湯治場で、年を越す⑨【姥の湯で新年を】
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鳴子温泉駅近くにある「姥の湯」。歴史のある温泉街の中でも、最も古くから存在する宿として知られている。これぞ鳴子と言わんばかりの敷地内源泉が4本。それぞれ色や香り、肌触りまで全て違う。
手続きを済ませ2階の部屋に案内され、小休止を取った後に館内を下見。すると一人の老婆と遭遇した。
女性 「ここは初めてかい?」
私 「ええ、長いんですか?」
女性 「毎年年末年始はここで過ごしてます」
常宿は人それぞれ、自分に合う宿があるのだろう。
源泉に関しては白濁の硫黄泉を好む方もいれば、無色透明の単純泉を好む方もいる。館内で湯巡りが完結してしまう「姥の湯」は、全国的にも稀有な存在だ。
女性 「特徴がみんな違うから、全部入ってみなさい」
私 「ありがとうございます」
姥の湯で私が最も警戒していたのが「寒さ」だった。
400年の歴史を持つこちらの宿。旅籠部屋と湯治部屋に分かれ、サービスも価格帯も異なる。私が宿泊するのは勿論格安の湯治部屋。浴衣や歯ブラシ、タオルまでセルフスタイルだ。
寒波が襲った大晦日、自炊棟は思いの外寒くはなかった。館内の廊下には両サイドにパイプが這っており、高温の源泉が流され床暖房代わりとなっているようだ。
ボロ宿に慣れている私にとって、部屋は可もなく不可もなく。鍵が掛からない等の口コミも確認されたが、私の部屋は施錠ができた。ファンヒーターがあり、年を越すには問題なさそうだ。
大晦日はゆっくりテレビでも・・・。
テレビのチャンネル案内が柱に貼られているが、肝心のテレビがない。だが確実に隣の部屋から聞こえるテレビの音。さっきお会いしたお婆さんがその部屋に滞在しているようだ。
隣室との壁紙が薄く、紅白歌合戦の音がほとんど筒抜けで聞こえてくる。宿を出てから知ったが、テレビも有料で貸出らしい。いくらセルフスタイルとは言え、テレビも貸出とは久々だった。
さて源泉へ。姥の湯には、「こけしの湯」「啼子の湯」「亀若の湯」「義経の湯」と、全て100%かけ流しの源泉が出ている。コンプリートしようかと思案していたが、大寒波となり粗目雪が入り込む露天風呂「啼子の湯」は覗いただけ、身体が凍ってしまいそうだ。
続いて向かった「亀若の湯」は元々が38度という鳴子には珍しい温湯。
風呂場が異常に寒く、浴槽温度も35度ほどになっていた。とにかく寒い。とても入っていられず退散。
「義経の湯」は典型的な美肌泉質、硫酸塩・炭酸水素塩泉。こちらにだけシャンプーやボディーソープがある。こちらも外気が排気口からドンドン吹き込まれ、浴室や脱衣所がかなり寒かった。
まともに入れたのは白濁の「こけしの湯」のみ。
こちらは44度程度。内側からガツンと来る感覚を捉えた。以降も入浴はこちらに決め、1日4~5回浸かった。硫化水素臭漂う素晴らしい湯だった。
時期が違えば、姥の湯の愉しみ方はまた変わるだろう。
姥の湯の滞在中。高東旅館で一緒だったM夫妻の奥様からLineがちょこちょこ届く。若いころから活発で、ニュージーランドの「ミルフォード・トラック」というトレッキングコースを、一人で数日間かけて完歩したというこの方。何でも滝の中を一人で歩いて行くそうだ。
年末挨拶から年始の挨拶まで、律儀に連絡をくれた。
元旦から吞んだくれているご主人を残し、一人で運転して「ドライブインおーとり」まで行ったという奥様。「味噌ラーメンが美味過ぎた」との報告も。
1月2日、この日は「姥の湯」から高東旅館へ戻る日だ。
10時チェックアウトに合わせ、荷物を纏めていた時だった。奥様からまたLineが。
「102号室、いつでも戻って来ていいから」、高東の女将さんからの言付けが送られてきた。
チェックアウトから高東の13時チェックイン。古川方面へまた食料の買い出しに行ったところで、何して時間を潰そう・・・。腹蔵を見透かされたようだった。
10時30分には高東旅館に到着。女将さんが自炊場で食器の掃除をしていた。
私 「戻りました。あけましておめでとうございます」
女将 「元気だった?」
「Mさんに可愛がってもらって良かったわね」
私 「荷物まで全部預かってもらって、助かります」
女将 「息子みたいって言ってたよ」
すぐに引越し作業を終え、その後買い出しに岩出山方面へ。
ウジエスーパーでまた1週間分の食料を買い込む。大晦日、正月というのに2日連続でコンビニ弁当だったため鍋材料も購入。
帰りに奥様お薦めの「ドライブインおーとり」に寄り、味噌ラーメンをいただく。正月だからか、凄い人の入りだった。デカい器に雑煮のような具材が、、見た目は微妙だが。。
「ズルズルッ!」
おっ、ニンニクが効いていて旨い。
旅館に戻ると奥様がいた。
「奥さーん、おーとりの味噌ラーメン、旨かったよ」
確かに親子みたいだ。
令和4年1月3日
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