自分と丁寧に向き合う中で 以前から知っていた マズローの5大欲求の話が 改めて 自分に降ってきたからまとめてみた 以下まとめ 生理的欲求 食事、睡眠、排泄など 人間が生命維持していくための 本能的な欲求 安全欲求 身の危険を感じるような状況から 脱したいという欲求 心身共に健康、かつ経済的にも安定 安心して暮らせる 社会的欲求 集団に属したり仲間を得たいという欲求 人間関係において受け入れられたいという欲求 これが満たされないと 欠乏的な感覚の孤独感を覚え無気
人の期待に応えようとすることばかり 気にしちゃって 自分を生きれてない人って きっと沢山いて 僕もそのうちの一人だったからわかるけど それって搾取され続ける人生になる 人の期待なんか 完全にスルーしちゃってさ もっと自分が素直に たのしい! いいな! きもちいい! ここちいい! って感じる自分で在って 生きていけばそれでいーじゃんか 何重たくなっちゃってんのさ 怖いんだよね 人の期待に応えなくなることがさ もちろん 応えようとする 自分をやめれば
自分が一番好きな自分で在る時に 同時に 自己否定している自分もいて だから 一番心地よい感覚のとき 同時に 恐れの感情や 不安の感情も出てくるんだなあって 要は、安心がほしいんだなあって 気づいた 安心がほしいって 素直におもっていいんだなあって それに気づいたおかげで 何にフォーカスしていけばいーのか よーくわかった 恐れてもいいし 安心もしていい 恐れがでたら 迷わず撤退 安心できる居心地の良いところに 身を置くコト もっとシンプルに 幸せ
noteをやめて一日しか 経ってないが この自分の中で 一度区切りをつけた タイミングで 自分の中にあるモヤモヤに気がついた それは根深い自己否定 僕がいいと思ってやっていることを 楽しんでやっていることを 同時に それしかできないやつと 自分を否定している 自分がいる事に気がついた 無から有を生み出すのが好きだ 絶対こうしたい!と思ったら 行動に移す けど同時に それしかできないやつに なにができる 出来損ない 普通のことすらまともにできない と根深い
自分がどんな状態かで 関わる人は変わっていく 選ぶモノは変わっていく とにかく選択が変わっていく 自分を責めていたら 責めてくる人の側に 寄ってしまいやすく 自分に優しく接していたら 受け入れてくれる人の側に 寄りやすくなる 時に状態は 変わるもので あるきっかけに寄り いつも自分に優しくできていても 突然自分を責めてしまうモードに 入ってしまうこともある (いつも自分に優しくできていたら、すぐ戻せる) この現実というのは 単なる過去に放ったエネ
褒めるって最高ですよね 褒めるって 自分も気持ちいいし 相手も気持ちいい (ここで言う褒めるは上っ面の褒めるではない) 自分自身が 自分を受け入れることもできず 自分を否定しているようなら きっと人にも気持ちよく 褒めるなんて "自然と"できないでしょう まず自分から あなたはあなたのままでいい どんな自分でも こんな自分もかわいいなあ いけてんなあ かっこいいじゃん 最高だ って 自分の価値は誰が決めますか? 自分です 貴方の周りに 貴方の価
闘うことをやめよう 例えば 貴方の意見を否定してくるひと 言い返すのをやめよう 例えば 貴方が気持ち悪くなることをしてくるひと 仕返すのをやめよう なぜ?やめた方がよいか? それは簡単で 無駄でしかないからです 貴方の意見を否定してくるひとと いるくらいなら 貴方を尊重し、肯定してくるひとと いたほうが心地よいから 貴方になにか仕打ちをしてくるひとと いるくらいなら 一緒にいて心地よいひとといたほうが良いから これは、定義を超えたところで 家族
あの人にあんなことされて 傷ついた 深く悲しんだ 苦しかった ちがうんです あの人のせいじゃなくて 元から自分の内側にある傷に たまたまその人が触っただけなんです その人は 貴方の傷を気づかせるために 現れた存在ってだけ そして 傷に気づいたら 癒してあげる必要があります ひどい思い込み 深いトラウマを あらゆる体感をしていくことで 消化していくんです 僕はそうやって 自分の内側にある傷を 癒してきました もちろん癒した今でも 傷を気づかせてくれたあ
体感がとにかく大事 知識をつけた程度で 学んだとは言えない やってみる これで体感を得る そこで得たことが 貴方の学びになり 気づきにも繋がる 貴方は過去、あんなことをして 後悔したと思うことはありますか? 僕は腐るほどあります お金のこと 恋愛のこと 人間関係のこと 色々やらかしてきました でも そのやらかしてきたことが 自分の中で 選択肢を一つずつ消してこれたから 今の自分がいるし 自分を理解してこれたし 道を沢山踏み間違えてきたから 今の自身の土
頼る先を間違えると おかしなことになる 自分の弱さを受け入れる 頼りたいと思う 自分の弱さを受け入れれているなら その愛を人にも向けて 他者の弱さや、得手不得手 いわゆる感性も見極めた上で 頼る先を選ぶ 自分もハッピー その人もハッピー これがいいなって そう感じています 僕はむかし見境なく 人に頼っていたら 頼ってたその人が 疲弊していくのを見て ああ、自分のことで必死で 全然見えてなかったことに 気がついた瞬間がありました だから 自分へ向けて
裏切られたんじゃ無い 勝手に期待してただけだよ その人のありのままを見てたんじゃ無い 自分の期待を押し付けてたんだよ だから 裏切られて苦しんでるんじゃなくて 期待するということ が自分を苦しめてるんだよ 自分が勝手に苦しんでるんなら その苦しみを手放せば良いだけなんだよ なんで人は期待するんだろう って不思議に感じたことがある それはさ 思い通りになるとき 気持ちいいから ついつい思い通りにしたくなっちゃうんだよね って持論に辿り着きました で
結果が出ないと 自分がしていることが ダメなんじゃ無いかと 自己否定に入る人がいる せっかく 面白いと思って始めたものが 結果が出ないからといって 自分が楽しいかどうかではなく 結果が出るか出ないかで 見てしまう 結果、楽しいことすら否定してしまう どんなことでも 否定のエネルギーはよろしくないよね 面白そうと思って始めたそれを 楽しみ続けたら 必ず繋がっていく では仮に 誰かがこれでうまくいったと 言ったものをコピーして 自分の感覚を無視してやったとする
自分を否定すればするほど、認められたいが湧いてくる 自分を否定すればするほど 認められたいがでてくるのは 自分の感覚じゃなく 認められたいその人の感覚で 生きようとしているから ねえできてるでしょ!?って その人に言われて 安心したい 自分の感覚を否定して 人の感覚で生きようとするから 認められたいが強くでてくる 認められたいから 認められなかったら 存在全てを否定されたように 感じ 一瞬で自分にとって 敵になる それははじめから 貴方が貴方を否定してい
" 孤独 " を愛する Noteの初めての投稿で 孤独を愛する人がひとりでも 増えて欲しいという記事を書いた 今もその気持ちは変わらない 孤独とは 自分の内なる感覚、感性 自分の内なる正しさ それらを 全肯定し、信じ、尽くしてあげること それこそが孤独を愛すということ どんな自分も愛してあげる 自分の中にある 自分を重たくするルールや 思い込み、考え方を 手放して 心地よく軽くのびのび生きていく 正解は外側に非ず 自分の内にある 自分の正しさがあなたの
子育ては、しない というのはなにかというと 自分の子供という 概念に縛られずに ひとりの人間として 接したい そんな気持ちがあるのだ どんな感性の持ち主なのか 観察して 傾聴して じっくり理解したい 良い距離感で サポートしたい のびのびと生きて欲しい 子供の前で 見栄を張ってデカい態度を 取るほど、自分は別に 子供にとって 偉い存在ではない 親は偉い存在ではなくて 子供が自立していく上で 精神的にも金銭的にも サポートする存在かなと 自分は感じる
今の社会の仕組み的に 家族 小学校 中学校 高校 大学 と環境ありきの人間関係と関わる (そうじゃないケースもあるだろうがほとんどはこの流れかな?) その中には 価値観の合う人間関係もいるのだが ほとんどの場合は 環境ありきの人間関係 この人格が 形成されていくタイミングで 自分と向き合い 人間関係を 自分がつくっていく感覚を 掴まなかったら 社会で確実に痛い目をみる まあ痛い目もみて 人は気づくのだから それも必要必然 環境ありきの人間関係で やってい