
 だとすれば、「走り書き」は「雑」ではなく「即興のパフォーマンス」。「想ひはありや」というのは、そこに気づいたということでしょう。
 時間をたっぷりかけて、じっくり結論を出して、たぶんそれが大人のふるまいなのでしょうが、それのどこがおもしろいのか? もしかしたら、そんな年寄りの自虐もあったりして。
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 古日記 燃やして 思ひつのりけり  門脇明子

 もう開くこともないと思われた古日記。だから燃やすことにした。なのに、メラメラと焼けていく様子を見ていると、鮮烈に記憶がよみがえってきた……。

 思い返してもどうにもならないから忘れることにした…… その分別って、何なんですかね?
 もう思い出したくないと今の自分がそう思っても、その当時の出来事は今の自分の所有物ではありませんよね? 極端なことをいえば、親が再婚した子供は生みのお母さんのことを思い出してはいけないのか? その子がどう思おうとそれは自由ですが、周囲が口出しすると暴力になる。つまり、今の自分が過去の自分を葬ろうとするのも暴力。相手を尊重するように過去の自分も尊重する……それが望ましいのかも。
 ちなみに、だから古い日記はとっておいたほうがいい、とは云えませんけどね。手紙とか思い出の品とか、そんなものはむしろ処分したほうがいいかもしれない。今の自分のモノではないわけですし。
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 君の名は Kのままなり 古日記  木村みかん

『星の王子様』に、自分の愛した薔薇とそれ以外の薔薇との違いに気づく場面があったかと思いますが、古日記の中の「K」はかけがえのない薔薇。「永遠の恋人」であって「昔の恋人」ではない。
 両者はどう違うのか? それがわからない人は「K」を「昔の恋人」とみなし、通俗的に「いい思い出」にしてしまったり、通俗的な再会のドラマを生きることになるのでしょう。
 しかし作者の中の「君」は「Kのままなり」 。宇宙でたった一つの薔薇。出会った奇跡。愛した真実。それを信じ続けられるかどうか。
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 看取る身の 予定書けざる 古日記  滝口美代子

 身内が終末期に差し掛かれば、予定など組めたものではありません。それは当たり前のこと。しかしここに登場する「予定」表は過去のもの。
 三月の時点で四月の予定が「空白」だったということではなく、その時期は過ぎたのに「空白」のまま。

 予定表を空白にしておいた時の気分は、「旅行の計画も立てられないじゃん。友達と会う約束も出来ないよ」という程度のことだったのではないかと思います。
 ところが、いざその時を迎えると、やることがいっぱいあった。多忙で濃密な時間の連続。その結果、空白の予定表が、いわば映画のスクリーンになったわけです。いくつものシーン、短編長編のムービーが立ち上がる……。
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 古日記 知らで過ぎたる 恩いくつ  池乗恵美子

 古日記を前にしたとき、ふつうは書かれているはずの内容に思いをはせると思います。ページを開かなくても、二十三歳のころだとわかれば、それだけでいくつかの記憶がよみがえるはず。それが普通。しかしこの時、作者はこう考えたのです。
  
 この日記の中には、当時のわたしが気づき損ねたことが書かれていない
 
 変な言い方ですが、そうなると思います。気づかなかったことは書きようがありませんから。
 と、こんな云い方をすると、神経質っぽいですが、作者は「知らで過ぎたる 恩いくつ」と表現された。

 たくさんの人に助けられて生きてきたのに、お礼の一言も言わなかったり、なんなら恩を受けたことにさえ気づきもしなかった……そんことがいくつもあったに違いない…… 恥ずかしいやらうれし過ぎるやら…… 

 お説教めいたこと、自己啓発的なことは一切口にせず、それでいて感謝の深みがすごい!


出典 俳誌のサロン 歳時記 古日記 
古日記
ttp://www.haisi.com/saijiki/hurunikki.htm


画像は kanakoozekiさんの御作品。ありがとうございます。






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