『古事記ディサイファード』第一巻042【Level 5】太陽の軌跡(3)
【解答10】(1)
この付近は伊勢神宮や熱田神宮などが存在し、記紀の中で直接的に言及されているエリアである。図の左側に大和三山、京都の図形が小さく見えている。
まず、熱田神宮と太郎坊阿賀神社がある御神体山、赤神山に注目してみよう。
この二カ所はほぼ同緯度に存在し、二点間の距離は66キロである。
そして、伊勢神宮外宮と奈良県宇陀市菟田野大澤の宗像神社もほぼ同緯度に位置しており、二点間の距離はこれもまた66キロである。
ということは当然この四カ所で巨大な平行四辺形が成り立つのではないだろうか?
縦の線を検証してみよう。
熱田神宮、伊勢神宮外宮ラインはどうなっているだろうか?
熱田神宮から外宮への距離は73km、方位角は194°である。
ではもう一方の辺、赤神山-宗像神社ラインはどうか?
同じく距離は73km、方位角も194°と一致する。
熱田神宮、伊勢神宮外宮、赤神山、宗像神社は巨大な平行四辺形を形成していると言える。
ではその対角線はどのようになっているだろう?
長い方の対角線、熱田神宮と宗像神社の距離は111kmである。
内宮との関係はどうなっているのだろう?
伊勢神宮内宮から熱田神宮への距離は76kmで方位角は192°である。例によって96の倍だ。
内宮と外宮との関係を見てみると距離は4キロ、方位角が330°である。
宗像神社と熊野本宮大社の元の社殿があった大斎原との関係を見てみよう。
宗像神社から大斎原への距離は73km、方位角はやはり194°である。
つまり赤神山、宗像神社、大斎原は正確に一直線に並んでいると言える。
そして巨大な旗のような形を形成する。この旗の柄の部分は宗像神社によって二等分されているわけである。
宗像神社の近くに大和三山があるが、こことの関係を見てみよう。
赤神山から耳成山への距離は75kmである。
そして、大斎原から耳成山への距離もまた等しく75kmである。
つまり耳成山、赤神山、大斎原は一辺が75km、底辺が146kmの巨大二等辺三角形を形成している。
耳成山が名前の通り巨大な旗型図形の「耳を成している」のである。
考えてみるとなぜ耳成山はこの名前で呼ばれているのだろうか? 意味的にこの図形の成り立ちと符号するのは偶然なのだろうか?
大斎原と伊勢神宮との関係はどうなっているか見てみよう。
伊勢神宮内宮から大斎原への距離は111kmである。
大斎原から外宮神域内にある禁足地、高倉山古墳への距離もまた111kmであり、大斎原、内宮、高倉山古墳は一辺が111km、底辺が4kmの二等辺三角形を構成している。
平行四辺形の中部側はどうなっているのだろうか?
多くの方にとって気になるのはやはり岐阜県の名高い霊山、位山との関係ではないだろうか?
位山から熱田神宮への距離は194°である。
つまり伊勢神宮外宮、熱田神宮、位山は194°の正確な一直線である。
それだけではなく、赤神山から位山への距離は137kmなのである。北海道でせたなロウソク岩に集中して何度も繰り返し出てきたあの数値である。
この繰り返し登場する137という数値には一体どのような意味があるのだろう?
位山が接続するとなれば、当然その少し北にある伝説的な霊山、富山県の尖山が気になるはずである。
位山から尖山への方位角は192°である。これもまた例によって96×2だ。
ここまでくればさらにその東側の戸隠山も無視できない存在であろう。
果たして位山から戸隠山への距離は66kmである。
(つづく)
※ 最初から順を追って読まないと内容が理解できないと思います。途中から入られた方は『古事記デイサイファード』第一巻001からお読みいただくことをお薦めいたします。
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