真夏の温泉ワーケーション⑨完結【さらば磐梯熱海温泉 】
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鞄一つで飛び出した本旅もとうとう最終日を迎えた。いつものように早朝は温泉神社の参拝から始まる。出発前とは段違いに体調が良い。
全身痛と焦熱感から眠れぬ日々が続いていたが、磐梯熱海に来て3日を過ぎた辺りからそれは少しずつ治まった。コンビニなど冷房が効いた空間に入ると、異常な悪寒がし鳥肌が立ったが、それも今はない。
「有難うございました、有難うございました、」
恐悦至極の意を込め、本堂に拝礼。
モデルナアームをきっかけに徐々に崩れた体調。危険を察知し、湯治に出ると決めてから家を出るまで、ものの10分。今思えば素晴らしいジャッジだった。
昨秋の入院以降、私が最も恐れたのはフラッシュバックとPTSD。これが始まると渦潮に巻かれるように激痛と投薬地獄にハマる。お花畑に逝ってしまえば、今度は還って来れないかもしれない。。
ギリギリのタイミングで私を救ってくれたのは、今回も「源泉」だった。
宿に戻り部屋を片付け、リネン類を回収ボックスに入れる。キーボックスに鍵を戻し退館の時。
本旅は3つの宿を利用したが、私にはこのゲストハウスが一番快適だった。簡易施設なので見送りがなくても不思議ではない。だが、ご主人と若い女性スタッフ(娘さんか?)が玄関まで来てくれた。
私 「お世話になりました」
館主 「ありがとうございました。体調はいかがですか?」
私 「やはり元湯は効きましたよ、すっかり元気になりました」
「アッ、こちらの湯も良かったですよ(汗)」
館主 「そうでしたか、また是非お越しください」
滞在中、風呂に浸かっていた時間の99%は「湯元元湯」だった。
宿の風呂も間違いなく源泉100%かけ流し、素晴らしい湯だった。だがほとんど入っていない。それでもご主人は意に介さない様子だった。やはり街のシンボルは「元湯」、近隣旅館の人々もその認識は同じだろう。
本旅9泊の滞在、これまでの磐梯熱海の印象をガラッと変えるほど、この街は湯治とワーケーションに適していた。徒歩圏内で生活必需品が全て揃うのは助かった。そういえば以前、とある秘湯に宿泊した時のこと。カード払いが出来ず、最寄りのATMまで1時間程車を走らせたこともある。
予算の方だが、移動費は新幹線代を削り往復で7,000円程度。ハイシーズンのため宿代は高くついてしまったが、通常時期は1泊4,000円ほど。食事代もコンビニ中心になってしまうが一日2,000円(自炊が出来れば・・・)、共同浴場には毎日2~3回通ったので日によっては1,000円を投入。これだけは治療のため削る訳にはいかない。
決して安い金額ではないが、思えば疫病拡大前のころ。多数の部下や後輩を抱えていた私は週に一度は飲みに出かけた。2次会~カラオケと続けばそれはなかなかの金額になる。後輩の手前、割り勘という訳にもいかず、一晩で諭吉が数枚飛んでいく。
それがなくなった今、10日間の湯治で費やしたコストは有意義と言えるだろう。何より健康は金では買えない。
一般的に週末の温泉旅行となれば、東京駅集合で新幹線移動(往復1万5千円程度)。駅弁にビールを飲み、1泊2食付きの宿に1万5千円を投金。部屋に戻ればまた飲み会。翌日昼も少し贅沢。少々グロッキー状態で旅は終了。
気が付くと3万5千円飛んでいる。
同じ金額で、今回の磐梯熱海湯治であれば3~4泊はできる。源泉の質も申し分ない。私はこれからも、病と付き合う中で湯治とワーケーションの在り方を模索する日々が続くだろう。
今回初めての鉄道での湯治。良かった点がもう一つ。
元々は根っからの温泉好き。車だとついつい周辺を動き回り、日帰りの温泉テイスティングをしたくなる性。今回は磐梯熱海駅前から動くことなく、共同浴場での湯治に専念できた。
本滞在期間中「湯元元湯」に浸かっていた時間、何と40時間。最近は1カ所滞在型が多くなっているが、流石にこれほど同じ湯に浸湯していたのは初めてだ。
9時に宿を出て1分後、「湯元元湯」にラストダイブを決める。
もうしばらく会えないと思うと、さすがに旅愁が込み上げる。10時50分の郡山行の磐越西線まで、90分しっかりと効かせた。
番台のおじさんにも最後の挨拶。
私 「今日で帰ります、お世話になりました」
番台 「そうかい、沢山入ってくれてありがとね。また来てよ」
私 「ええ、暑い日が続くのでご自愛ください。」
プレスリーさながらおじさんに手を振り、駅へと向かって行く。
やっぱりこの湯元元湯。何度見ても母屋が傾いているような気がする。
令和3年7月29日