特支特番#11 人の器 動画紹介およびテキスト
昔々あるところにおじいさんがいて、飼っていた犬をそれは大事に育てていました。するとその愛犬がワンワンとある場所で吠えるようになりました。おじいさんはそこを掘ってみると、お金がどっさり見つかるわけですね。おじいさんはそれはびっくりして、愛犬を称賛します。
しかしその愛犬は、その一部始終を見ていたおじいさんの弟に連れて行かれることになります。その弟は犬に対して虐待を加えながら、吠えるよう命令するわけです。かわいそうな犬がワンワンと吠え、そこを弟が掘ってみると、ごみばかりが出てきました。おじいさんは何をしていたかと言うと、愛犬がいなくなり探し回っていました。そして弟の場所にたどり着き犬について聞いてみると、なんと腹を立てた弟に殺され、燃やされてしまったというのです。おじいさんは愛犬の変わり果てた姿に心を痛め、火が消えた後、遺灰を集め壺の中にしまいました。そのとき風が吹き、遺灰がふわっと空に飛んでいき、枯れた桜の木に触れた瞬間、みるみるうちに桜が満開に咲き誇る奇跡が起きました。おじいさんは、枯れたたくさんの木々に愛犬の遺灰を巻きたくさんの花を咲かせ、村のみんなに体操喜ばれました。
ある日、近くのお城の偉い人が桜を咲かせるおじいさんがいると聞いて城下に降りてきました。するとこれはチャンスと思った弟は自分が飼っていた犬を殺しその遺灰を使って、お城の偉い人にアピールをするんです。私が花さかじいさんであると。しかし、木々や花々に遺灰を振りまくと、その植物たちはみるみる枯れていってしまい、お城の偉い人はカンカンです。そこにおじいさんがやってきて、愛犬の遺灰をその裸になった一帯にばらまきました。するとまたもや花々は咲き誇り、木々はきれいに花を咲かせてくれました。それを見たお城の偉い人は大層喜び、欲しいものはないかと訊ねるわけです。するとおじいさんは。「ほしいものはありません。できれば弟をゆるしてもらえませんか」とお城の偉い人に言うわけですね。感銘を受けたお城の偉い人は弟を許し、おじいさんと弟も和解して仲良く暮らしました。
まあこんな話だったと思います。諸説在ると思いますが、大きな流れは変わらないと思うのですが、なんでこんな話をするのかというと、今日は成人発達学についての話をしたいと思っているからなんですね。成人発達学というのは、定義によって違うのですが、簡単にいうと成人になってからどのように人は成長しその人なりの人格を形成していくのかという学問だと思っています。言うなれば、人の器を研究する学問とも言えると思います。
人の器とは、一体どんなものなのでしょう。その人の人となりを表す時に使うこの「器」という言葉、メタファーとしてとても優れていると思っています。見た目、手触り、材質、深さ、広さ、そして包容力。器という言葉以外にあてはまる言葉はないでしょう。
人の器についてアメリカやオランダの大学が学派を立てそれぞれ研究を進めているそうですが、今回は自分なりの解釈を伝えます。まず、器の見た目、これはまさに人から見られた時の自分ですよね。材質はどうでしょう。これは、その人の内面を表しているつまりメンタルだと思っています。陶器のように割れやすいのか、ある程度柔軟性を持っているのか。手触りは自分の関わる人との接し方が近いのではないでしょうか。自分に触れてくれている人々を指すと言ってもいいかもしれません。深さ、広さ、これは知識や技能、今まで自分が体験してきた様々なこと、清濁合わせて、どれだけため込めるかということだと思います。器に入るのが水なのかお茶なのかは分かりませんが、それがあふれ出すとキャパオーバーになったと言えるかもしれませんね。そして包容力、清濁合わせて自分であり、それを受け止める、包み込む度量を表している。今までの話だけで人となりを「器」であらわしていることの美しさが伝わった方は、さぞ良い器をお持ちなんだと思います。
ただその器も磨かなくては、かびたり、傷が付いたり、あるいはぶつけてわれてしまうかもしれません。ではどのように磨いていくのかを考えてみましょう。
私は、メタ認知と真善美の考え方が器を磨くために必要なものだと考えています。
メタ認知については、簡潔に言うと、自分を高いところから眺めてどんな状態なのかじっくり眺めるというイメージです。昔の茶人が茶碗をまじまじと眺める姿が浮かびませんか?そんな感じです。人からどんな風に見られているのか、自分が今どんなことを吸収して、それをアウトプットできているかなどを高い目線で確認するわけですね。
そして、真善美。真善美は哲学や論理学、芸術において非常に重要な概念です。この三つは人間が追い求めるべき普遍的な価値と言えます。これを自分の器とぶつけ合いながら磨いていくと良いと思っています。3つそれぞれを分けて説明できればと思います。
まず真、これは物事の本質や事実に基づく真理や真実を指します。真実を追い求める姿勢は科学や哲学、そして日常生活の中で重要な役割を果たしていると言えます。
次に善。これは人として正しい行いをすること。他者への思いやりや慈愛を持つこと、そして道徳的に優れた生き方を意味しています。
最後に美。美とは視覚的、感覚的、または精神的に感動を与える「美しさ」を指します。美しさには、自然の景色や芸術作品だけでなく、人間の内面の美も含まれています。
これら三つはともに相互関係にあり、真を探求することで善の基盤が築かれ、美しい結果が生まれることもありますし、美しいものが善なる心を生み、真理への関心を高めるとも言えます。真善美は個人の精神的成熟や社会全体の調和を追求する上で、普遍的かつ重要な価値観と言えます。
これをメタ認知した自分と当てはめて考えてみましょう。考えるだけで大丈夫です。それだけでも自分磨きができていると思いますし、今この動画をみているだけでも自分磨きができていると思いますよ。
では、最初の話に戻ります。そう、はなさかじいさんの話です。今までの話を聞いて、おじいさんの器の大きさがどれだけ大きいのかよく分かるのではないでしょうか。実直に生き、喜びを共に共有しあい、悲しいことを受け入れ、そして周りに称賛される人間として、良く表現されているのではないでしょうか。
では弟はどうでしょう。弟は実に短絡的で、実利にめざとく気付き、ある意味合理的な手法で利益を得ようとします。結果は失敗してしまいましたが、もしかしたらうまくいっていたらどうでしょうか。
現在の経済や教育の形は、どちらかと言えば弟よりの思想と言えます。エビデンスを大事にし、善や美は端に追いやられてはいないでしょうか。もしくは皆さんも合理的な発想で生きていることはないでしょうか。合理主義は人間の成長段階で言えばまだまだ未熟の段階と言えます。逆に言えばまだ伸びしろがあると言うこととも言えるでしょう。今回話した、人の器、真善美について日々研鑽しあいながら、自分らしい自分の器を作り上げていきましょう。