夏の湯治⑯【群馬 大塚温泉 (後編)】
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大塚温泉の朝風呂は7時半から。だが8時に朝食のため、長湯が基本となるこの湯では少々忙しない。そのため朝食を終えた8時半から湯に入り始める。
元々眠りが浅いため早朝4時半には目が覚めている。朝方2~3時間程の業務をこなしてから朝食⇒朝風呂の流れになる。昼前に業務を再開し、昼食後に再度入浴⇒業務という変則勤務スケジュール。リズムに慣れてしまえば違和感はなかった。
午前9時になると日帰り入浴が開放。徐々に地元民がやって来る。中には自営業者だろうか同世代の方もいた。そして例によって傷を負った戦士たちがわらわらと。
「では、お先に失礼します」と、10時半に言い残し業務に戻る私。
昼食を終え13時に湯に戻ると、浴槽には見覚えのある顔が。
私 「あれっ、朝も入ってましたよね?ずっと入っているんですか?」
客A 「はい。ここに来たら5時間」
「でも、もっと凄い人はたくさんいますよ」
客B 「○○さんとかね。あの人も10時間くらい入るから」
2日目にこんなやり取りをしてからは、少々の長湯伝説では驚かなくなっていく。
同じころ、海の向こうでは一人の怪物が全米を賑せていた。
客A 「昨日も大谷打ったね」
客B 「凄いですね 今明るい話題はそれぐらいしかないですね」
私 「あれっ、そう言えば今日もホームラン打ったはずですよ。さっき速報で出たような」
一同 「本当かい!?すごいなー。夕方のニュースが楽しみだ!」
半日以上時差のあるフロリダでの試合速報を彼らは知らない。
その翌日。
客A 「昨日も本当に大谷打ってたね」
客B 「MVP取るかもしれませんね」
私 「あれっ、確か今日も打ちましたよ、しかも2本」
一同 「えーー!?」
私が大塚温泉に滞在していた期間。大谷翔平選手はまさに獅子奮迅の活躍だった。5日間の打率4割7分、5本塁打、8打点。号外的に私が速報を伝えると、湯治客は皆喜んだ。喧騒から離れ田んぼと山に囲まれた寒村においても、彼の活躍は湯治客に勇気を与え続けた。
客C 「でも、スライディングだけはやめてほしいなぁ」
客A 「やっぱり怪我が心配だよね」
客B 「投げて打つだけで十分だよ 盗塁すると怖くて」
私 「そうですね、、」
昨日のニュースでは、野手の腕を潜り間一髪で次塁を陥れる大谷選手の映像が流れていた。手負いの4人の老婆心。新橋のサラリーマンでは出せない重厚な説得力が醸し出されていた。
3日目と4日目、夕刻に一人の若者が湯に訪れた。所沢から来ているという。ハイエースを改造し全国を一人旅で回っているそうだ。この数日間は大塚温泉から近い道の駅「霊山たけやま」で車中泊。昼間はリモートで勤務をしているそうだ。通電状態が悪く、かなりストレスを抱えているようだが街の雰囲気が気に入り暫く滞在するという。
大塚は初訪のようで、googleで調べて辿り着いたという。初めてのシステムと、34度の源泉浴槽に驚いていた。すぐに親しくなり、この辺りの温泉について指南を求められた。彼も鄙びた共同浴場などを好むという。
既に沢渡や四万の共同浴場は経由し、湯宿温泉は断られてしまったそうだ(※コロナで地元民のみ開放)。向かうとしたら水上方面だろう。
私が薦めたのは、以下の日帰り浴場。
「諏訪温泉センター(350円)」
「三峰の湯(400円)」
そして、とある町民専用の共同浴場(300円)。
みなかみ町では割とメジャーな17号沿いの温泉街。ここには門外不出、ガイドブックや観光協会のサイトにも絶対に登場しない住民専用の共同浴場がある。
2階が集会場となっていて、どう見ても浴場とは思えない佇まい。入口には番犬の如く”関係者以外立入禁止”という看板が。
勇気をもって扉を開けてみると、募金箱があり会員以外も御入浴いただけます、の張り紙が。300円で利用できるこの浴場は内湯が1つ。湯は少々熱めだが石膏臭を帯びた源泉がかけ流し。やはり、この街では最良の湯はここだ。
目を輝かせ、「明日から全て回ってみます」と残して去って行った若者。
群馬に滞在の後、一度家に戻ってから再度旅立つという。これから更に、湯治場や共同浴場の魅力に引き込まれていくことだろう。
5日間滞在した宿ともお別れ時間。東京から来ていた湯治客が一足先に支払いを済ませていた。
「それじゃまた」
手を振り、車へと向かう背中を女将さんと見送った。
「私も行きます。お世話になりました。」
ぶっきらぼうなご主人とは最後まで顔を合わせることはなかった。だが、ここにはまた来ることになりそうだ。いつかお会いすることを楽しみに。
闘病中に辛いのは、言い知れぬ不安と孤独。湯治場に来れば、顔を合わせるのは病や怪我に苦しむ方ばかり。だが、源泉に浸かっている瞬間だけは皆穏やかな表情をしている。メジャーリーグで活躍する同胞のニュースを聞けば、ひとたび笑顔が訪れる。
裏庭の石碑に掘られた大塚の詩。その意味が分かったような5日間だった。
「ぬるくとも 効能あつき湯の徳は 田から和喜来る 人に会ふ塚(おおづか)」
令和3年7月1日
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