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純粋にエンタメを楽しめる大人でありたい
今隣で、4歳と0歳の娘二人がすみっこぐらしの映画を見ている。
長女は「すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ」が大好きで、見た回数は10を超えている。飽きないのかな?と思って、毎回ネットフリックスの画面を開いては、「他にもこんなのあるよ〜」と一応話してみるのだが、「すみっこの魔法のやつがいい」と毎回この映画を選ぶ。
そして、初めて見たかのようなリアクションをする。「なんでパン屋さん行くの!」「隠れてお菓子食べたらあかんー!」と、画面にツッコミを入れながら、お気に入りの魔法使いのキャラクター"ファイブ"が出てくるのを心待ちにしている。
何度も同じ作品を見る気持ちは、とてもよく分かる。夫は一度見た作品は二度と見れないらしいので、この性格が遺伝なのだとしたら、わたしの血だろうと思う。
中学生の頃、お笑いにハマっていた。特にウッチャンナンチャンの内村さんが司会をしていた「爆笑レッドシアター」というコント番組が大好きだった。毎週水曜日に放送されていたのだが、次の放送日が待ちきれなくて過去回を繰り返し見ていた。
何度も見すぎてネタを覚えていけど、それでも毎回おもしろかった。おもしろいと分かっているからこそ繰り返し見られたのかも知れない。親から「また見てるん?」と呆れられるほど、異常なほどにレッドシアターを何度も見ていた。
そのときの自分の熱中ぶりが眩しくて羨ましい。大人になると、「こんなことにこんなに時間使って大丈夫かな?」「せっかくなら自分のためになることに時間を使いたい。」と卑しい気持ちが出てきてしまう。
でも、こんな卑しい気持ちで読む本や見る映画には何の価値もない。何の価値もない、は少し言い過ぎかも知れないけど、「楽しい」だけで良いはずのものに有益さを求めるのは非常にナンセンスだ。(ナンセンスって言葉、古いのかな。でもナンセンスという言葉以外思い浮かばなかった。)
純粋に楽しんだものの方が脳に染み付いて、その結果数年後の自分のためになることが多いように感じる。
娘は最近、読書や計算にハマっている。
でもたぶん、賢くなりたいからというより、ただそれが楽しいからやっているんだろうと思う。
覚えて、できることが増えていく感覚が楽しくてやっている。それを周りは"勉強"と呼ぶんだろうけど、勉強している感覚はおそらくない。
教養としてではなく、楽しむための本や映画。教養のある大人はかっこいいけど、純粋にエンタメを楽しめる大人はもっと素敵だ。
ナチュラルにそれができる子どもってやっぱりすごい。
画面にかじりつきながらすみっこの映画を見ている娘に「何回も見すぎてセリフ覚えてるやん」と言うと、恥ずかしそうに笑っていた。