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夏の湯治⑨【新潟五頭温泉郷へ 出湯温泉回想】

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湯巡りを始めるまで豪雪と米処の印象しかなかった新潟県。
だが県内に存在する温泉地は150か所を超える。これは、北海道・長野に次ぐ3番手。あまり温泉のイメージが根付かないのは「草津(群馬)」や「有馬(兵庫)」と言ったシンボリックな温泉街がないためか。

 そんな中、温湯を求めやってきたのは阿賀野市にある五頭(ごず)温泉郷。出湯(でゆ)温泉、村杉温泉、今板温泉の3地からなるこの地。
マイナー感は否めないが、国民保養温泉地にも指定され、温泉ファン、温湯好きの間では高名な地だ。


 こちらも忘れ難き思い出の地。あれは半年前、湯治のメッカ肘折~鳴子温泉を目指す途中3日間滞在した。観光には脇目も振らず、ただただ治療・リハビリに徹した。

 その時の思ひ出ーーー

 
 弘法大師が開湯したと伝えらる出湯温泉は、1,200年の歴史を誇り県内最古とも言われている。その中心にあるのが「華報寺共同浴場」。日光湯元の温泉寺や会津西山老沢温泉(浴槽から手を伸ばせば神社に届く)同様、境内に同居する浴場だ。

 荘厳な雰囲気も相まって、放射能を含有する38度の温湯(冬季は加温)は長湯をすると身も心も洗われるよう。アトピー性皮膚炎にも適応症が認められており、患者が平癒を祈願してから浴場に向かう姿も見られる。


 ここから約2.5キロ南に位置する村杉温泉も開湯700年の歴史を持つ名湯。
日本屈指のラジウム泉(放射能泉)として、様々な研究結果が報告されている。放射能は多量になれば劇薬にもなるが、微量であれば免疫力の向上、体の細胞の活動を活性化、老化を抑制等に効果があるとされる。ホルミシス効果というやつだ。

 アメリカでこの効果が科学的に認められたのは1980年頃のこと。医学的に解明される遥か昔に、先人たちが湯を求めて湯治をしていたという事実は温泉への深耕を加速させる。
 
 文部科学省の発表に基づく実証データによると、一般市街地の3倍ほどの放射線量が村杉温泉一帯の大気に混じっているという。その効果を最も引き出すには、飲用や入浴よりも「吸引」が良いとされる。

 
 出湯温泉から村杉温泉まで、成人男性なら30分で完歩できる距離。
退院後、ランニング用の厚底靴を新調しリハビリに励んでいた。湯治に出てからも少しずつ距離を伸ばし、歩き方こそ初代アシモ状態だったが、朝夕30分は歩けるほどに回復していた。

 湯治に出て2週間、身体が回復に向かっていることを肌で感じていた私は、この往復5キロの距離を完歩しようと決意したのだ。勿論、発作以降最長距離だ。
 危険かとも思われたが、歩くのは国道沿い。出湯寄りには交番があり、村杉の寄りには「五頭山麓うららの森(直売所併設軽食喫茶)」がある。もしぶっ倒れてもすぐヘルプが呼べるだろうと判断したのだ。


 2日目の朝、朝食後に宿を発つ。すぐ横の「華報寺」で合掌。
発作で倒れてから約2か月。最初の1ヵ月はベッドレスト状態だった。湯治に一縷の望みを託し、砂をかむ思いでここまで来た。
 
 「倒れるときは前のめり」

 午前9時、華報寺を出発。ヨロヨロと歩き出し、すぐに国道にぶつかる。信号を左折し、「うららの森」を目指した。序盤は好調だったが、10分も過ぎるとやはり背中に痛みが来た。これが出ると腰から足へ、次第に全身が痛くなる。

 20分経過した頃、立ち止まりgoogle mapで現在地を確認。もう中間地点は過ぎていた。ここまで来てしまえば引き返す方が危険、行くしかない。ちょうど健常者の倍の時間を要している。10時に「うららの森」に何とか到着。オレンジジュースを飲みながら小休止。

 ここまで来れば村杉温泉はあと少し、12月だと言うのに異常な汗が流れる。休み過ぎても動けなくなるので、5分後に再始動。
 歩行から1時間強、何とか辿り着いた村杉温泉共同浴場「薬師の湯」。
発券機で250円のチケットを購入し(オレンジジュースの方が高かった)、浴室へ。

 吸引を意識し、鼻から蒸気を大量に吸い込む。棒になった脚を必死にマッサージ。源泉温度26度のため、温湯を期待したが割としっかり加温されており浴用42度程度。入ったりタイルで休んだり、1時間程滞在した。
 ここで終わりだったらどれだけ楽か、まだ復路を残している。


 帰りは中間より出湯温泉寄りにある食堂「五頭山麓御食事処 山清水」を中継地に。また10分もすると全身痛が襲った。スマホで何度も現在地を確認する。一歩一歩、だが確実にゴールは迫っている。

 12時過ぎ、何とか店に転がり込んだ。体温調節がうまくできない体質。Tシャツは汗でビショビショだが、外気で身体は冷え切っている。
おすすめだという鴨鍋定食をいただき暖を取る。この店がなかったら、、と思うとゾッとした。

 
 ゴールまであと少し、10分もすると華報寺が正面に見えた。下半身はもうとっくに感覚がない。後光指す本堂が次第にズームアップ。
 感動の瞬間。何とか戻ってきた。

 本堂にて知恩報恩を込めた合掌。温泉がなければ、間違いなくこの距離は歩けなかった。しばらく立ち尽くし、始動すると脚は完全にお釈迦になってしまった。
 華報寺共同浴場(250円)に感謝のダイブ。マッサージを施しても、今度はなかなか感覚が戻らない。

 この夜、バキバキになった身体は熱を持ってしまい寝付くことが出来なかった。この後数日間は全身痛が残ったが、身体は確実に快方へと向かっていると実感。一生忘れることのない、師走の出湯の記憶。
 

 
                          令和3年6月22日

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