真夏の温泉ワーケーション⑤【幻の共同浴場】
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源泉神社から磐梯熱海駅前の「湯元元湯」までは15分程。
長期に渡る闘病生活の中で少々湾曲してしまった左脚、適度な運動をしなければ更に曲ってしまうと主治医。線維筋痛症には有酸素運動が推奨されており、共同浴場までの歩行は距離的にもちょうど良かった。
磐梯熱海も昼は確かに暑い。だが朝夕は過ごしやすく冷房要らずだった。
気象庁発表の最高気温は都心と比べ2~3度しか変わらないが、アスファルトの照り返しや湿度の関係だろうか、それ以上に涼しく感じる。
駅から少し離れれば山があり、街中にも「クマ出没注意」の看板があるほど。源泉神社に繋がる蓬山遊歩道では、”蛇が出る”と宿近くの「安田商店」の女将さん。会津弁で会話のほとんどが聞き取れなかったが、そこの文脈だけはハッキリ聞こえた。
温泉神社から共同浴場を目指し歩いていると、萩姫通り沿いに「宝の湯」という浴場を発見。周りの民家と完全に同化し、とても温泉施設には見えない。昨日も通ったはずだが、夕刻だったために見落としていたようだ。
「地元民専用」、「募金箱スタイル」、「○○商店で鍵を貸与」
これらの浴場は温泉ファンにはたまらない存在だ。
温泉は小さいほど良い、安いほど良い、ボロイほど良い、これらはファンの間では定説になっている。
何度も来ている磐梯熱海だが、この湯の存在はノーマークだった。一気に入湯欲が横溢する。入口正面に回ると外壁には何故かシロクマのイラストが、隣家のブロック塀にもペンギンが描かれている。思わぬ珍湯発見に欣喜雀躍。
だが、ガラス戸に張り紙が。少々おどろおどろしい注意書きが記されていた。「無断入場は犯罪、警察に通報」、「コロナが収束するまで会員のみ利用可」。
これを見ては流石に尻込みしてしまう。疫病拡大以降、同じ理由で上諏訪(長野)の共同浴場や、新津温泉(新潟)も浴場を目の前にして失湯している。残念ながら今回も後塵を拝す。
ネットで調べた情報だが、以前は一般客に開放されており、近くの食堂や商店に声掛けし、300円を支払えば入浴できたようだ。
外壁のペイントは大阪出身のアーティストが描いたもの。磐梯熱海の観光協会が推進した事業の一環のようだ。
以前だったら、”どうしても入れてください”、と懇願したが今はそこまでやる体力もない。いつか皆が安心して入湯できる日が来ることを願い、元湯へと再び歩き出した。
朝方の湯元元湯は比較的空いており、時折独泉出来るときもあった。6時から営業している共同浴場。7時頃に入り始め、9時過ぎに部屋に戻って業務を開始する。
入院してからの勤務体系はフレックスタイム制。直属の上司にご配慮いただき、特例的に許諾されている。1ヵ月の総労働時間が規定に足りていれば、曜日や時間帯は問われない。
容態が安定せず、痛みの酷い日は一日ベッドから動けない日もある。そんな日は休暇を取り、安定している日にまとめて作業をこなす。
湯治に出ている時は、朝方から昼過ぎまでに業務を片付け、午後は湯に浸かり休養を取るなどの調整をした。これからも、働き方を模索する日々は続きそうだ。
営業会社に勤める友人の話を聞くと、「歩いて稼ぐのが営業」、「汗も流さずに物が売れるか」、という考えを持つ上役は多いと聞く。ワーケーションが浸透するには、もう少し時間がかかるかもしれない。
昼は「日の丸亭」の弁当を食し、暫しの休憩。14時になるとまた共同浴場へ向かった。梅雨明けした郡山市も連日真夏日となり、歩行中に汗が噴き出す。やっと辿り着いた浴場、かけ湯をした後豪快に温湯浴槽にダイブ。
昼間のこの瞬間がやはり一番効く。90分程湯に浸かり、帰り道にまた弁当を買いホテルに戻って行く。業務を再開し、夕食を終えるとまた共同浴場へ、毎日4時間ほど浸かっていた。
この共同浴場には、地元民だけではなく時折数名の若者の姿も見受けられた。磐梯熱海の駅前には「郡山市熱海フットボールセンター」という複合施設がある。2017年にできたばかりの新しい施設で、スケートリンクや体育館なども併設されている。
昼夜、年齢性別問わずサッカーチームが試合や練習を行っていた。その帰りに流れてきた客のようだ。
立ち振る舞いや、手持ちの荷物で常連客か一見客は瞬時に判別できる。
この共同浴場には洗い具がない、そしてシャワーは一つ。入浴前に身体を流そうと蛇口を捻る若者。実はこのシャワー、待てど暮らせどお湯は一向に出ない。出てくるのは、29度の元湯源泉。
「冷たッ!」、戸惑う若者。
「そこからはお湯は出ないよ」、と常連客。
こんな微笑ましい光景を幾度となく目にした。
来訪から3日目、とうとう私以外誰もいない状態で、その現場に居合わせた。
「冷たッ!!」
「そこからはお湯は出ませんよ」と、私。
少しずつ、街に馴染んできたようだ。
令和3年7月23日
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