かつて「愛」と呼ばれたもの―間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』感想
間宮改衣さんの『ここはすべての夜明けまえ』という小説を読みました。
「ゆう合手じゅつ」を受けて老いない身体になった主人公が、家族みんなを見送ってひとり遺された2123年。
九州地方の「もうだれもいないばしょ」で書き始めた家族史の体で物語が始まる…。
そんな謎めいたSF小説です。
本書は、読書熊さんの感想記事をきっかけに手に取りました。
当記事のタイトルもオマージュのつもりです。
で、読書熊さんの感想で中でも興味を惹かれたのが、記事の最後の一文。
(引用は控えますので、ぜひとも実際に読書熊さんの記事にてご確認くださいませ)
宇佐美りん『推し、燃ゆ』を読んだ時に強く感じた、同時代を生きる作家が発表した小説をリアルタイムで読む重要性を思い出し。
本書も手に取った次第です。
読後の感想は、もう「すごかった」と述べるのが精一杯。
なぜなら!
ネタバレを!!
したくないから!!!
(太字にしてみました)
初読の驚きを奪うのは本意じゃない。
しかしどこがどうすごかったのかを述べるとなると、物語の核心に触れざるを得ない。
結果、余計なことを言わないように黙るしかない……というジレンマに悶えています。
とはいえそれで終わるのも呆気ないので、出来る限りネタバレにならない感想を述べるなら。
少し前に読んだ一田憲子さんの本で「人は自分の「引き出し」の中にある材料をもとに、事実を把握する」と読んで「なるほど…」と思ったんですね。
で、私にとっては本書も「読み手の引き出しの中にある材料」で心の琴線に触れる箇所が変わる物語だ、という感想を抱く作品だったんです。
自分以外の人が書いた感想や要約をきっかけに、新たな視点や発想に出会える尊さも大事。
しかし、他者の感想や要約から削ぎ落とされた箇所が、真に自分にとって心揺さぶられる箇所だった…なんてことも珍しくないもの。
きっかけは、読書熊さんの感想でした。
しかし実際に読んでみると、読書熊さんが言語化されていた点とは違う部分が心に残った。
読書熊さんと私の「引き出し」の中にあるものの違いがそうさせたわけです。
じゃあ私は実際どう感じたのか…。
具体的に言うならネタバレせざるを得ないんです。
それは本当に避けたいし、この記事のタイトルがギリギリの表現だと思っています。
でも。
ちょっとだけ語ってもいいですか。
ここから下に改行たくさん挟むので、本書を未読の方はここまでで読むのをやめていただけると幸いです。
間宮改衣さんのこの本は、表紙に載っている本文からの引用でも伺えますが、かなり特異な文体です。
肉体こそ「ゆう合手じゅつ」で永遠に老化しない身体になったとはいえ、精神は25歳のままだからやむなしかもしれませんが。
で、そんな文体で綴られる「家族史」を読み進めつつ。
ジャンルも視点も違うけど、谷崎潤一郎の『春琴抄』を現代の語彙で読んだらこんな感じなのかな、と連想しました。
『春琴抄』は大好きな作品なので何度となく読み返しているんですが、読点や改行が極端に少ない語り口の文体に、何となく通ずるものがあるかも……ぐらいの軽い気持ちで。
でも、実際に読み終わってみたら。
かつて谷崎が『春琴抄』で愛として描いた結末を別の視点から見た上で、その先へと一歩を踏み出した。
そんな勇敢な結末、と思えてならなかった。
この感想は、私の引き出しの中にある材料でもって感じたことです。
読み手の数だけ受ける印象も連想も変わって当然なので、読んだあなたはぜひとも違いを面白がってみてくださいませ。
※一田憲子さんの本の感想はこちら。
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