おやすみ、良寛さん
「けさきて きょう読むのは?」
というのは、なぞなぞ。
今回は、「袈裟着て毬をつく」 良寛さんのお話。
あの良寛さんが、老いを生き抜く際のお手本とされているって、ご存じでした? たとえば、作家の五木寛之さんは次のように。
「良寛に出会わなくて、どうして無事に晩年を過ごせる日本の知識人がいますかねえ」
事実、そうそうたる人たちが特に後半生で良寛さんに親しまれたようです。田辺元、唐木順三、漱石、会津八一、子規、坪内逍遥、安田靫彦、相馬御風、北大路魯山人、斎藤茂吉、堀口大学、松岡譲、亀井勝一郎、吉野秀雄、川端康成……。
主な理由は、カッコ良く云えば「騰騰任運(とうとうにんぬん)」。
自然に身を任せつつ、自在に生きる境地。具体的には、欲を持たず、人に優しくという生き方。
どうすれば、そんなことが出来るか? 厳しい修行しかないと思いますが、結果としては「バカ優しくなる」ということですから、それなら真似できそうな気がすると。そのあたりが人気の秘密かも。いや、真似ると云うより、憧れかな。
まあ、詳しいことは、専門書にあたっていただくとして、ここではわたしの経験に重なったことだけ。
五木さんの言葉を知って、特養でその話をしようと思ったことがありました。が、出来ませんでした。わかりやすい言葉を探したんですが、見つけることが出来なかったのです。五木さんの言葉の中に「知識人」とあったのは、良寛さんを読み解くにはそれなりの知性が必要という意味なのかと、その時はそう思ったものです。
しかし、その見方は誤りでした。良寛さんは決して敷居の高い人ではなかったからです。むしろ、後半生で一緒に生きたのは片田舎の人たち、子どもや乞食までも含めた人たちでしたから。人間良寛さんに親しむのには、学(がく)など必要がないのです。
今回のお話は、良寛さんに学ぶ「老いを生き抜くヒント」ですが、その内容は、無学なわたしにもわかったことです。専門的な評論ではありません。
きっかけになったのは、次のような出来事でした……。
先日の朝、要介護者の散歩に付き添って公園に出かけたら、後から母子連れがやってきたんです。小さな公園、いるのは私たちだけですから、ちょっと緊張が走るケースです。まあ、たいていはこっちが避けるか向こうが避けます。今回は、こっちが到着したばかりだったので、てっきり向こうが避けるかと思ったのですが、その母子、そのまま入ってきた。
しかも、次の瞬間、坊やがよちよちと、こっちに近づいて来るではありませんか。
(おお、人見知りしない子だ)と感心したら、お目当ては 歩行器でした。ちょうど、要介護者には杖で歩かせていたので、歩行器が空いていたのです。車椅子にもなる歩行器。
「乗ってみる?」と声をかけてみました。流れです。誘うつもりは、これっぽっちもありません。もじもじとお母さんの背後に隠れると思ってました。
ところがその子、こっくりと頷いた。
そうなると、こっちの腰が引けます。小さな子どもの相手など、ずいぶんやってませんから。
流れで、抱きかかえる素振りをしたものの、内心は不安でいっぱい。抱きかかえる素振りをしたは、小さな子なんで、自力では乗れないからです。
するとその子、両手を挙げた。抱いてのポーズ!
これには、お母さんもびっくり。
そう、こっちはお母さんを顔を頻繁に見るわけですよ。「知らないおじさん」なわけですからね。声をかけただけでも通報されかねないご時世。小さな子にふれるのは、ただごとじゃないですから。
でも、そのお母さん、止めようとしない。別に、顔がひきつってるふうでもない。
で、流れのまま、まずその子の手に触れたんですが、まあ、ちっちゃい手で、やわらかくて、それだけで感動もの。
今から思うと、すぐに抱き上げずに手をふれたのは、まだ様子を見ていたのだと思います。その子が怖がらないか、お母さんが止めに入らないのか。
でも、どっちも起こらなかったので、抱き上げて車椅子に乗せてやりました。すると、その子、もう顔が輝いてるんですよ。そんなの見ると、サービスしたくなりますよね。
ところが、さて発進…… と思ったら、これがうまくいかない。タイヤが地面にめり込んだ。雨上がりで地面が緩くなってたんです。強く押せば、車が跳ねそうで危い。
で、結局、車椅子を下から抱えるようにして、半ば浮かしながらドライブするはめに。ドライブじゃなく、遊覧飛行です! 子どもは大喜びでしたけど、こっちはあとで筋肉痛。
しかし、いい時間でした。母子と別れてからも、しばし余韻に浸ったほど。その余韻の中で、ふと思い出されたのが、先に引用した五木さんの言葉だったんです。良寛さんのどこに老いを無事に過ごす秘訣があるのか。十数年前にはわかりませんでしたが、その時、ぱっとひらめいた。
単純すぎる話で恐縮ですが、<子どもからは元気がもらえる!>ということです。
五木さんの頭の中にあったのは、それこそ良寛さんの思想や哲学だったかと思いますが、そういったことが皆目わからなくても、<まりつき>や<かくれんぼ>といったエピソードだけでも、十分、察しがつきます。
解説本を見ていると、「良寛さんは子どもたちが大好きだった」とか、「良寛さん自身が子どものような感性をもっていた」とか、あるいは、「当時の農村では大人が忙しく、良寛さんが子どもたちを見守っていた」というようなことが書かれていましたが、良寛さん自身が、子どもたちのおかげで無事に生きられたと。そういう面も相当あったと思います。
もし仮に、良寛さんにも、高齢期や独居によるメンタルの危機があったとするならば、文字通り子どもたちに救われた。
良寛さんにもメンタルの危機はあったのか?
まず、かたちを見れば、独居であり仲間もいません。付き合いのある大人の多くは布施してくれる人たち。それはやはり対等の関係とは言い難い。向こうが上ということじゃなく、反対です。特別な存在だから布施をいただけるわけで、であれば、弱みや迷いは見せにくい。愚痴などもってのほか。
維馨尼、貞信尼といった理想的なパートナーと過ごす時期、時間はありましたが、一つ屋根の下で暮らすわけではなく、一緒にいる時とそうでない時の落差がある。素晴らしい相手であればあるほど、独りになった時のさみしさが大きくなります。相対性理論のたとえではないですが、一緒にいる時間は、あっというまに過ぎますしね。そこに老いが追い打ちをかけてくる。
さびしさに 草のいほりを 出て見れば
稲葉押しなみ 秋風ぞ吹く
行く秋の あはれを誰に 語らまし
あかざこにれて 帰る夕ぐれ
わが宿を 訪ねて来ませ あしびきの
山のもみぢを 手折(たお)りがてらに
知らない人がこれらの歌だけ見れば、あの良寛さんの歌だとは気づかないでしょう。年配の一人暮らし、あるある、の歌。
少し詳しく見ると、これは昨日今日にはじまったさみしさではなさそうです。そこには慣れと、うんざり感が漂っている。
刺激には慣れることもあれば、過敏になることもあるわけですが、混在する場合もあって、布団かぶって寝てしまおう! で済むときもあれば、忍び寄ってくるさみしさに身が竦(すく)むこともある。まんじりともせず、夜通し孤独に苛まれ続ける……なんてことも起こってくるわけです。もしそんなことが続けば、病みます。
良寛さんが睡眠障害を煩っていたのかどうか定かではありませんが、高齢者にとって睡眠障害は、めずらしいことではありません。睡眠薬の常用者が多いのが何よりもの証。不眠はそれだけ苦しいんです。
特養には、目覚まし時計をセットして睡眠薬を飲む人もいたくらいです。意味わかりますか?
睡眠薬が効く時間が五六時間と考えて、午前零時に服用すれば夜をやり過ごせると。ご本人がそう思い込んでいたのです。九時に眠くなれば、目覚ましをかけて眠って、いったん起きて薬を飲んで、また眠る……。
異常やん! と思う感覚が正常です。睡眠障害には人を狂わせる破壊力があるんです。もちろん、数回のことではそんなことにはなりません。二日酔いのようなもので、しばらくすれば忘れます。忘れないうちに、繰り返し起こるようになると、心が折れてしまう。
良寛さんはどうだったか?
いにしへを 思えば夢か うつつかも
夜は時雨の 雨を聞きつつ
夜もすがら 草のいほりに 我をれば
杉の葉しぬぎ 霰(あられ)降るなり
いずれも、不眠の歌とも読めそうですね。
これだけの材料で断じるのもなんですが、良寛さんのメンタル、結構、ギリだったのではないかと。
薬に頼らずども、睡眠障害を克服することは可能です。簡単に言えば、身体を疲れさせ、精神をリラックスさせれば、普通には眠れます。
ただ、不眠で心身共に消耗してくると、何もする気も起こらなくなって、だらっと昼間居眠りし、夜、眠れず苦しむという悪循環に陥ります。ひどくすると、そのことが他の病気の原因にもなります。だから、睡眠薬が次善の策として使われるわけですね。それとてリスクがあるんですが。
と、少し話が逸れたようですが、そんな経験をした者が、ある日、子どもたちと一緒に過ごして、へとへとにくたびれ、大いに愉しめたとしましょう。どうなると思います?
それまでの不眠がウソのようにぐっすりと眠れます! 特効薬なわけです。薬というより菩薩レベルです。<かくれんぼ>していてそのまま眠り込んでしまったというのも、そんな観点で見れば、まさに睡眠障害を疑わせます。
いつもいつも子どもたちと遊べるわけではなく、前日は、遊べなかったとすれば、睡眠不足だった可能性がある。慣れない場所、不自由な姿勢で一時間以上も眠り込んでしまっていたのなら、それはやはり寝不足。良寛さんが子どもたちとよく遊んだということには、そういう事情もあったと思うのです。
ただし、実益があったから、子どもたちとよく遊んだと云うつもりはありません。そういう見方になると、良寛さんから大きくズレる。もし、少しでもそんなことが意識されたら、それこそ子どものいない山奥に移って行かれたことでしょう。良寛さんは、たぶんそういう人です。それはそう思います。
しかし、打算はなくても、子どもたちに救われていたという事実はあったと思います。だからこそ、子どもたちと対等に遊び続けることが出来た。
現実の子どもは未熟な存在でもあって、愚かなことも、やってはいけないことも、いっぱいしでかします。子どもたちへの余程のリスペクトがなければ、やっぱり上から目線になってくると思います。しかし、そういう態度をとれば、煙たがられる。自分たちとは違う、大人だと思われてしまう。
そうならなかったのは、子どもへのリスペクトがずっと持続していたからです。そのリスペクトが薄れなかった原因は、良寛さんに睡眠問題があったからではないかと。今日はよく遊んだ~という日と、今日は遊べなかった……という日の違いが、夜に残酷に現れていたのであれば、子どもたちへの有り難みを忘れようがありません。
思いつきの結論に、適当な説明を後付けした話で恐縮ですが、
特に独居の高齢者にとって、小さな子どもと一緒に過ごす機会は、<元気がもらえる>という以上に、<心のセーフティネット>にもなる、それくらいかけがえのないものである……
それが、今回、気づかせてもらえた教えです。公園で出会った子どもと良寛さんのおかげ!
最後に、だそく(句)
つきぬうつ(鬱)ついて晴らすや てんてまり
かくれんぼ 子たちの声が 老守歌
散るもみじ 子らの前にて 宙がえり
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