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【小説】俺と彼女と49人の女たち/初めての女①

ストライクの弾ける音はジャストポケットで俺のヘッドピンをヒットした。

 あなたには、できるならばやり直したい過去はあるだろうか。
 戻れるならば戻りたい瞬間はあるだろうか。

 俺にはある。明確にある。
 それは17歳、9月終わりの日曜日。
 16時17分N駅発G駅行きの普通電車。扉近く、手すりを背に俺の方を向いて立ち、少し上目がちに首を傾げながら俺の目を見て、紗英さえは言った。

「先輩はどうして今日、私を誘ったんですか?」

 ***

 紗英を初めて認識したのは高校2年になった6月、ようやく行われた新入部員歓迎ボウリング大会でのことだった。

「じゃあグループごとに分かれて、それぞれよろしくー」

 部長のK辺先輩の言葉を契機に、部員たちはそれぞれ自分が投げるレーンへと散っていく。新入生を迎えて総勢52名となった弓道部。その大半が参加したボウリング大会は、11個のレーンを使用して行われた。

 えーと、俺のレーンは…と。
 俺は各レーンの天井からぶら下がったモニターに自分の名前を探しながら歩いた。人数が多すぎて収拾がつかないため、グループ分けは部長と副部長によって有無を言わさず決められた。たぶん、名簿順に並べつつ各学年が上手く混ざるように、とかそんな感じだろう。事前にどこのレーンとも説明がなかったので、モニターで自分の名前を探すしかないわけだ。

 あった、14レーンね。俺はスコア表に「カズ」とカタカナが表示されたモニターを見つけ、レンタルのシューズを手にぶらぶらさせながら、その下のボウラーズベンチへと向かう。
 ベンチには先に同学年のS父江がいた。

「よう、カズが同じ班か! よろしくな」

「班ってなんだよ」

 苦笑しながらS父江とよろしくのハイタッチをする。
 俺はこの1年で部活内でもお調子者のポジションを確立していたが、このS父江もまた部内ではお調子者で通っていた。もっともグループが違うのであまり仲が良いというわけでもない。まぁこういった組み合わせになるのも、部員の親睦を深めるという意味では悪いことではないだろう。

 会場のIグランドボウルは部活のイベントに限らずよく利用する遊び場だったので、俺は勝手知ったる、といった感じでハウスボウルの棚から14ポンドの球を選び、自分のレーンのボールリターンへと運んだ。
 結局のところ2年生の俺とS父江、E藤先輩という3人の男子に、新入生の女子が2人。これが我が14レーンのメンバーだった。

「俺はボウリングには自信あるんだぜ」

 と言いながら、なぜか力こぶを見せつけてくるE籐先輩とじゃれあっているうちに、他のメンバーのボウル選びもぼちぼちと終わったようだ。スコア表の一番上に名前が表示されていたS父江が「トップバッター、S父江いきまーす!」と宣言して第一投目を見事ガタ―に叩き込み、新入生歓迎ボウリング大会が始まった。

 K辺部長の采配による投球順は、S父江、E籐先輩、俺の順番となっていた。未だ人や環境に慣れない一年坊主の前に盛り上げる投球をし、先輩として緊張を解くように、との意図であろう。正直ボウリングに自信があるわけではないが、お調子者たるもの、ここでウケねばキャラがすたる。俺は全力で「大袈裟に投げるわりに結果が微妙なボウリング選手」の形態模写を披露したが、S父江だけが爆笑し、E藤先輩はスルー、肝心の後輩たちからは無言で小さな拍手を頂戴ちょうだいするという、6ピン倒れたぐらいの微妙な結果に終わったのだった。

 もっとも俺は自分の形態模写の完成度を高めることに必死で、正直後輩たちの反応など目に入っていなかったのだが。だからこそ、5人の最後にレーンに立った紗英さえを認識した瞬間のインパクトは大きかったのである。

 その瞬間、俺はレンタルシューズのベルクロをベリベリと調整していた。一投目の後、どうもシューズが緩いようで気になっていたのだ。俺はベンチに座って前屈みに足元に目を落としていた。
 と、俺の耳にパッキャーーーン! と小気味いい音が飛び込んできた。俺は反射的に顔を上げてレーンに目をやる。

 ゾーンに入ったスポーツ選手には、全てがスローモーションに感じられる瞬間があるという。周囲の音も聞こえず、光も感じず、ただただ己と相手のみに集中する。野球のバッターであれば、投じられた150キロのスピードボールの縫い目まで数えられたそうだ。
 スポーツが苦手でゾーンなどと縁のない俺であったが、紗英さえを見た瞬間、レーンを照らしていたはずの照明は消え、数百人のボウリング客が立てている喧騒も消え去った。静寂と暗闇の中で、ベンチに座る俺とレーンではしゃぐ紗英さえにだけスポットライトが当たったかのようだった。

 スポットの中で紗英さえはスローモーションでこちらを振り向き、丸顔をくしゃくしゃにして満面の笑みをつくり、両腕でガッツポーズを作りながらぴょんぴょん、と2回ジャンプした。ショートカットのきれいな黒髪とふわりとした膝下丈のスカートが合わせて揺れ、そのあまりの軽やかさに俺は一陣の風を感じたのだった。
 垂れ目を細くして、大きな口の端を左右に大きく持ち上げる紗英さえの笑顔は電撃的な可愛さで、その左頬だけにできるえくぼ・・・に俺の目は釘付けにされた。

 刹那、紗英さえの放つ強烈な陽性の光が暗闇を凌駕し、俺は一瞬の忘我の旅から帰還した。I紗英《さえ》はアプローチを降り、他のメンバーとハイタッチしながら戻ってくる。俺の眼前に紗英さえの左の手。その思いがけず大人っぽい細い指や薄いてのひらに戸惑いながら、ぎこちなく右手でタッチを受ける。

 パチンッ!

 恋に落ちる音がレーンに響いた。

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