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中世の学者が「地獄の定義」と呼んだ状態をご存知ですか

「愛読書」と呼べるぐらい、何度となく再読している本が何冊かあります。今回はその中から一冊選んでみました。

アルベルト・マングェル『図書館 愛書家の楽園』です。

(↑Amazonで調べたら何気に新装版になっててびっくりしました。私が持ってるやつと表紙が違う…!)

リアル書店への偏愛から、図書館は利用しない人間です。しかしそれでもこの本は好き。時代も場所も問わない様々な図書館を通して、書物の魅力をとことん語る一冊だからです。

それに「博覧強記という言葉はマングェルのためにある!」と言っても過言ではないぐらい、本当に様々な作家や本の話題が登場します。
(ただただマングェルのおしゃべりに耳を傾けるように読めるのがまた良いんだ)
なので時を経て読み返すと、前回は知らずにスルーしていたはずの書名や作家名を理解出来るようになっている…なんていう楽しい再読の機会もくれる。
何度だって出会い直せる、そんな一冊です。


で、今回のタイトル「地獄の定義」の話。
以下の文章は第一章『神話としての図書館』からの引用です。

水のように形をもたず、人間の理解を超えるほどに広大なインターネットの類まれな特質ゆえに、私たちはその捉えどころのなさを永遠と錯覚しかねない。インターネットは海のように気まぐれだ。ウェブ上のコミュニケーションの七〇パーセントは四か月以内に終わるという。その美徳(その虚構性 バーチュアリティ)に伴うのは永遠の現在である。中世の学者にとって、永遠の現在とは地獄の定義の一つだった。

『図書館 愛書家の楽園』30ページより引用

この本には忘れられない文章がいくつも登場するんですが、中でも「永遠の現在とは地獄の定義の一つ」という指摘は、初めて読んだ時から印象深く心に刻まれています。
賽の河原やシーシュポスの岩ほど絶望的でなくとも、なんとなく想像はつく。



何年か前、まだTwitter(現在はX)を今よりも頻繁に見ていた頃。
当時は「コウペンちゃん」でおなじみのるるてあさんや、ミニチュア写真家の田中達也さんのアカウントをリストに入れて、毎日見ていました。

お二方に共通しているのは、ご自身の作品を「毎日」投稿されていること。
それを日々一方的に堪能していたんですが、ある日ふと「永遠の現在」という、マングェルの本で読んだフレーズが脳裏によぎったんです。

日によってリツイート数やコメント・いいね数などのバラつきもあるもの。しかしそういった外的要因とは関係なく、毎日ただ淡々と新しい作品を生み出し続け、発表し続ける。

その、発想→創作→発表→また発想……のサイクルという「永遠の現在」を、折れずに毎日続けられることが、プロフェッショナルに求められる要素なんだ。
そんなふうに納得したのを覚えています。
と同時に「私には無理だ」とも。


あれから時が経ち。
愛読しているnoteのクリエイターさんにも、数年スパンで毎日投稿を続けられている方がいらっしゃいます。
それを思うと今の私はまだぴよぴよのひよこなので説得力が無いかもしれませんが…。

毎日続けられる「好きなこと」を通して、発想→創作→発表→また発想→……を実際に行う側になれば「永遠の現在」は地獄ではなくなるのかもしれない。
と、今は考えています。

毎日続けられるぐらい好きなこと、それが私にとってたまたま「書くこと」だったのも大きい。
始めることで見えてくるものって、やっぱりあるものです。

とりあえず毎日更新が「地獄の定義」に変わらない限り、続けていけたらと思います。
引き続きよろしくお願いします。



最後に余談。
田中達也さんのお名前を確認するためにググってみたおかげで、田中さんが絵本を出版されていることを知りました。

めっちゃ読みたい。
週末に本屋さん行ったら探してみます。

金曜日ですね。
今日も良い日になりますように◎


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薫
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