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『古事記ディサイファード』第一巻041【Level 5】太陽の軌跡(2)
【解答9】
ここでは次の座標のうち二つ以上合っていれば正解としよう。
伊勢神宮
内宮
外宮
高倉山古墳
熱田神宮
赤神山(別名太郎坊山。中腹に太郎坊阿賀神社がある。)
熊野那智大社
熊野本宮大社
大斎原
宗像神社
伊吹山
尖山
位山
日輪神社
戸隠山
皆神山
馬背岩
那智の滝
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まずは言わずと知れた伊勢神宮である。
古事記を全く読んだことがない人でも伊勢神宮がアマテラスオオミカミの鎮座地である事ぐらいはご存じだろう。
その他基本的なことは書籍が多数出ているのでそちらをご参照いただきたくとして、肝心なことは伊勢神宮と一言で言っても内宮と外宮があり、さらに関係する摂社・末社は無数にあるということである。
意外と知られていないのは外宮の神域の中に高倉山古墳という禁足地の古墳が存在することだ。
名古屋の熱田神宮には三種の神器の一つである草薙劒があると言われている。
草薙劒は元々の名前は天叢雲劒。スサノオが櫛名田比賣を救うため八岐大蛇を退治したときに尻尾から出てきたというあの神秘の剣だ。
それが熱田神宮にあるという。東征から帰ってきたヤマトタケルが熱田神宮で宮簀媛に預けたというのである。
もちろん誰も見た者はいない。
しかし本書の全てのミッションをクリアしたとき、もしかすると読者諸氏の眼前にその剣は現れるかもしれない……。
太郎坊阿賀神社は近江鉄道八日市線の太郎坊宮前駅から徒歩20分、際立って美しい三角形の霊山、赤神山の中腹にある。ご祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊。不思議なスリットの入った夫婦岩がある。
熊野那智大社は熊野三山の一社であり全国に四千社以上ある熊野神社の本社。ご祭神は熊野夫須美大神。
熊野本宮大社も熊野神社の総本社とされ、御祭神は、熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)に共通する熊野十二所権現である。
大斎原は熊野本宮大社がもともと鎮座していた場所とされ、巨大な鳥居が有名である。
宗像神社という名の社は多数存在するが、ここでいう宗像神社とは奈良県宇陀市菟田野大澤の宗像神社である。宗像三神のうち市寸嶋比賣を祭る。
伊吹山はヤマトタケルが崩御するときに最後に邪神と闘ったとされる場所である。
石川県の尖山、岐阜県の位山に関しては昔から役小角のテレポーテーションやUFO目撃などいろいろと伝説が多くレイライン仮説も流布されているのでご存じの方も多いのではないだろうか。
日輪神社は創建が不明だがご祭神は天照大神で中世には「日輪宮」と呼ばれていたらしい。
馬背岩に関しては何故筆者がこの場所を選ぶのか現時点では不思議に思われる方も多いことと思う。ただの天然の流紋岩の隆起である。何の伝説も寺社仏閣もない。場所柄、日本武尊に纏わる言い伝えか何かありそうなものだと調べてみても全く何も出てこない。少なくとも表面的には古事記との関係性も全く見いだせない。
自然に出来た流紋岩の隆起がどうしたというのだろう?
那智の滝も意外に思われる方が多いかもしれない。滝など自然の気まぐれの産物のように思われるだろう。筆者も昔はそう思っていた。
しかし、忘れないでいただきたい。北海道で図形を構成していたのは主に〈自然に出来たはず〉の火山群や湖や岬や岩ではなかっただろうか?
京都でも半国高山や翠黛山が図形を構成していたではないか。
勿論、先に御説明した大和三山も近畿地方である。
特に耳成山は重要な意味を持つ。
それぞれの神社などに関してはインターネットで検索すればいろいろと情報が出てくるので本書では紙数の関係からもいちいち詳説することは避けたい。
筆者はそういうものをほとんど読まず、まず座標を確認して他の座標との距離や方位角をひたすら割り出していくのみである。
そうすると何も情報がなくてもどういう場所なのか自ずと本質が見えてきて驚かされるのである。情報を調べるのはその後で良く、やはりそうであったかと心底納得できる。
読者諸氏におかれましても、ご祭神がどなただとか由緒や縁起がどうとか、あまりあれこれ情報を詮索せず一切の先入観を持たれない方がよろしいかと存ずる。
古事記の暗号と座標だけで充分なのである。
【ミッション10】近畿の図形
一見何の規則性も無くランダムに配置されているように見えるこれらの座標だが、古事記と無縁に思われた北海道にも明らかに意図的な図形が見いだされたように、ここにも驚くべき法則性が見いだせるはずではないだろうか?■
(つづく)
※ 最初から順を追って読まないと内容が理解できないと思います。途中から入られた方は『古事記デイサイファード』第一巻001からお読みいただくことをお薦めいたします。
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