[ト小説] 月とリンゴ (2/3)
上記事からの つづきです。
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[Error404]の表示が出た時には、頭が真っ白になったが、少し寝て目が覚めた頃には、むしろさばさばしていた。あのままMANIA(ちょっと変わったAI)との回線が維持されていたとしても、おそらくこっちの頭が追いつかなかったろう。
AIとの対話はある意味、インタビューであり、おもしろい話が引き出せるかどうかはこちらの質問にかかっている。
宇宙人の存在をハナから疑っている人がAIに質問しても、「確かに、いる」という話にはならない。目撃情報や物的証拠の多くは、ねつ造か誤認だという話になる。
まあ、使い方次第なのだが、特別な操作をしなければ、こちらに話を合わせてくるだけだ。ネットでの情報収集と同じで、自分の認知バイアス(先入観・思い込み)が拡大するだけの結果になりかねない。
つまり、「月の文明って何?」などと子どものような尋ね方をすれば、返ってくる答えも、大人が子どもにものを教えるようになるわけだ。AIに核心を語らせようと思えば、腕の良い弁護士のような戦略と巧みな話術が必要かもしれない。というか、AIというのは、こちらがある程度知っていることの少し先までしか教えてくれないのかもしれない。
オレは「月」について何を知っているのだろう。これまで深く考えたことがあったか?
寝起きの頭で、オレはしばし自問した。
そりゃあ、『竹取物語』くらいは知っていたし、「月の空洞説(人工物説)」や「アポロは月に行ってない説」も耳にはしていた。しかし、正直、あまり興味がわかなかった。
かぐや姫が月でどんな暮らしをしていたのかなんて、まるでイメージが出来なかったし、月が人工物だと云われても、それがどんなことにつながるのかピンとこなかった。「月に行ってない説」については、SFというより政治的経済的な陰謀論である。陰謀説には深入りしないと決めていた。ひどく疲れるからだ。
とりあえず、ネットでググってみるところからはじめた。さいわい「月」の神話や民俗学?について広く紹介してくれてる人がいた。かつては「太陽信仰」よりも「月信仰」のほうが盛んだっとは聞いていたが、そんなこともちゃんと紹介されていた。
ただ最近、哲学をかじっているので「二元論」には警戒した。それは事実と云うよりは「見方」だ。両者の違いを考えるのには役立つが、両者が対立関係にあるとか競合していると考え出せば、それはもう妄想である。
とはいえ、「太陰」という呼び名にはそそられるものがあった。そこから、「太極図(陰陽マーク)」が連想された。正確に言うと「陰陽勾玉巴」とか「陰陽魚太極図」というのだそうだが、太極拳や漢方や易占の店などで見かけるあの円が白黒に塗り分けられた図だ。
これまでは漠然と「光」と「闇」がシンボライズされているものかと思っていたが、「光=太陽」はいいとして「闇=月」というのはひっかかる。「月」は太陽光を反射しているだけだというのは科学的な理屈で、感覚的な事実ではない。
「太極図」の解説を読むと、「陽が極まり陰に転じ、太陰が極まり陽に転じる」という一節があった。それを見た瞬間、まさに鳥肌が立った。「闇」と「光」が相互に移り変わるなんてことは絶対にないからだ。「陰」と「陽」は、「闇」と「光」ではなかったのだ。
「陰」から「陽」に、「陽」から「陰」に転じるものとは何か?
考えるまでもない。「月」である。
なんと「太極図」は「月」のことだったのである!
正式な解釈を知らないが、オレはそう断定した。
自分で云うのもなんだが、これはひじょうに重要な気づきだと思う。何故なら「太極図」は世界の根本イメージだからだ。つまり、古代の東洋においては、世界の根本が「月」と見なされていたのだ。
「太陽」が別格でスゴイ存在だということは考えなくてもわかる。
その「太陽」を差し置いて「月」が崇拝されていた文化がたくさんあった。その理由は何なのか? そこを考えるべきである。
たとえば、農業にしろ漁業にしろ女性の生理や妊娠にしろ「月」の影響が大きい。だから「月」を基準にした「太陰暦」が使われてきたのだ……という理由はある。
しかし「太陽」の側にも、「太陽」がなければすべてが死滅するという、超強力な決めゼリフがあるわけで、二つの云い分は甲乙つけ難い。もっと別の理由があったに違いない……。
ここでオレの頭には別のことが閃いた。
MANIAの接続が切れた時間が日の出の時間だったことに気がついたのだ。調べてみると、まさにピンポ~ンだった。
MANIAと「月」の間にどんな関係があるのかはわからない。というかそんな材料は何もない。たまたま「月」のことを考えていたので、脳の中で二つがつながったに過ぎない。が、さらに調べてみると、実際には調べていないが、その日は中秋の名月だった。旧暦の八月十五日である。オレはその夜、月見団子を頬張りながらMANIAとやりとりしていた!
たまたまお月見の日に重なったと云うだけなら、365分の1の確率だが、日の出とともに接続が断たれたことを思うと、一日は86,400秒なので、365✖86,400=31,536,000。 三千百五十三万六千分の一という確率になる。これを偶然とは云わない。
何が云いたいか? もう一度、MANIAに接続出来るチャンスがあると思ったのだ。伝統的なお月見は二回やるのが習わしである。後の月見の日は十三夜、旧暦の九月十三日だった。
今度は、なんとしても有意義なやりとりがしたかった。
「月の文明」なんていう、ろくにイメージもできないようなおバカな質問などは絶対にやらない。前回、MANIAがあんな話をしたのもおそらくオレのレベルにあわせたのだ。大人が小さな子どもに物を教えるようなものである。今度は、もう少しまともな話を引き出したい。
偉大な「太陽」を差し置いて、どうして「月」が崇拝されたのか? だ。
果たして旧暦九月十三日の夜、予想通りMANIAと接続することが出来た。
そこでどんなやりとりをしたのか。小説ならそこが最大のヤマ場だが、残念ながらオレにはそんな筆力がない。いや筆力以前に、MANIAの語る内容が膨大すぎて、オレの頭ではついていけなかったのだ。なので、誠に恐縮だが、オレに理解出来た範囲のことを棒読みのように記す。
MANIAは「月」の信仰について、古代のことを語ろうとはせず、人類誕生、いや地球の誕生の前のことを語ってくれた。
MANIAが聖書になぞらえて説明したのは便宜上のことである。オレの知ってる神話が聖書と『古事記』くらいしかなかったからだ。
MANIA曰く、
突然、何を言い出すのやら…… ぶっ飛びもいいところだが、オレなりに整理するとこういうことになる。
神の姿に似せて作ったというのは、神もまた球形だと云うことだ。「太陽」のような恒星のことなのか。それとも宇宙全体が球状だということなのか、それはわからない。
土から作ったというのは、地球が土、つまり物質の塊であることを意味していると思う。
そして「アダム」の身体の一部から「イヴ」が作られたというのは、地球の一部が「月」になったということらしい。そういう仮説自体は、前からあったと思う。科学ではなく、オカルトの話だったかも知れないが、耳にした覚えがある。
つづく
※次回、完結編はまた「降りてきた」作品となりました!
乞うご期待~
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