読んだ本の気になる部分を書き留めていきます。
今回採り上げる本は、
『世界は贈与でできている―資本主義の「すきま」を埋める倫理学』
著.近内悠太 です。
✅本書を手に取った切っ掛け
資本主義の次を考える上で、気になって手に取りました。
帯が豪華です。
✅目次
全体を俯瞰するため、目次を書き留めておきます。
今の時代を読む上で、象徴的な1冊だと感じました。
✅書き留めたところ① 贈与と呼ぶもの
「贈与」というと「贈与とは、契約によってお互い合意した人に財産を無償で譲ること」という意味で捉えられますが、この本で扱われている「贈与」は「交換でないもの」と定義されていると認識しました。
この出発点が、興味深いです。
「無償の想い」みたいな言葉が「贈与」と同義のように感じます。
言葉を選ばず言えば、キリスト教の「アガペー」(神の愛。罪人である人間に対し、神が注ぐ自己を犠牲にした愛。)が想起されました。
また、このように捉えると映画「ペイ・フォワード」のトレバーの死という結末についても、「自己を犠牲にした」という点で、腹落ちします。
これを「贈与」の言葉が持つ日本語的な意味で捉えると、トレバーの結末の理解が難しくなると感じました。
✅書き留めたところ② 贈与者は名乗ってはいけない
子どもが欲しいものを親が与える時、親が求めていることや、親が課している条件があることがあります。
テストで100点採ったら、
誕生日になったら、
毎日宿題するなら、
とか、
条件が解除された時、
求めている成果が出された時、
子どもは欲しいものが手に入る。
世の中の仕組みも同様です。
お客様から契約が欲しいとすれば、
お客様が課している条件や、
お客様が求めることを提供することが求められる。
この仕組みでポイントになる点は2つです。
その2つは、
欲しいものがあった時、
「決める人がいる」
「決める人が求めていること(課している制限)がある」
の2つです。
サンタクロースの逸話は、「決める人」をズラすこと。
見返りを求めないは「求めていることがある」をズラすことです。
この世の中の仕組みを逸脱することが、ここでいう「贈与」のようです。
✅書き留めたところ③ 贈与と交換のマッシュアップ
ここの部分が、自分の中でポイントとなりそうなのですが、上手く言語化することができていません。
心理学的経営で出てくる『タテマエとホンネ』
「贈与」をどのように個人や組織に実装していくか、興味がある部分です。
✅書き留めたところ④ 受取人の想像力から始まる贈与
この部分、「人生のレールを外れる衝動のみつけかた」における「衝動」と重なります。
ここで言う
「受取人の想像力」
「仕事のやりがい」
「生きる意味」
「「すきま」を埋めていく」
「アンサング・ヒーロー」
これらの言葉を連ねていった先に、
健全な社会が立ち上がること。
「贈与」とは、
代替可能な世界に、
個人と個人を繋げる物語を紡ぎ出していくもの。
そんなことをこの本を読んで感じました。
✅読後メモ 代替可能性
私たちは皆、代替可能な存在です。
そんな代替可能な存在である私が、
「なぜ、他の人ではなく、私が受け取ることになったんだろう」
と想像してしまう場面に出くわす。
このような受取人の想像力が、贈与という概念を創出する。
そして受け取ったものを、次に誰かに渡していく。
これが一連の物語として、私に生きる意味を与える。
代替可能性と代替不可能性が両立する世界。
読後メモとして、これを書き残しておきます。