東島カナ

東島カナ、イギリス在住です。 といってもロンドンのようなおしゃれな感じではなく、地図で…

東島カナ

東島カナ、イギリス在住です。 といってもロンドンのようなおしゃれな感じではなく、地図でいうとイギリスの島の真ん中ちょっと左寄り。白人よりも移民が多い、コーヒーにカルダモンのスパイスを入れて飲んじゃうようなそんな場所。私の英語は、まあまあね。

マガジン

  • はじめての俳句

    俳句や俳句を通した活動に長年身を投じていた亡き母の想いに近づけるかもと思い、俳句なるものに手を付けてみました。

  • イギリスで作業療法士"アシスタント"、はじめました。

    日本で10年選手の作業療法士だった私がイギリスで再就職に励んだ話です。時々更新していきますので、お付き合いくださると嬉しいです。

  • 退屈しのぎの説教集 (聖書の話)

    退屈したときこそ創造だ。聖書のメッセージを素人目線で語ります。

最近の記事

  • 固定された記事

はじめまして − 自己紹介 (追記)−

はじめまして 東島カナ、イギリス在住です。 といってもロンドンのようなおしゃれな感じではなく、地図でいうとイギリスの島の真ん中ちょっと左寄り。白人よりも移民が多い、コーヒーにカルダモンのスパイスを入れて飲んじゃうようなそんな場所。私の英語は、まあまあね。 2020年8月15日、日本は終戦記念日、イギリスは普通の夏の日にnote始めます。 これからここに、ここでの生活、文化、人、クリスチャンとしての視点、そして愛について綴っていけたらと思います。 − 自己紹介として

    • 初イレバ - つづき。

      さて、左下六番、七番の歯を失った私は、もう左側で噛むことができなくなっていた。 口の奥で食べ物がスルスルと滑ってしまうのだ。努めて左側の前歯で咀嚼しようとすると、危うく食べ物を吹き出しそうになる。時々そんな感じになってよく手を口に当てていた私のおばあちゃんを思い出した。 食べるスピードは落ち、脳や舌まで刺激が半減。私はエネルギーを六割方失ったような体と頭の鈍さを味わっていた。 そんな私を救ったのが、歯茎の下で眠っていた左下八番だった。親知らずである。思いがけずお呼びがかか

      • 初イレバ。

        私の左下にできた一本半分の隙間。 つまり歯抜けである。 誰も他人の歯の話、ましては耳の疼くような歯医者の話など聞きたくもないと思うが、自分の心の整理のために書かせてもらおう。 私の黒歯歴史は10代の高校生にまで遡る。 いや、あれはまだ中学生だったかもしれない。左下奥から2番目の歯が虫歯になり、金属の詰め物をすることになった時のことである。 その当時の神経の抜き方というと、歯医者が「神経を殺す薬を入れるからね」と言って、何やら綿に染み込ませた物を歯の中に放置し、上から

        • 虎視眈々とならん。

          虎視眈々、か。 昨日発表があったnote創作大賞を取られた作品の中で使われていた言葉だ。 正直言うと、眈々の部分が思い出せなかったし読めなかった。虎視チ○チンじゃないしなー。けどまああの…重いやつ、なんだっけか、灰色だか黒だかのやつ…それも今スマホで調べた。「広辞苑」だ。その広辞苑がなくても虎視眈々の読みを秒で調べられる便利な時代だ。 なぜだろう、この言葉に惹かれたのは。単に萎縮の一途をたどる私のニホンゴ脳が刺激されただけだろうか。仮にそうだとしても、この力強い響き、粘

        • 固定された記事

        はじめまして − 自己紹介 (追記)−

        マガジン

        • はじめての俳句
          9本
        • イギリスで作業療法士"アシスタント"、はじめました。
          20本
        • 退屈しのぎの説教集 (聖書の話)
          1本

        記事

          ブロンズ、だけどダイアモンド級。

          この写真のブロンズメダル、これまでにとった資格やもらった賞の中で一番嬉しかったかもしれない。 今日は、英国の教会音楽の話を少し。 これは、Royal School of Church Music という英国を拠点として国際的に活動している団体主催の教育プログラムで、ゴールド、シルバー、ブロンズ、と三段階あるうちの一番下のアワードだ。 ブロンズはそこまで難しい課題ではない。試験も、歌唱試験と口頭試験、試験官と一対一30分間で行われる。準備さえすれば10歳でも合格可能なレベ

          ブロンズ、だけどダイアモンド級。

          イギリスの空にオーロラが…。

          イギリスの空にオーロラが…。

          My sword。

          私に住む孤独感。普段はおとなしくしているが、うっかり愛がそこを撫でたりするとひりひりと顔を出してくる。そして私は苛立っている。 別れの時、剣のようなものがキーンという音を立ててあなたの身体を貫くのを聞いた。どうやってそれが音のように聞こえたのかなんてほんとうにわからない。しかし赦された抱擁が徐々に二人の隙間をなくし、魂は二人の間を行き交うようになっていた。 それは何にも役に立つものではなかったとあなたは言う。私達が見つけた愛の頂点は天に戻っていった。 私はまだ空を見上げている

          エミリー・ブロンテの「嵐が丘」(鴻巣氏訳)を読んで好きになれなかった後でそれならと映画(と思ったらテレビシリーズだった)を観てみたら、ヒースクリフ役のトム・ハーディが格好良すぎるしセリフも演技もまじ良くてジワジワハマっている。泣きたいときに観る映画個人ランキングに入れておこう。

          エミリー・ブロンテの「嵐が丘」(鴻巣氏訳)を読んで好きになれなかった後でそれならと映画(と思ったらテレビシリーズだった)を観てみたら、ヒースクリフ役のトム・ハーディが格好良すぎるしセリフも演技もまじ良くてジワジワハマっている。泣きたいときに観る映画個人ランキングに入れておこう。

          喜びのない幸せは。

          フェイスブックで友達が(20も年上だが) 、 「あなたの "joy" はどこから来るか。」 という質問をしていた。 こういう問いにはまんまとのせられる私である。年配の人たちの答えを読むのも面白かった。「料理をして、それを誰かと分かち合うとき」、「あなたとハグをするときよ!」などなど。「喜びは神が与えるものである」とか言う一瞬居眠りしそうな回答もあった。 しかし読んでいると、どうやらみんな「喜び」と「幸せ」を一緒くたにしているように思えてきた。 そういうところにぬるっと手

          喜びのない幸せは。

          嵐が丘 - エミリー・ブロンテ。

          作品を読み終えて、感想を書こうかどうか迷うくらいの内容だった。 しかしせっかくだから書いておこう。大作には違いない。 「嵐が丘 - Wuthering Heights」というのはまさにこの物語を象徴する表題であり、言わずもがな美しい名訳だ。その名のごとく、最初から最後まで感情が吹き荒れ、ナウシカに出てくる風の谷のよりも強く、強く、風が音を立てて吹きつづける。 イギリスにそういう丘が多いのは今も変わらない。高くて1,000m級という低い山々は木で覆われておらず、ヒースや牧草

          嵐が丘 - エミリー・ブロンテ。

          「説得」 - ジェーン・オースティン。

          ああ、面白かった。 期待通りの余韻が残る。 「完璧な芸術」という歴史的評判の通り、ジェーン・オースティンの最後の小説である「説得」は、ウェールズの海、山、川へと移動する夏休みのキャンプ中、私の心にずっと付き添っていた。 夏休み用にと、日本のアマゾンから購入していた数冊の本の中で、私はエミリー・ブロンテの「嵐が丘」をキャンプに持って行くつもりだった。しかし、両本数ページづつ読んでみた時点でやはりキャラクターの描写が際立つオースティンをお供に選んだ。 正確には、キャンプ前半

          「説得」 - ジェーン・オースティン。

          化身。

          トランスフォーミング。 クリスチャンがその信仰生活の中で経験するかもしれないトランスフォーミングという現象。しばしばそれは蝶が美しい成虫に生まれ変わるようだと例えられるけれども、わたしはここにその脱皮の様を語ろう。 その化身の時というのは、月が満ちるように、あるいは星が落ちるようにして訪れ、時にはげしく、無防備で、抵抗できず、霊が身を貫き、同時にそれを宿す、秘密で神聖な現象である。それは天からの憐れみであり、成熟した愛と愛との出会いの宴である、と。

          祈りと願いと愛と。

          人はいつから祈ることを始めたのだろう、なんてふと考えてみた。 人間は古代から自然の力や生活の調和を求めて祈ってきたことが知られている。 そして祈ることは、クリスチャンとしての大きな特権の一つでもある。祈りを向ける存在と場所を持ち、そこに堅い信頼をおいている。 祈りと願いには違いがある。『祈り』は、個人の望みの成就を目的せず、神との対話を意味する。一方で『願い』は個人の望みを叶えてほしいと神に乞うものである。 キリストの祈りを思い出す。 十字架にかけられる前夜、ゲッセマネ

          祈りと願いと愛と。

          久しぶりの強い吐き気に襲われた。ベッドの中でできるだけ頭を動かさないようにして身体を沈めていると、自分の息だけが感じられた。小さな息が繰り返される。自分は今この小さな呼吸と空気だけで生きている。生き物ってすごいなあ、生きるってすごいなあ、と思った。

          久しぶりの強い吐き気に襲われた。ベッドの中でできるだけ頭を動かさないようにして身体を沈めていると、自分の息だけが感じられた。小さな息が繰り返される。自分は今この小さな呼吸と空気だけで生きている。生き物ってすごいなあ、生きるってすごいなあ、と思った。

          Afterglow 「残光」。

          自分の胸にときどき溢れてくる泡のような想い。 それを手でかき集めて、外に出してあげたくなる。そうして水に流せば、なにもなかったように流れて消えていくからね。忘れてもいいけど、忘れたくなくもある。だから記念に書いておこう。 -Afterglow-  「残光」 あなたのいない春の長雨は私の頬につめたくて スノードロップもクロッカスもまた土に還っていった 夏だというのに空は一面雲に覆われて 私を笑わせようとする暑い日差しのようなあなたの顔はでてこない あなたの歩いた小道に

          Afterglow 「残光」。

          続・ああ、愛しい女性たちよ。「ナショナリズムとジェンダー」上野千鶴子著

          (前回からのつづき) フェミニズムを語る社会学者、上野千鶴子氏の真髄はこれだ。 ここに「相対化」という言葉を使う千鶴子節がアホの私には実に分かりにくいのだが、言い換えるなら、それぞれのカテゴリーまたは属性を「絶対化しないこと」という意味だ。まだいまいち見えてこないので、 ChatGPTに聞いてみた。 千鶴子先生よりはお友達になれそうだ。 本書には、国民と女性、ひいては国民国家とフェミニズムという点において、日韓の「慰安婦」問題のためのシンポジウムで起きたある議論が紹介

          続・ああ、愛しい女性たちよ。「ナショナリズムとジェンダー」上野千鶴子著