「説得」 - ジェーン・オースティン。
ああ、面白かった。
期待通りの余韻が残る。
「完璧な芸術」という歴史的評判の通り、ジェーン・オースティンの最後の小説である「説得」は、ウェールズの海、山、川へと移動する夏休みのキャンプ中、私の心にずっと付き添っていた。
夏休み用にと、日本のアマゾンから購入していた数冊の本の中で、私はエミリー・ブロンテの「嵐が丘」をキャンプに持って行くつもりだった。しかし、両本数ページづつ読んでみた時点でやはりキャラクターの描写が際立つオースティンをお供に選んだ。
正確には、キャンプ前半は読みかけの井上靖氏の「あすなろ物語」を読んでいたのだが、その日本の純潔な精神に打たれ終わるやいなや、私はオースティンとともに英国世界に舞い戻ったというわけだ。
登場人物の名前を覚えにくい私は、初めのページに書かれてある一覧表を再々見返しながら読む。ところどころオースティンらしい印象深い文が現れる。笑いの少ない作と評される「説得」だが、その分人生後半における経験を積んだ愛、しかし依然として純粋な愛についての描写が作品を実に味わい深く仕上げている。
しかし、「高慢と偏見」に続くオースティン二作目を読むにあたって、ちょっとした個人的問題が浮かんできたこともここに書いておこう。
というのは、この「説得」を読み進めるにつれて、自分の周りの英国人の友人達の性格がオースティンの表現により浮き彫りになってしまったことだった。
特に教会で見られる人間模様だ。英国国教会にはまだまだ保守的な白人が多い。というよりそういう人がそこに集まっているとも言える。
これまで私個人の中にとどめてきていたぼんやりとしたわだかまり、というか、人々に対する印象がオースティンによって言語化されてしまったのである。それは私にとって決して気持ちの良いものではなかった。つまり身分だとか、上流階級の交流や会話の仕方だとかプライドだとか、そういうことである。
例えば、夫人たちが自分がいかに無欲でゲストをディナーに招待しているかについて他人と競っている、とかである。これにはぐうの音も出ないほどの説得力を感じた。
私は次に同じような場面を目の当たりにした時に、皮肉っぽく口元を歪めるか、あるいは笑いを堪えなくてはいけなくなったかもしれない。
しかし、これを読んでくれているnote族の皆さんには、私がそんな英国人たちを大きな心で愛せるようになるようにどうか祈ってほしい。
オースティン自身も(作品の中で)、エリオット夫人(主人公アンの母親で素晴らしい人物)について、若気の至りで、サー・ウォルターのような人物(美男子で準男爵)と結婚してしまったことを「それさえ大目に見てあげれば」と二度も言っているし、時には自分の情熱よりも自分の義務に従うこと、そして他人の説得に応じることもあり得るのだと節々に語っているのだから。
さて、最後になったが、本題のオースティンの恋愛物語のクライマックスにはいつも心を存分に惹きつけられる。その中でも「説得」に描かかれている男女間に存在する視線についての描写には、自分自身の経験も蘇りしばし時が止まったような切なさと幸福感を与えてくれる。
キャンプファイヤーのぬくもりの横で、日が暮れて読めなくなるまで一緒に過ごした「説得」は、ウェールズから戻った後、家のソファーでしっとりと終りを迎えた。
ああ、次は何を選ぼうか。円安なのはいいが、とにかく本屋が遠すぎてもどかしい。
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