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アートな読み物

毎週末、アートが楽しくなる読み物を投稿していきます!
ヴェルデさん、かるびさんなど美術ライターも参加していただきました。それぞれの切り口のいろいろな読み…
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記事一覧

『薄緑(膝丸)』と『髭切(鬼切)』二振りの名刀が見つめた源氏の時代と栄枯

試し切りで罪人の首とともに髭をも切り落とした「髭切」、罪人の膝まで切断した「膝丸」という…

フェルメール『デルフトの眺望』ゴッホが愛したフェルメールの世界

『デルフトの眺望』は、ヨハネス・フェルメールが1659年~1661年頃に描いた唯一の都市風景画で…

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ロートレック『ディヴァン・ジャポネ』カンカンの国際的な人気を高めるきっかけを作っ…

トゥールーズ・ロートレックが描いたポスターには、人気ダンサーのイヴェット・ギルバートとジ…

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光琳『紅白梅図屏風』意外にも20世紀以前にはほとんど知られていなかった国宝

日本の画家・尾形光琳(1658–1716)の作品『紅白梅図(こうはくばいず)屏風』は、左側に白梅…

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クリムト『接吻』クリムトが描いた多様な文化と芸術の融合の結晶

グスタフ・クリムトの代表作『接吻』は、1908年にウィーンのクンストシャウ美術展で初めて公開…

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アルテミジア『ホロフェルネスの首を斬るユディト』ユディットの姿に込められた強さと…

ベツリア出身の若きユディトは、美しい装いで敵軍の将軍ホロフェルネスの陣地に潜入し、同盟を…

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リッピ『聖母子と二人の天使』芸術と愛の狭間で揺れる禁断の関係

『聖母子と二人の天使』は、フィリッポ・リッピによるルネサンス期を代表するテンペラ画で、彼の最も有名な作品の一つです。この作品は、イタリアのフィレンツェにあるウフィツィ美術館に所蔵されており、しばしば「ウフィツィの聖母」とも呼ばれます。この絵画がもたらした革新は、宗教画に新たな基準を示し、ルネサンス美術の発展に大きく寄与しました。 『聖母子と二人の天使』は、窓辺の静けさを捉え、背景に広がる壮大な自然が特徴的です。聖母マリアは幼子キリストを抱き、前景には二人の天使が配置されてい

モロー『出現』に描かれた幻想と退廃、象徴主義の真髄を探る物語

『出現』は、新約聖書に記された物語に基づく絵画で、王女サロメが継父ヘロデ・アンティパスの…

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モネ『散歩、日傘をさす女性』モネが描いた「日傘の女性」に秘められた愛と切なさ

『散歩、日傘をさす女性』は、クロード・モネが妻カミーユと長男ジャンを愛情深く描いた作品…

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サージェント『マダムX』一枚の絵が作り出したスキャンダルとその後の軌跡

『マダムX』は、ジョン・シンガー・サージェントが1884年に描いた肖像画で、ルイジアナ州出身…

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池田蕉園・輝方『桜舟・紅葉狩図屏風』〜失踪から結婚へ、試練を超えた夫婦の共作

池田蕉園は、明治から大正にかけて活躍した女性日本画家で、美人画を中心に独自の画風を築きま…

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マネ『フォリー・ベルジェールのバー』〜複雑な人間関係や社会の階層構造を象徴

『フォリー・ベルジェールのバー』は、エドゥアール・マネによって描かれた絵画で、彼の晩年の…

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上村松園『焔(ほのお)』〜スランプを乗り越え、美人画の枠を超え内面の闇に迫る感情

気品あふれる作品群の中で、際立って異彩を放つ2枚の絵が存在します。それが『花がたみ』と『…

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クレーが最晩年に描いた『忘れっぽい天使』で伝えたかったものは?

パウル・クレーは、バウハウスを退職後、1931年から1933年までデュッセルドルフの美術学校で教授を務めていました。しかし、1933年にナチスが政権を握ると前衛芸術が弾圧され、クレーもその対象となりました。彼は批判を受け、学校から休職処分を受け、自宅のアトリエも警察によって調査されました。 この状況を受け、クレーは妻リリーの勧めで、身の安全を図るためにスイスのベルンへ避難しました。亡命から2年後、クレーは原因不明の難病である「皮膚硬化症」にかかり、体調が悪化します。晩年の5