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新しい仲間が加わりました【チェンソーズ people #1】

9月、滋賀県から林業歴11年の木田俊樹が転職してきました。35歳。

毎日現場に出てバリバリ仕事するほか、東京美林倶楽部の枝打ちイベントや森デリバリーなどにも顔を出しているので、「もう見かけたよ」という方もいらっしゃるかもしれません。

今回は、ニューカマー木田の紹介です!

まずはプロフィールです。

1988年、滋賀出身。立命館大学情報理工学部卒。卒業後、京都で半年勤めたあと、地元甲賀に戻り、三重県伊賀の林業会社で主に伐採を行う。
これまでとは別のしかたで、林業の新たな視点を得るべく入社。山と街を行き来しながら、その新たな心地よい可能性を模索している。
ひとつが優れているわけではないけれども、あらゆる生活の技術をこなす人を目指す。

本当は僕(こちらも木田)がインタビューして文をまとめるというやり方を考えていましたが、「いくらでも書くよ」とのこと。

なのでこのあと続く本文は、本人が「会話ふう」に書いてくれました。

「長くてもいいですか?」「いいよ」のやりとりを経た3,500文字オーバー。

ぜひ、読んでみてください!


仕事内容の変化

前職では主に伐採を担当

チェンソーズに入社する前は、三重県の林業会社で10年ほど、グラップルやフォワーダなどの重機を使った搬出間伐や、捨て切り間伐などを行っていました。

主に伐採を担当していたので、植栽や枝払いなどの育林はまったくやっていませんでした。はじめてやることって楽しいですね。

三重県の原木市場で、出品中の大きなスギと(本人が伐ったのではないそうです 笑)

イベントにも参加

イベントでは、街のひとと話す機会があって、山や森や木についてどのくらい知っているのか、距離感のようなものが見えていろいろ考えさせられました。

普段山で働いているので、みんな山のことを知っているものだと思いがちになっていたので、そういう機会があるのはありがたいですね。

チェンソーズは山と街の間を繋ごうとしているのですから、相手の話を聞くのは大切です。

転職の経緯

「今日も森にいます」を読んで、ちょっと変わった会社があるんだな〜と

チェンソーズのことを知ったのは、たしか10年ほど前ですね。林業を始めたときです。京都で働いていた会社を一身上の都合で辞めた後、知り合いに誘われて、林業を始めました。
 
大学は情報理工学部でしたし、大学卒業までサッカーしかやってこなかったので、林業のことはまったく知りませんでした。

林業界ってどんなところだろうかと、働きながら体感したり、ネットや本でいろいろ調べました。

なんとなく枠組みがわかって来たときに、2011年に発刊された『今日も森にいます。東京チェンソーズ』を読んで、ちょっと変わったことをやっている会社があるんだなと認識したのを覚えています。

冬の伐採シーズンを前におニューのチェンソーと(右)

一旦ペンディングするも、今年に入って再会

東京チェンソーズって社名は一度見ただけで覚えられるくらい、インパクトが大きいですよね。
 
ただ、そのときは、覚えなければいけないことがたくさんあって、目の前の仕事だけで一杯一杯でしたから、認識しただけでした。

今年に入ってから、たまたま「POPEYE Web」に連載されていた『私のいえは、東京 山のうえ』を読んで、ふと、そういえば、チェンソーズはどうなっているのか気になったんです。
 
そこから、チェンソーズのホームページを訪れたり、2020年に発刊された『山をつくる: 東京チェンソーズの挑戦』を読みました。

チェンソーズの10年の変化に驚く

自社所有の山で保育から販売、サービスまで一貫した林業を行ったり、自分たちの作ったものを直接届けたり、補助事業のみに頼らない林業を目指していたり、伐採だけでなく森の価値を広める活動など森林の新たな価値作りのための林業が描かれていて、チェンソーズが10年の間にすごい変化していて驚きました。
 
チャレンジに奔走していて、すごい、おもしろそう、ここで働いてみたい、自分ができることや経験が役に立てれば嬉しいと率直におもいました。

いざ、転職

獣害防止柵設置の現場で

地道にコツコツ

仕事でやること自体は以前とあまり変わっていません。チェンソーズに来たからといって、華やかなわけではなく、地道にコツコツとやっています。

ただ、現場では、若いパワーを感じますね。前の職場では最年少でしたから。
 
それに、いろんなことを経験した多種多様な考えを持ったひとたちが集まっていて楽しいです。

ほとんどの林業会社って、伐採や収穫がメインの仕事だと思うのですが、チェンソーズはいろんな部署があり、種を巻いて畑を耕すことも仕事にしているのがおもしろいです。

ものの見方が多様。それが面白いところ

木工の部署では山から切り出された木を使って製品にしたり、サービスの部署では林業や木や森や山のことをより身近に知ってもらおうと活動していて、そういった部署のひとたちと話すのも楽しいですね。
 
たとえば、普段、山仕事をしているひとの木の見方と、工房でものづくりをするひとの木の見方がまったく違っているんですね。

多様な見方が近くにあるのは、チェンソーズの面白いところだと思っています。
工房に行ったとき、「それ、めっちゃいい!」と工房長に言ったら、「木の根って匂いが強いんですよ」って偏愛を語ってくれました。そういうのが好きなんですよね。

工房長が偏愛を語ったヒノキの根っこから切り出したキューブ

転職から3ヶ月。最近の暮らしについて

急に寒くなって、慌ててファンヒーターを用意

チェンソーズに入社したのが9月の中旬でしたから、もう3ヶ月になります。早いもので、2023年も残すところあとわずか。あっという間ですね。
 
まだまだ落ち着かないです。先日まで冬の準備をしないままでいたら、朝が急に寒くなって、慌ててファンヒーターを用意して、近くのガソリンスタンドまで灯油を買いに走りました。

同じアパートに住んでいた同僚から、今住んでいる武蔵五日市駅付近は寒いよ、と聞いていたのですが、いざ本当に寒くならないと動けないんですよね。

山から望む五日市のまち

クルマも冬支度

東京に来る前は、滋賀県甲賀市に住んでいて、そこから隣町の三重県伊賀市まで30分ほど車で通っていました。
まだ本格的な冬が来ていないので何とも言えませんが、肌感的には、同じような寒さのような気がしていて、ひとまず四駆の車とスタッドレスタイヤは用意しています。

この頃、思うこと

チェンソーズは「はじまり」を作ることができる

ところで、最近読んだ『WORKSIGHT17 植物倫理』にあった音楽家ブライアン・イーノの文章が、僕なりにチェンソーズのおもしろいところを言い表しているとおもったので、少し長いですが引用させていただきます。

庭について考え、わたしたちがなぜそれが好きなのかに思いを馳せることは、実りの多い逸脱だった。人はアートを建築のように考えがちだ。つまり、何かをつくる前には必ず『プラン』や『ビジョン』が必要で、それができてからつくり始めるものと想像してしまう。しかしわたしの感覚では、アートの制作を考えるにあたって有用なのは、むしろそれをガーデニングのようなものとして考えることだ。いくつかの種を植え、それらの間で何が起きるか、それがいかに芽吹き相互に関係しあうのかを見つめる。プランがまったくないわけではないが、創作のプロセスは、自分と対象との相互関係であって、それにペースを委ねることにほかならない。このアプローチはときに『procedural』(手続き的)とも呼ばれるが、わたしは『generative』(生成的)と呼んでいる。庭が毎年ちがっているように、ジェネラティブアート作品は、見るたび聴くたびに違っている。これが意味するのは、ここには終わりというものがない、「完成形」が存在しないということだ

「WORKSIGHT」17号 ”植物倫理 Plants/Ethics”(学芸出版社)

いまチェンソーズがやっているいろんな事業を、これまでとは違う仕方でうまく組み合わせるのって簡単ではないとおもいます。それに、この先どのようになるのかは、どのように木が成長していくのかわからないのと同じで、推測が難しい。

であるからこそ、先に挙げたいろんな事業部があったり若さであったり変な木材を扱ったり、チェンソーズだからできることがあるとおもって集まった人たちで、「はじまり」を作ることはできるのだとおもいます。

ひと仕事終え、帰路に着く

これまでになかったものの見方を発明したい

見方は変えられると思うんです。ジョン・ケージという音楽家がいまして、その人がある公演で、ステージのピアノの椅子に4分33秒、ただ座っていたんです。

すると、ピアノが聴けると思っていた観客は、しばらくするとザワザワしだすんですね。
ジョン・ケージは、そのザワザワも音楽だと言いたかったのだと思うんです。
 
普段生活をしていると、日常の音に意識は向かないですよね。ジョン・ケージがそう言ったときから、人々は日常の音が見えるようになったんですよ。
 
そういう、これまでになかった見方の発明のようなことにチャレンジしたいですね。「林業をもっと自由に! 柔軟な発想で、新たな林業を作る」とあるように。


ニューカマー木田俊樹、いかがだったでしょうか?

これからも現場のみならず、いろいろなところに出没して行きそうな感じですので、その際はぜひ、よろしくお願いいたします!

現場で昼食のあと