見出し画像

2024年の振り返りと、2025年のことと。

あけましておめでとうございます。

1日から3日まではとにかく自分の時間にしよーってことにしまして、おかげさまでひたすら寝ましたし、スクールの課題をひたすらこなしたり、思いっきり楽器触ったりとかとかしながら過ごさせていただきました。
年始も超えて、大掃除はまたの機会にします〜

さて、今年も始まりましたが、去年の振り返りと、今年の話と、一回整理しておきたいと思ってnoteを書きます。


2024年は「学びの年」に。

2023〜2024年は臨時的な収入が多かった年であります。
安定財源じゃないのであれば、使い道は貯金よりも自己投資!ということで、今までずっと行きたかった「都市経営プロフェッショナルスクール」への参加したことと、導かれるままに「JaLoGoMa」(ポートランドでのまちづくり人材育成プログラム)に参加をしました。

JaLoGoMaへの参加と出会い

先にやってきたのは「JaLoGoMa」
オレゴン州 ポートランドで開催されているまちづくり人材育成プログラムです。

結構な費用がかかる中で、とはいえもしかすると何かの学びがあるかもしれないと思って飛び込んだJaLoGoMaでした。
で、行ってみて、ポートランド自体が日本とまるで違って面白かったのもありますが、ポートランド自体が面白かった話はこちらを見ていただくとして…
帰国時とその後しばらくしたから感じたのは、日本の民主主義の未成熟さでした。ポートランドが必ずしも優れているばかりでもないと思いますが、当事者であり、主体者であると思えた時の関わり方がたくさんあるように思いました。

また、なにより、全国で本気でまちや国やコミュニティを変えようと動いている人や学んでいる人たちにたくさん出会えたことが特に一つ大きい経験になりました。
立場も、生きてる環境も違うけど、頑張ってる人がいて繋がれるってこんなに心が救われるように感じるのかと不思議な気持ちでした。2日目くらいに鼻血出ましたw
そして、今もそのつながりが生きているのが嬉しいのです。

都市経営プロフェッショナルスクールでの学びと体験

こちらは、2020年からずっと参加したいと思いながら参加できていなかったスクール。

当時はほんっっっっっとうにお金がなかった。
時間はあったけどお金がなくってとてもじゃないけど行けませんでした。
これから、年々きっと忙しくなっていくだろうと思えば、受けるならもう今しかない!と思って受講しました。

本でも、noteでも追いかけていたのである程度わかっていると思ってたのが、参加して見たら全然まるで足りてなかったと思いました。

受講最初の動画にあったと思いますが、「都市経営のプロ人材」になれるか?の確認をしているのだと思います。
やりたいのはやりたい。でも、学んだからできるなんて甘いものではない。
福祉に携わっていても思うことは、「出来ないことを出来ると言ってはいけない」です。
自分は本当に「街のため」に出来ることがあるのか?どこまでやれるのか?をちゃんと見極めたいと思います。

今の所、まだ全然足りない。
特に民間事業者としての実力が全然足りていないと感じています。
3月の修了式までに、小さくてもそれにつながる一歩はちゃんと踏み出したいと思っています。

公営住宅を活用した若者向けシェアハウス

「地域とつながるシェアハウス」というのもまたテーマの一つになっているこのシェアハウス。
2月で丸二年になります。
準備を考えると今日時点でちょうど丸二年でしょうか。

卒業する人もいれば、入居する人もいて、ここでは若者たちのいろんな課題と関わる場になっています。
総じて感じることは、みんなすごくエネルギーがある。けど、うまく発揮できていない(できていなかった)ようなケースによく出逢います。

住む子も、住まない子も、これだけのエネルギーがあるのに過去だったり今だったりのいろんなものが解消されていないことで、本来の力が発揮できていないようなことがたくさん。

具体、詳細にかけることはあまりないのですが、ここに来て、関わって、自分自身の気持ちに気づいて、課題と向き合って、壁を乗り越えて、それから表情がどんどん豊かになって、やりたかったことにひたすら邁進していく姿をみるのは本当に楽しいなと思っていて、いい時間を過ごさせていただいてます。

もちろんこればっかりは、楽しいばかりではなくって、場合によっては若者たちに嫌われたり、恨まれたりみたいなものもセットだなーって感じることもあります。その子がゆくゆく、のびのびやってくれたらいいなと。

いばみんLAB ~不登校という課題との向き合いと、"居場所"の役割~

昨年1月、ひょんなご縁から?不登校の状態にあるこどもたちや、その親御さんの居場所づくりや座談会を開催されてる方たちとの集まりの機会をいただきました。

こども食堂についても感じていたことで、「めっちゃ大事なことしてるんだけど、誰がやっててどんな場所で、どんな意味があるのかが知られてなさすぎるのでは?」と思うことがあります。

特に不登校支援については、いざそうなったときに初めて調べると思うので、他の選択肢やそれをどんな人がどんな思いでどう実行してるのか?とか。
またそれ自体の良いこと、よろしくない部分などなどについて考えたり話したりするような機会もほとんどないように思います。

これに限った話ではないですが、「誰も取り残さない社会の実現」といいつつ見えているものしか見えないというか、子どもや若者、子育て世代って世代で区切って見てもかなりの数の多様な状況があります。一人ずつ違います。
少なくとも何かの形で「知る」ことであったり、見えるのはとっても大事なことなのではないかな?と。
最近は、仮に知らなかったとしても、それを切り捨てないって考え方が身についてることって大事なんじゃないかなと思っています。それも一方的ではなく、対話する双方の前提として。

そんなこんなで、昨年4月からは「いばみんLAB」という、不登校であったり、そうでなかったりも含めて、こどもたちとその親を中心にしながら、どう楽しく面白くワクワク生きていく未来を作れるのか?に取り組んでる人たちと一緒に企画を始めました。

私はあくまでプラットフォーマーで、場所と環境だけ整えて、あとはそれぞれがそれぞれの思うやり方でそれぞれの強みを活かした取り組みをしてもらって。
「いばみん」LABに来てもらったら、もしも何かあったときに相談できる誰かだったり、ワクワクするなにかに出会えたりするかもしれないような日を作っています。

まだまだちっちゃいともしびのようなものですが、日常化できるように、なにか未来に希望を持てる場所にしていきたいなーって思います。

最後に、音楽関係のお話し

ジャズミュージシャンというのが、自分自身のアイデンティティーの一つであり、生き方や自分自身の在り方はどこまで行ってもミュージシャンだなぁと感じています。

計画は得意ではないと思っていて、人によってはアジャイル型人生なんて言われたりもしますが、その時々、不安定さと不確実さの中で心の向くままに動いております。
優柔不断とも言いますが、自分の心が納得できないことは出来ないし、腹落ちしたならば全力で突き進んでいく感じですね。
危うくもあるなと思う部分は、止めてくれる人や背中を押してくれる人が今はまだ少なくともいてくれてると思うので、ありがたく思っています。

自分の人生で自分個人にとって楽しいのはやっぱり演奏している時間で、その時間がなくなればきっと悲しいだろうと思うので、音楽を辞める人生だけは本当にありえないなーといつも感じます。

ちょっとずれますが、昨年11月、スクールの合宿でオガールアリーナでバレーボールさせてもらった時も相当に幸せでした。
やっぱり好きなものは好きですね。得意かどうかは別にして。

昨年中も、ブラジル音楽フェス、ジャズとクラシックのストリート演奏、他にも日常空間だったり、ホールでの演奏、ライブハウスなどなども含めて、茨木でも、それ以外でもいろんな場所で演奏する機会や、音楽を人に届ける機会をいただいて幸せな限りです。
演奏はとにかく好きだし幸せです。音響のお仕事は自分のこだわりのままにやれるのでそれもまた楽しいですね。

そんな自分にとって、今までは音楽を中心にして街へのアプローチをずっと思っていましたが、後述する「みんなのため」な視点を考えると、もうちょっとプラットフォームを作ることを考えたいなという方向にも向かっています。音楽はその中のコンテンツとして…と思いつつ。

コロナ禍で、音楽以外の繋がりがどんどん増える中で、少しずつ変化していたものが少し明確になったようにも思います。

閑話休題。「Pubilc」について思うこと。

コミュニティ・デザイン新論を読んで。

といいつつ、まだ読みきれてないのですが…
「コミュニティ・デザイン 新論」の出版記念の講演の中で、
「わたしのため」と「わたしたちのため」と「みんなのため」
って話がありました。

Publicを考えるって、その「みんなのため」を考えることだと思うのですが、そもそもみんなってなんだって思うとこれってものすごく広いのですよね。
社会や世の中には信じられないほどに多様なたくさんの人がいる中で、真に「みんなのため」を考えるってなんだろうかと。
お互いを知って理解して対話ができれば必ず幸せな未来に着地できる!って思いたいけれどそれもそんな簡単で単純な話ではなくって、それぞれの想いや思考、思想、立場や都合、歴史なんかもあるわけで。その中で、どうしていくのがいいのか、すごく考える機会になりました。

まちづくりは人づくり。といろんなところで言われると思います。

「JaLoGoMa」では市民協働とかではなく、市民主体のまちづくり。
都市経営プロフェッショナルスクールでも「公民連携」の話。

公民連携はそもそもが、「PPP(Public Private Partnership)」です。
が、日本だとなんとなく「公 = 行政 = 官」ってイメージがある。
すると、「公民連携」って字面から「Government Private Partnership」として想像してしまっていましたが、これは間違いですね。
「官民連携」と「公民連携」は同義ではないなと。

何にしても、主体者であるのは、市民そのものなのですよね。
行政の人ももちろん市民なわけで。

福祉の分野でも感じますが、もし、窓口も含めて全ての人がそれぞれの課題に主体性と当事者意識を持って取り組んでくれたらばいろんな課題が解決してるよねーって思ったりもします。

全ての人が公共サービスの受益者でもあり、提供者でもあるというか、それぞれができることをそれぞれが最大限主体者として責任持ってできるだけのことをする。官も民も。それでも、今の社会システムは決して完成されてないので、そこをなんとかするために福祉サービスがしっかり機能していく。というのが実現されればいいなーって思います。
「私は関係ないし知らん」みたいなのはちょっと悲しいなって思います。
できないことをできるって言っちゃいけないのはそうなんですが、ここまでは出来るって考えてくれてもいいんじゃないかなと。そのくらいの余裕が世の中と人の心の中にあればいいなと思います。

ちなみに、政府支出って日本全体のお金の流れの25%くらいだそうですね。
社会全体のお金の規模としては民間の方が圧倒的に大きいわけで、その民間事業者が事業の中で"公共"の役割を担っていく意識をもってくれることはとても大事なことなんだろうなと感じています。
当然それを強いることもできないんですが、パブリックマインドを持って街と関わる企業さんがもっともっと評価されてくれたら幸せだなーって思います。

リノベーションまちづくりと、断熱の話に感動した話。

プロスクールの最初。リノベーションまちづくりについての話がありました。
街の財産(土地、建物、人材、歴史などなど)を活かして、街をどう再建していくかって話かな?って思っていたのが最初でしたが、、、

清水 義次さんのおっしゃる、「公共サービスを民間事業者が担うことで、公的支出の削減と、公共サービスの質の向上を同時に実現すること」というところに感動。そして、確かにそれを実践、実行しておられる。

また、断熱に関して、実は全然興味がなかったのですが、エネルギーからみた経済的損失を抑える取り組みという視点があることを知りました。

熱エネルギーを作るのに大変コストがかかるわけで、その電力を作るために海外から大変にエネルギーを買っているわけで。
断熱されていない = その買ったエネルギーを大気中にばら撒いている。と言われた時に、なんて勿体無いと。
断熱するコストでエネルギーのロスを抑えられて。断熱するのに日本の技術や製品を活用できて、熱を発生させるのも日本の材木等の資材からできればそれはとてつもなく大きな意味を持つわけですね。

そこまでのスケールでなんか全然考えられていなくって、視野の狭さを自分の見えてる社会の小ささを感じました。
また、そこまでやって初めて「公民連携」としての意味をもってくるんだなと思えました。
仕組みづくりをしっかり考えて、いかにして街の未来に繋げていくか考えたいと思った2024年でした。

2025年、どうして行こうか

シェアハウスの件や、子育て支援、若者支援の部分でかなり持ち上げていただいたように感じています。ありがたい。
国会議員会館にも行かせていただいたり、こどもみらいフォーラムなんかにも登壇させていただき、かなりいろんな状況、環境を見せていただき、多くの出会いもいただきました。

自分にできることのスケールと合っているかというと、この数年であまりにいろんなことに出会いすぎて、やりたいことが今の自分のスケールをオーバーしているなとも感じる今日この頃です。

とはいえ、実現したい未来は実現したい。解決したい課題は山ほどある。
そのために、どういう道程をたどっていけばいいのかというところで、具体的な行動にどんどん落とし込んでいきたい今であります。

自分にできること、自分たちにできること、なんだろうか?というところですね。

ポートランドに行ったあたりから強く感じている「市民主体のまちづくり」や「民主主義」の本質

どうしても思想的なものとかと紐づいて、対立のきっかけになりそうであまり積極的に使えない言葉だったし、あんまりポジティブに感じていなかった「民主主義」という言葉ですが、ポートランドで見た景色と、いろんな街を見る中で感じるのはまさに「民主主義」の大切さだったように思います。

人それぞれに違うので、どうやったって分かり合えなくって傷つけ合うようなこともあるかもしれないけど、より良い結果(例えば、お互いの心身の平和だったり、人権の尊重だったりもそうだと思う)のための「対話」が行われることは必要だと思う。
理想論かもしれないけれど、その対話を放棄することはきっと民主主義を放棄することで、その先にはいろんな意味でのチカラによって結果が決定されるような未来が待っているように思います。

完全郵便選挙の実現に関しての話で、「私は間違っていた。全ての人が自分の意見を伝えられる環境があることこそが民主主義の前提にあるべきだ」というのもその時にとても大事なものとして感じたことです。
感動が山ほどあったのでその話はこちらから。

また、こどもや若者、その親との関わりの中で教育について考えることも出てきました。ずっと「教育者ではなくって、あくまで心穏やかに過ごせる場所を提供する人でいよう」と思っていたのですが、避けては通れないと思って。

そんな中、工藤勇一さんのいう「教育の2大目標は「主体性」「当事者意識」を育てること」というのに強く共感しています。
困っている子もいて、困らせている子もまた課題があったりするのですが、共通するのはこの2つだなと。

「愛着課題の根本的解決」
「自尊心と自己肯定感を取り戻し、好奇心を育む」
「自己決定力を身につけてもらえる場を作る」
とか色々考えていますが、とてもとてもこの2点は特に今年の学びの中で自分自身も含めて欠けていたと感じたことでもありました。

とても良かったので紹介。
「民主主義」という概念と、それを教えるおよび学ぶ、身につけるってことについての一つの回答だと感じました。
タイトル見た時は、なんて傲慢なのだろうと思ったのですが、「民主主義」という言葉と「民主主義を教える」ということの意味についてかなり真摯に向き合って書かれた本だと思います。
日本が本当に民主主義国家であるのであれば、ぜひ読んでもらいたいと思う一冊でした。序章だけでもいいので。

個人の体験から

随分の前の話で蒸し返すこっちゃないのですが、6時間、カフェの個室で6人くらいからガン詰めにされて、SNSを全部削除させられたようなことがありました。
あの時はしんどかったですが、ながーく続いた超支配的な関係性の中で生まれた、あの中では常識的な行為と発言でしたね。懐かしい。
その中にて、学んだこともたくさん合って感謝もしてます。
加えて、その状況の中から自分は何をしてどう生きていくかを自分自身で心に決めて動け出したこととその自信。
その後も失敗なんか山ほどしてきましたが、自分で決めた人生を歩けているって感じられるようになった今。おかげさまで随分と幸せに生きていると思います。

また、「そうか、あの時、直接会って、思っていることを正直に真っ直ぐに話せばよかったのかもしれない」なんてこともありました。
もちろんそれでうまくいったのかどうかは過去に戻れないのでわからないのですが。ポートランドでも散々言われて、腑に落ちましたが、心の中に何かあるならできるだけ正直に伝えよう。伝え方は考えるけれど、できるだけ真摯に、誠実に伝えようと思うようなこともありました。

この辺りの経験もあって、何か心の中にいろいろ抱えてるけど動き出せないでいたり、その感情を抑え込んで表情の無くなっていくような人を見てるとますます放っておけなくなっているように思います。
もともとの性分と相まって。ひたすらに余計なお世話だとは思うのですが。

見失いつつある(と感じた)、自分自身の欲求を明らかにする時。

そんなことを言いつつ、またやることや求められることが増えてきた中で、
「そもそも自分は何がしたいのか?何ができるのか?」
についてちょっと迷子になっていたなとも思いました。

なので、ここにきて、「自分自身がどうしようもなく没頭して取り組む」っていうことに向き合いたいと思い始めています。

例えるならば、自分自身がワクワクしてどうしようもなく止まらなくなってしまうぐらいに突き進めるプロジェクトを自分自身に提案してみたいなと。

例えば、街で活動を始めた頃は完全に音楽が中心にありました。
街の中に良い音楽がいつでも流れているようならきっとそれはいい街だなぁなんて個人的には夢のようなことを思い描きながら始めました。

ずっとそれは根っこにあるものの、少しずつもう少し変わってきていて、それぞれみんながやりたいことができて、仲間がいて友達がいて、楽しいことを一緒に共有しながらわくわくいきいきと人が過ごしてるような街に住みたいなぁと思います。
その中でほんの少し、音楽もやらせてもらえて、聞いてもらえて楽しんでもらえたりしたら嬉しいなと。
人が楽しそうにしてるのが好きだし、子どもも大人も目が輝いてくれているのを見ると嬉しくなります。

なので、みんなが面白くやりたいことでできる環境を整える、プラットフォーマーとしての役割ができるように今年は動きたいなと感じています。

なので、形はわからないけど、こども、若者たい、その親もワクワクに出会える場や、ワクワクを作り出せる場を作りたい。

フリースクールなのか
塾なのか
むしろ、大人が全力で楽しそうにしてるところを見せて行った方がいいのかとか。
方法はまだ決めてなくってフラフラしてますが、ただただ、好きなものに真っ直ぐであれる空間や環境を作りたいなと。
または、そんなものに出会える場を作りたいと思っています。

こども、若者が身近にいるのですが、大人もこの感覚を忘れながらこどものワクワクを引き出すのって難しいんじゃないかなと思います。
その辺に転がってる石っころを持って帰って宝物のようにしていたあの頃の感覚を忘れてしまったら、こどもらが何を楽しんでるのかもうわからなくなってしまうような気もします。
自分自身のワクワクをどこかで取り戻せるような機会があって、大人もこどもも関係なく、ワクワク感をシェアできるような場があれば楽しいなーと思っています。

自分自身のワクワク感の所在

演奏でも、バレーボールでも何がおもろいって、次の瞬間何が起こるかわからないことで、その一瞬一瞬で状況判断しながら未来を予想して行動していくっていうのがとても楽しいのです。

だから、ソロより伴奏が好きで、楽譜があるよりアドリブ性が高い方が好きです。ソロでもノープランで大海に放り出されるように演奏していいと思えてる時なんか超楽しいかもですね。
バレーボールも攻撃するよりはレシーブする方が好きです。どこに来るかわからないボールを待ち構えるのはすごくワクワクします。

茨生人図鑑なんてやらせてもらっていますが、毎回どんな組み合わせで何が起こっていくのかが予想はしつつもその場その場で動きが起こっていくのがとても楽しいですね。
そんな茨生人図鑑。次回は1/20です。

作りたい未来のビジョンも変わってきました。

60歳になったら縁側でお茶を飲んでいたいと思った15年前
60歳になったらジャズスタンダードをリラックスして演奏する日々を楽しく生きていたいと思った8年前

それからまた時間が経って、今は縁側から見える景色には、走り回ってる子どもらがいて、若者たちがいて、大人たちがいてという感じで人が増えてきたように思います。
これまでだと、「自分自身の心に余裕のある感じ」的なくらいの意味だったと思うのですが、ここにきてようやく「みんなにとって」という成分が自分の未来のビジョンに加わったように思います。
最後は一人がいいなんて思ってたんですけど、なんか変わってきたみたいです。

それもいろんな出会いがあって。なのですが、結局人は社会的な生き物で、一人では生きていけないのだなぁと感じたこの数年。特にこの一年でした。
今年はそれを踏まえて、自分自身を振り返りながら、次の行動を選んでいきたいと思います。

さて、長くなりましたが。

まずは自分自身にプレゼンするところから始めますw

自分自身がワクワクして、もうどうしようもなく止まらなくなるような楽しい事業プランを提案させてもらって、それからどんどん動いていこうかなと。

ちょうど今夜に向けて鋭意作成中ですが、その前にこのnoteは書き切っておきたかったので、なんとかここまできました…

公民連携事業も考えたいし、街へのインパクトももちろん考えたいんですが、そもそも自分自身が何より誰よりワクワクしてなきゃできないよねってことで、ここから一歩目だと思ってやってみようと思います。

そしたら、次はどんどん巻き込んでいくことになると思いますので、ぜひ皆様、ワクワクしながら巻き込まれて行ってもらえたら嬉しいなと思います!


というわけで、もしこんな長いnoteを最後まで読んで頂けた方がいたらならば本当にありがとうございますw

今年はnoteでの発信はもうちょっとこまめにやっていきたいなと。
自分自身の振り返りのために。

なので、また引き続きどうぞよろしくお願いいたいます。

それでは。

いいなと思ったら応援しよう!

木曽 稔之
お読みいただきありがとうございます!! "心に届く音楽"を少しでも多くの人に, 身近に楽しんでもら得るようにするために, 日々様々な活動をしています!! サポートでいただいた音楽を届ける活動に使ってまいります。 "面白そう!!"と思ってもらえたら, ぜひサポートを。