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【読書ノート】「世界は贈与でできている―資本主義の「すきま」を埋める倫理学」

読んだ本の気になる部分を書き留めていきます。
今回採り上げる本は、
『世界は贈与でできている―資本主義の「すきま」を埋める倫理学』
著.近内悠太 です。



✅本書を手に取った切っ掛け

資本主義の次を考える上で、気になって手に取りました。
帯が豪華です。

✅目次

全体を俯瞰するため、目次を書き留めておきます。

まえがき
第1章:What Money Can't Buyー「お金で買えないもの」の正体
第2章:ギブ&テイクの限界点
第3章:贈与が「呪い」になるとき
第4章:サンタクロースの正体
第5章:僕らは言語ゲームを生きている
第6章:「常識を疑え」を疑え
第7章:世界と出会い直すための「逸脱的思考」
第8章:アンサング・ヒーローが支える日常
第9章:贈与のメッセンジャー
あとがき

「世界は贈与でできている」

今の時代を読む上で、象徴的な1冊だと感じました。

✅書き留めたところ① 贈与と呼ぶもの

 僕らが必要としているにもかかわらずお金で買うことのできないものおよびその移動を、ひとまず「贈与」と呼ぶことにします。それは定義上、商品やサービスという「市場に登場するもの」とは異なるものとなります。

「世界は贈与でできている」 p.20

「贈与」というと「贈与とは、契約によってお互い合意した人に財産を無償で譲ること」という意味で捉えられますが、この本で扱われている「贈与」は「交換でないもの」と定義されていると認識しました。

この出発点が、興味深いです。

「無償の想い」みたいな言葉が「贈与」と同義のように感じます。

言葉を選ばず言えば、キリスト教の「アガペー」(神の愛。罪人である人間に対し、神が注ぐ自己を犠牲にした愛。)が想起されました。

また、このように捉えると映画「ペイ・フォワード」のトレバーの死という結末についても、「自己を犠牲にした」という点で、腹落ちします。

これを「贈与」の言葉が持つ日本語的な意味で捉えると、トレバーの結末の理解が難しくなると感じました。

✅書き留めたところ② 贈与者は名乗ってはいけない

 「これは贈与だ、お前はこれを受け取れ」と明示的に語られる贈与は呪いへと転じ、その受取人の自由を奪います。手渡される瞬間に、それが贈与であることが明らかにされてしまうと、それは直ちに返礼の義務を生み出してしまい、見返りを求めない贈与から「交換」へと変貌してしまいます。そして、交換するものを持たない場合、負い目に押しつぶされ呪いにかかってしまうのでした。

「世界は贈与でできている」 贈与が「呪い」になるとき p.92

贈与者は名乗ってはならない。贈与は手渡す瞬間には気づかれてはならない。
名乗ってしまったら、返礼が可能になり、交換に終わってしまう。
あるいは、返礼ができない場合、呪いにかかり、自由を奪われてしまう。

名乗らない贈与者として世界的に有名な人物が一人います。
サンタクロースです。
・・・
 それは、サンタクロースという装置によって、「これは親からの贈与だ」というメッセージが消去されるからです。つまり、親に対する負い目を持つ必要がないまま、子は無邪気にそのプレゼントを受け取ることができるのです。

「世界は贈与でできている」 サンタクロースの正体 p.107-108

子どもが欲しいものを親が与える時、親が求めていることや、親が課している条件があることがあります。

  • テストで100点採ったら、

  • 誕生日になったら、

  • 毎日宿題するなら、

とか、
条件が解除された時、
求めている成果が出された時、
子どもは欲しいものが手に入る。

世の中の仕組みも同様です。

お客様から契約が欲しいとすれば、
お客様が課している条件や、
お客様が求めることを提供することが求められる。

この仕組みでポイントになる点は2つです。

その2つは、
欲しいものがあった時、
「決める人がいる」
「決める人が求めていること(課している制限)がある」
の2つ
です。

サンタクロースの逸話は、「決める人」をズラすこと。
見返りを求めないは「求めていることがある」をズラすことです。

この世の中の仕組みを逸脱することが、ここでいう「贈与」のようです。


✅書き留めたところ③ 贈与と交換のマッシュアップ

「すきま」という言葉は、文化人類学者の松村圭一郎から借りています。

市場と国家のただなかに、自分たちの手で社会をつくるスキマを見つける。関係を解消させる市場での商品交換に関係をつくりだす贈与を割り込ませることで、感情あふれる人のつながりを生み出す。その人間関係が過剰になれば、国や市場のサービスを介して関係をリセットする。自分たちのあたりまえを支えてきた枠組みを、自分たちの手で揺さぶる。それがぼくらにはできる。(「うしろめたさの人類学」178頁)

 
ですから本書が論じた形の贈与は、市場経済を否定していません。
 それどころか、市場経済を必要としているのです。
 なぜなら、無時間的な等価交換、相手を問わない形の交換が日常となっているからこそ、贈与がアノマリー、すなわち「間違って届いたもの=誤配」として立ち上がるからです。
 贈与はアノマリーでなければならない。
・・・
 贈与と交換のマッシュアップ
 「贈与か交換か」という二者択一ではなく、その両者を混ぜ合わせた、社会を作り直す道があるのです。

「世界は贈与でできている」 贈与のメッセンジャー p.224-225

贈与はアノマリーでなければならない。

ここの部分が、自分の中でポイントとなりそうなのですが、上手く言語化することができていません。

心理学的経営で出てくる『タテマエとホンネ』

タテマエに対してホンネ、合理的なシステムに対して非合理的な人間行動、表のマネジメントに対して裏のマネジメント、こうした対比のなかでありのままの人間に対する理解を中心において企業経営を考える、これが心理学的経営の基本的なスタンスである。

「心理学的経営」 p.219

「贈与」をどのように個人や組織に実装していくか、興味がある部分です。

✅書き留めたところ④ 受取人の想像力から始まる贈与

 誤配に気づいた僕らは、メッセンジャーになる。
 あくまでも、その自覚から始まる贈与の結果として、宛先から逆向きに「仕事のやりがい」や「生きる意味」が、偶然返ってくるのです。

「仕事のやりがい」と「生きる意味」の獲得は、目的ではなく結果です。
 目的はあくまでもパスをつなぐ使命を果たすことです。
 だから僕は差出人から始まる贈与ではなく、受取人の想像力から始まる贈与を基礎に置きました。
 そして、そこからしか贈与は始まらない。
 そのような贈与によって、僕らはこの世界の「すきま」を埋めていくのです。
 この地道な作業を通して、僕らは健全な資本主義、手触りの温かい資本主義を生きることができるのです。

「世界は贈与でできている」 贈与のメッセンジャー p.243-244

誤配に気づいた僕らは、メッセンジャーになる。

この部分、「人生のレールを外れる衝動のみつけかた」における「衝動」と重なります。

『チ。』のラファウは、フンベルトが死ぬことで地動説を受け取り、この謎を解き明かそうとする。

『葬送のフリーレン』のハイターは、友人ヒンメルが死ぬことで生きる意味を受け取り、フェルンに繋げようとする。

【読書ノート】「人生のレールを外れる衝動のみつけかた」

ここで言う

「受取人の想像力」

「仕事のやりがい」
「生きる意味」

「「すきま」を埋めていく」

「アンサング・ヒーロー」

これらの言葉を連ねていった先に、
健全な社会が立ち上がること。

「贈与」とは、
代替可能な世界に、
個人と個人を繋げる物語を紡ぎ出していくもの。

そんなことをこの本を読んで感じました。

✅読後メモ 代替可能性

私たちは皆、代替可能な存在です。

そんな代替可能な存在である私が、

「なぜ、他の人ではなく、私が受け取ることになったんだろう」

と想像してしまう場面に出くわす。

このような受取人の想像力が、贈与という概念を創出する。

そして受け取ったものを、次に誰かに渡していく。

これが一連の物語として、私に生きる意味を与える。


代替可能性と代替不可能性が両立する世界。

読後メモとして、これを書き残しておきます。

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さくらいまさひろ@組織コンサルタント
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